呼吸のワークを終えて〜体の本当の声を聞くために〜
今、呼吸のワークのオンラインワークショップが終わったところです。
本来ならまず「呼吸のワーク」ってどんなもの?という説明をしないと、読んでいる方には何が何だかわからないと思うのですが、このワーク自体がことばにすることが難しくて、これまで何回かnoteにも書きかけては挫折しています。
なので、もうそこは諦めて、今日やろうとしたことを書いてしまいます。
今日、音声配信で呼吸のワークのビフォーアフターで声がどう変わるかというのを実験してみようと思って、始まる前に自分の声を録音しておきました。
ワークを終えて、一応今日のワークで感じたことなど「話す内容」をメモして、その後に続けて少し話し出してから止めて自分の声を聞いてみました。
うーん、客観的に聞くとほとんど変わらないかなあ。自分の中はものすごく違うんだけど。
これをどう見るかはいろいろあると思います。いくら自分が思っていても人に伝わらなければ意味がない。表現論としてはよく言われることです。
でも思ったのです。それでも私は自分の中の感覚を信じると。
今日のワークは本当に不思議でした。
このワークは呼吸に作為せず、無理な動きやストレッチなどを一切やりません。それでも人十倍?くらい体が硬くてそこそこ年齢もいっている私は最初にやろうとした動きは体の中のつながりを感じる以前に立っている体のバランスを崩しそうになり、それを堪えるのに必死になってしまいます。
そこで、最初のイメージの形を作ることにこだわることをやめて、自分がバランスを気にせずに動けるところで立ってそこから動き始めてみました。
そうするとバランスを崩す不安がなくなり、体は安心して無駄な力を抜いてくれます。そうすると、脚があるという感覚さえなくなり、ごく自然に今の自分の体の必然性によって動いてくれます。
違う動きをやっても力が抜けきって自在に動ける。そして、体の奥底から言葉が聞こえたり、風景が見えたりする。
なぜそれが出てきたのかはわかりません。思い当たる出来事などが全くないし、ことばは触れていた自分の手が触れている部分に対して言っていたのか、それとも触れられている部分が発した声なのかさえもわかりませんでした。
言葉で明確に意識されていないけれど、体の奥底に存在する何かが発するメッセージなのだろうな。
先生と話しながら、今はその根拠とかつながりを言葉で詮索しようとせず、そのままにしておこうと思いました。
このことはいつか必ずどこかに繋がってくる。同じ流れで繋がることもあれば、一見、全く違った形で現れてくることもあるかもしれない。時期もわからないけれど、ただそのまま置いておこう。
そんなことも話しました。
人の作為や言語化された知識は全体のごく一部分に過ぎない。そのことに謙虚に自分の体が発する本当の声をジャッジせずに受け止める。それは自分の体がやりたがっていることなのだから何をしてもよいという野放図とは真逆です。
言葉で聞こえてくること、それは本当に本当の体の声?あなたの体、本当にそうやりたがっている?それを聞き取ることって実はとても難しいです。
なぜそんなことが出てくるのかわからなければ、その理由を追求したり、無理やり何かと結びつけてわかったような気になったり、説明がつかないことは無かったことにされたり、押さえつけられたりします。
それをせずに体が本当の声を出しても大丈夫だと信頼できる存在に自分自身がなること。何かのための呼吸の形を整えるのではなく、この信頼関係を作るために、呼吸のワークをやっているのかもしれません。
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