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42歳独身女・今より自分が楽しい場へ向かって【6】

退職してから・・・ではなく勤務をしなくなっておよそ1か月が経過した。前回はまだ職場にふつうにいたのだなと思うと感慨深い気がする。仕事しなくなってからのこともぼちぼち書いていく。

タイトルをちょっと変更した。場を「求めて」だと、誰かが提供してくれそうな期待というか他力というか、そういうものが見えるように思いなおした。私はそう言うシーンへ自分で向かうのだ。誰の人生でもなく、自分の人生なんだから。


■最初の1週間

辞めるとたいてい聞かれる「解放感ある?」「のんびりしてるの?」。
この2つの質問については私は全然該当しない。会社がブラックで辞めたわけではないから囚われからの解放という気持ちはない。でもやっぱり週にそれなりの時間を会社に使っていたから、その間に横によけておいた”やろうかな”に早速手を付けているから、のんびりもしてない。でもまあ、遅刻・寝坊という概念が現状ないのは大変ありがたい。眠れない、起きれない体質が小学生から続いている私にとって、決まった時間に出社するだけで、それができる人よりだいぶ大変だったなと振り返った。明日起きられるかが心配で眠れない、なんてこともよくあった。
最初の1週間のうち最初の3日は、近所の温泉に出かけた。2泊した。振り返りノート(ジャーナリングの、温泉滞在バージョン。長い)をモリモリ書いたり、昼間からビールをちょっと飲んだりした。案外、思考ははかどらなかった。脳内が全くサラリーマンのままだ。

■1か月目までの間

10月最終の日曜日に、ずっと受験したかった趣味の試験を受験した。試験当日に試験会場に行くまで、それが国家資格だとは全然知らなかった。合格率はあまり高くないからためノリで受験だけするような試験ではないし、本業とは1ミリも関係ないのでこれまでお金と時間を投じる踏ん切りがつかなかったのだが、好きなことやろうって決めたらこれはもうやるしかないので、時間とお金を投じた。
コロナで引きこもりになった年に一度だけ、合格率10%以下の国家試験を受けたことがあったのだけど(当然落ちた)その試験を経験しておいてよかったなと思うことが1つある。他どんな試験も、あれよりは楽しいしラクって思ってしまう。今回の試験もおそらく1回では難しそうだが、如何せん好きなことを学んでいるだけなので辛くはなかった。落ちても来年も受験する予定である。

それ以外に、無職記録をYoutubeにでも残しておくか、と思って動画を1つ作ってネットの海に流してみたりもしたが、その直後、よく見ているYoutuberさんの動画で「おっさんおばさんの退職後の様子なんて誰が興味あんねん」的な発言をしているのを見聞きし、おっしゃる通りすぎたので2つ目を作るのは辞めた。辞めたというより、私の場合は「退職後の様子」ではなくて他に言うべきことがもっとあるだろというセルフツッコミが入ったので、そっちの方向にシフトすることにした。動画1つで分かるなら、やる前からわかるやろ、と言いたい方もおられることだろう。しかし私の人生にとって退職はインパクトが大きすぎるためどうしてもそっちの話題になってしまったのだ。1つ投稿して気づいたんだから良いってことにしよう。やってみなかったら、永遠にその方向で「やってみたいな~」と言いながら憧れだけをこじらせていたかもしれないのだから一歩進んだのである。それと、自分の声で録音してみたけれど自分から出ている声があまりにも軽薄で笑ってしまった。編集していても自分の声が好きではないという理由でメンタルが削られてしまうので、もう次からは素直にずんちゃんに頼もうかなと思っている。ずんだもんボイス可愛いくて好きだし。要らんところでメンタルを削られている場合ではない(もったいない)。

■生活の様子

眠れない、起きれない私のその習性は悪化した。シンプルに、眠れない日は明け方5時まで眠れないし、眠い日は20時にもう眠い。体力がかなり減っているので、眠くなったらもうおしまいだ。何もできない。
そう、私の活動可能制限時間は思ったより短かった。なので最近会社が余計しんどかったのだ。全然ブラックじゃないのに、仕事の分だけ頭使ったらもう腑抜け。そんな状態なのに私のToDoリストにはやることがめちゃくちゃある。自分の体力と集中力を見誤りすぎていると言わざるを得ない。しかもこのような状況で「自力で稼ぐ」ことも検討したいのである(えっキャリアブレイクじゃないの?)。欲張りが過ぎると自分でも思う。
やりたいことがいつも沢山あって、断捨離が苦手なので何かを切り捨てるのも不得意だから、いつも何かに忙殺されている。今も忙殺されているし、ToDoリストは翌週に繰り越されるものが沢山ある状態だ。
でも昔からこうだし、42歳になってもコレなんだからどうせ死ぬまでこうなんだと思う。だからもう仕方がない。興味があることはいくらでもリストアップしておいて、やりたいやつからやるしかねーのだ。

