2021/09/30
10時ごろ起床。
すっかり元気になった身体を必死に押してリビングへ行き、朝食をとる。
起きるのが遅すぎた。
急いで味噌汁をかきこんで着替える。
家の雑事を片付ける母親に「大学いってくるね!」とだけ告げて、足早にテラスへ出た。
今日は大学へ行く予定の日。
この前までオンラインだったのが、少しずつ対面講義にシフトしている。
しかしもう2年もいるのに、教室が全くわからないのだ。
今日はその下見。
自転車をターミナルまで飛ばす。
ターミナルに着いてスマホを見ると、少し急ぎすぎていることに気づいた。
この時間なら、夕方には余裕で戻れるな。
自転車を止めてイヤホンを装着する。
何を聴くか少し悩んでから、夏前からずっと聴いていなかったNeruのプレイリストをシャッフル再生した。
ついにNeruを解禁。
日記にも書いた友人とのお別れが辛くて、そしてそれを思い出す1番のトリガーになるNeruさんの曲を聴くのも辛くて、ずっと聴いていなかった。
1曲目はテロル。
その友人に「私にはちょっとその良さがわからない」と言われた曲。
相変わらず良い曲だった。
友人だった彼女には良さがわからないと言われたけれど、私はこの曲を一生聴き続けるだろう。
そしてこの曲から一生力をもらうだろう。
曲が変わってい〜やい〜やい〜や。
人生だるいなっていう開き直りの曲だけど、私はNeruさんのこういう曲の方が聴きやすいかなという気がしている。
昔の曲も好きだけれど「若く悲惨な叫び」を聴くのは少し辛いものがある。
曲が変わって世界を壊している。
自暴自棄になりつつも、不器用な愛を振りまく善人。
何者にもなれない自分に対する失望とやるせなさをプラスに昇華している気がする曲。
駅に着いて改札をくぐる。
あと1分で電車が出て、走れば間に合ったけれど歩いた。
なんだかこの夏ごろからこういうところで余裕を見せられるようになった気がする。
弾かれたように走ってエスカレーターを駆け上がっていくサラリーマンを眺めていた。
ホームは下で売っていたクロワッサン鯛焼きの匂いがして、私に何度もエスカレーターを降りて買いに行かせようとしてきた。
曲が変わってハウトゥー世界征服。
友人だった彼女と最後に遊んだ日、一緒にいた別の友人がカラオケで歌った曲。
正直少し身構えだけれど、心が複雑な気持ちで染まることはなかった。
思い出と切り離して、曲は曲として楽しめているみたい。
そうこうしている間に大学に着いて、教室の場所を確認した。
大学を後にして、帰りに流れたのはオーヴァースレプト。
かなりマイナーな曲。
ギターがカッコいい。
燃えるような夕焼けを幻視しそうな曲。
歌詞の意味はあまりわからないけど、明るい曲ではなさそう。
明るい気持ちにはならない曲だけど、私はそれにも流されないようになっていた。
繰り返しになるけれど、とにかくギターが好き。
夏休み前までは「あんなに仲良くできる友人は他に1人としていない!」とか思っていたのに、今ではすんなり私の世界にいないことを受け入れて、そしてその世界を存分に楽しんでいる。
Neruさんのプレイリストをちゃんと楽しめたのがその証拠。
恋人と別れた瞬間まで好きだったアルバムは、その傷がもう痛まない今でもまだ聴くことができないのに、彼女とお別れした時に好きだったプレイリストは2ヶ月強で解禁できた。
バイト先で人間関係が広がったからなのか。
1人で過ごす時間の充実度が上がったからなのか。
はたまた最初からその程度の関係だったのか。
答えはわからない。
1つ言えること。
私は今、彼女がいない世界で幸せに生きています。
これ以上ないほどの高揚感に、毎日包まれています。
今彼女と出会えていたら、私たちは仲良くできたかな。
意味のない仮定を置いて、何の解決にも繋がらない話をするのは好きではないけど、そんな想像をしていた。
明日から大学の授業が再開する。
また朝早く起きて、来る日も来る日も課題を片付ける毎日が戻ってくる。
今の私に生き抜けるだろうか。
心のバランスをまた崩して、彼女みたいな友人を失ってしまわないだろうか。
不安は尽きないけれど大丈夫。
私は果報者なんだ。
だって私にはいつも友人がいてくれるし、逆境には音楽という武器があるし、何かにつまづいたら本から学べるし、失敗を笑い話に昇華するSNSがあるし、心はさらに強くしなやかに成長したし、感情を平均にする場としてのnoteがあるし、そこで綴る日記を読んでくださる方がいる。
この夏休みで、人間として別次元に立った私を、みんなに見せてやる。
まだまだ私はこの高揚感を誰にも何にも奪わせやしないんだ。
そんな気持ちでまた半年間頑張ります。
見守っていただけたら幸いです。