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2021/08/13
気づけばこの日記も、書き始めてから1週間が経過していた。
最初は流浪の月の感想を綴っただけ。
今は、日常の静かで激しい心象を、冷静に見つめて、薄いヴェールに包んで、誰のためでもなく残しておくようになった。
今では、日記を書くことが毎日のささやかな楽しみになった。
今では、人と話さなくても、日記を書くことで自分自身の心の平穏を保てるようになった。
最初は、私の好きなエッセイストの塩谷舞さんの「ここじゃない世界に行きたかった」を読んで衝撃を受けたのがきっかけだった。
そして塩谷さんの真似事がしたくて、日記を書こうと思い立ったのだ。
私もあんな風に、読み終えてしまうのが悲しい、叶うことならずっと読んでいたいと思えるような、ノンフィクションを書いてみたかった。
けれどすぐに、自分の正直な心の内を、家族や友達には知られたくない、けれど誰かに見てほしい、知ってほしい。
そんな思いを胸に書いていた。
私にはやっぱりそういう場所が必要だ。
正直に心を書き残しつつ、けれど人の名前や起きた出来事を匿名化する過程で、自然に少し、隠したりぼかしたりする。
感情に流され過ぎず、理性で殺してしまわない。
ちょうどよい比率でそれぞれをブレンドして吐き出す。
そんな場所が必要なのだと、実感した。
今後、どんなに短くても数カ月は、書き続けると思う。
TwitterのトレンドにDaiGoという文字列が並んでいた。
なにやらホームレスの人たちを差別するような発言をしたそうだ。
少しスマホの画面をスクロールすると、弟の松丸亮吾さんが兄のDaiGoさんの発言はおかしいと反応していた。
一方もう一人の弟の松丸彗吾さんに「我関せずなのか」というコメントが来ているという報道が目に入った。
どうやら兄の発言に対する謝罪や批判を要求されているらしかった。
私は疑問を感じた。
兄弟の発言や行動の責任は、他の兄弟に及ぶのだろうか。
私は、血がつながっているとはいえ、兄弟の言動に対して責任が及ぶことは、基本的にはないと思う。
同じく血のつながりがあっても、子どもの発言や行動に親が責任を持たなければならない (監督者責任?) のとは別の問題だと思うし、そもそも3人ともそれぞれの人生があると思う。
兄弟間に連帯責任が生じるのは、私には理解できなかった。
もともと連帯責任があまり好きではないという性格も影響しているのかもしれない。
同じ理屈で、お笑いコンビやバンドメンバーの1人の不祥事を、他のメンバーが謝罪するのにも、毎回疑問を感じる。
使用、監督する立場であれば、当然その責任が伴うと思う。
けれどあの謝罪は、どこから責任が生じているのだろうか。
なぜ、何もしていない人が、他の人とは違う性質のつながりが当人との間に存在するという理由だけで、頭を下げなければならないのか。
私は未だに疑問を感じる。
そんなことを考えていたら、少し疲れを感じ始めた。
イレギュラーな早起きが続き、疲労が十分にとれていなかったのだろう。
少し横になろうとしたその時、友人からLINEが届いた。
「サークル誰もいなくてさみしいよ~笑」
そういえばそうだったなと思って、Google Meetを立ち上げた。
満面の笑みでなぜか背景がオリンピック仕様の友人が現れて、つられて爆笑してしまった。
先ほどの疲れはどこへやら。
警報級の大雨を家で凌いでいるのに、その友人はなぜかアロハシャツを着ていた。
こういうところが友人らしい。
1時間ほど2人で話し込んだのち、家族に夕食に呼ばれたのでお暇した。
明日会うのに、ちょっと話過ぎたなあ。
話題がなくなってしまわないといいけど。
夕食を食べた後はそのまま父親の誕生日ケーキを食べた。
私は父親の誕生日をなんとなくでしか記憶できていない。
覚えにくい日付ということもあるだろうが、あまりにも思い入れがないのが大きいだろう。
私は高校生の時まで父親に、あまりいいイメージを持っていなかった。
酒を飲むと些細なことでカッとなる。
そして、物に当たったり、声を荒げたりしながら、さらに酒を飲むのだ。
また、一度暴走すると関係ない人にも怒鳴りつけたりすることがあった。
弟が怒られているなかで塾から帰宅した時、何もしていない私が急に言いがかりをつけられて、眠れないほどに怒鳴られた記憶がある。
小4にして凍死を命じられたり、時計を顔面直撃すれすれで投げつけられたり、ナイフを胸に当てられたこともあった。
大学受験を控えた秋ごろには、すでにバランスが崩壊していた精神に追い打ちをかけるように「大学には行かせない」という宣告を受けた。
結果的には拍子抜けするほどあっさり和解して、今では普通の関係のようになった。
しかし私はまだどこかで、父親を爆弾として、いろんな意味で無駄に丁寧に扱っているのだろう。
触らぬ神に祟りなしといったところか。
私は、過去の過ちは当人がそれを認めて反省し、変われば許されてしかるべきと考えている。
そして、それができない人は心が狭いなぁとも思ってしまう。
上述のDaiGoさんの件も、当人が変わればそれ以上に責める必要はなく、ましてや掘り返してとやかく言う事はできないと思っている。(さらに言えば、そこまで行くと私刑なのではとすら思う。)
許せないという気持ちは理解できるが、罪を認めて償った人をそれ以上責めるのは違うと思う。
そうした思いがあるのにも関わらず、私は未だ父親を「許していない」のだろうか。
私は自分の基準で「心が狭い」と評した人間と、同じ水準で生きているのかもしれない。
そうだとすれば、私は許せる人間になりたい。
そして、その理想像に限りなく近づけたとき、私は父親を「許して」いたい。