■思い出した特性

今日さきほど、これまでの経験が生かせそうな業務委託の仕事に履歴書を送った。履歴書を送るのは就職活動以来のことである。近々、もう1つくらい履歴書を送る予定だ。
そのほかにも自分ができること、得意なことをよくよくみつめている最中だが、昨日お友達からの連絡によって最近忘れていた「集中してできること」が見つかった。
友達には理科と算数なら教えれるよ(あわよくばバイトさせて(腹黒))と宣伝をしていたのだが、その友人から連絡があった。「友人の娘(小学生)が、30×400=12000の計算で、3×4をしたあとでお尻にゼロを3つ並べるというのが全然わからないらしいんだけど、どうやって説明したらいい?」
それを聞いたとき、昔の自分を思い出した。昔の自分はそんなこと考えたことなかったなあ、10の倍数の掛算とか出たらラッキー問題やん、くらいにしか考えていなかったので意味なんか考えたことがなかったなあ、と。と同時に、大人になった今こそ「いやなんで?」と感じてしまう。算数の計算としては勿論わかる。けれどこれが意味するところをイメージしてもらうの難しくない?と。
そこから私は集中して、上記の計算が成り立つこととそのイメージを小学生にもわかるようにPPTにまとめた。現在友達が娘ちゃんに見せる前なのでどう伝わるかわからないのだけれど、難しいことを人に説明するのはきっと好きなんだろうと思ったりした。
・・・いや職場でも勉強会やるの好きだったわ。最近惰性でやってたから忘れてたけど、同僚さんと勉強会企画するの好きだった。そんなことも忘れちゃうなんてなーー 静かな退職状態ってもったいないな。。。

■応募

そうこうしている間に、現在の仕事の経験を活かせる業務委託の仕事を見つけたので早速履歴書を送った。現在審査中。繰り返すが、たぶん今の仕事も嫌いじゃないし割と得意だけれど上司の方針的なものが合わなくてやめたということなので、今できることを腐らせていくのは勿体ないと感じる。
また個人的にも、貯金が減っていく一方という事象に対して許容範囲が超狭いという事を察していたけれどでも案の定やっぱり許容範囲が狭いということが確認できた。貯金が減っていくのが好きじゃない(耐えられないというほどでもないが)。今からちょっとドカンと自己投資をしたいんだけど、その決定ボタンがなかなか押せない。10年前はサクっと決めてポンっと払ったのに、歳をとったのか危機感がないのかサクッポンのハードルが死ぬほど上がっている。なんでや。貯金は当時の数倍あるのに全然ポンできない。だから早くもだけど、ちょっとは稼ぎながらポンしたいなと正直考えている。
今月は他にも、ちょっとでいいから何か稼ぐ(自分的には面白いことで)とっかかりを作るという目標があるので、これからタスクリストを作って日々進めていく予定。

■帰省

甥っ子5歳が、運動会で披露した鼓笛演奏をそのへんのショッピングモールで再演するから身に来れば、との妹の一言で、まさか本当に帰省した私(姉・おばさん)。だってそんな機会、何度もあると思えないから。もうこの一回きりかもしれないから。だからそういう機会は積極的に取りにいこうと思ったのだ。できるんだし。
実際に見に行って、たまたま隣に座った知らないおばぁちゃん(甥っ子の同級生のおばあちゃんに当たる人)と「よく覚えたよねえ、すごいよねえ、やだ泣いちゃう、感動的(咽び泣く)」など話をしながら鼓笛を見守った。
覚えた5歳児たちは素晴らしい。このような5歳児たちに鼓笛を教えた保育園の先生たちの頑張りには言葉がない。保育園に通わせるまでの手がかかる時代を育てた親たちにも尊敬しかない。5歳児たちの鼓笛は、5歳児たちに関わる多くの大人の日々の頑張りによって成り立っている。そこまで想像して私はちょっと泣きそうになった。そこにわずかも参加できていない自分に若干のコンプレックスを感じながら。
私は育児をできていないのに、こういう面白い場面を見せてくれる妹家族には感謝しかない。こういう場面があると、なんかお先が暗く見えるこの国を私が見て見ぬふりして放置ってのもよくないよなとわが身を振り返るなどした。また、この場を作り上げた大人たちの一端にはなれない人生をこれまで生きてきたけど、そんな大人たちを助けることができる大人、には今からでもなれるという思いを更に強くするなどした。

■11月の予定、これからの予定

・あれに応募(上手いこといくまで書かない)
・これに応募(上手いこといくまで書かない)
・あれの課題を終わらせる(終わるまで書かない)
・あれを作ることに着手(おわるまで書かない)
・帰省して親に1泊旅行をプレゼントする(宿指定受け済み)
これ以外にも、まったく暇ではない日々を過ごす予定。しばらく職場から離れると、いわゆる職場に戻りたくなったりするのかどうか、そういった感覚や感情の変化にも注目している。ジャーナリングは継続。最近さぼり続けている瞑想(できてるのかは知らんけどやるだけやってみていた)の習慣を復活させることが今月の目標。なんかあわただしくなって途中でやめてしまっていたけれど、瞑想によって「自分がそう考えている」ことは「ただ脳みそが勝手に動いているだけ」ってことが理解できるようになっていたみたい。これによって自分としては画期的なほど変化があったことがあったんだけれど、それはここに書くことではないので別の投稿にて。

あっちなみに潜在意識チャンネル系も結構見ちゃう人ですが、宗教的なことが本当に嫌いで嫌いでしょうがない人間なので、怪しい信仰には一切近づいておりませんことは述べておきます。

Akko


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