まさかの正月大地震

2024年1月1日、能登で大地震が起きた。
大晦日から便秘で頭痛があったり、指を怪我して爪が割れたりしながらも、去年よりも大掃除が順調に終わって(妹が頑張った!)、心穏やかに元旦を迎えていた。
午後から、弟の家族4人が来て、みんなですき焼きとお雑煮を食べた。今年は初めておせちを食べなかったが、お米は、去年買った「能登半島の自然栽培米」を炊いていた。
羽咋市の高野誠鮮さんのことをYouTubeで知り、どうしても羽咋市の自然栽培米を食べてみたいと、ネットで1キロだけ購入したもので、せっかくだからお正月に食べようと楽しみにしていたのだ。
羽咋市の自然栽培米は、炊いている最中いい匂いがすると、父も妹も言っていた。
味はくせがなく、あとからおいしさを感じるようなご飯だった。
その後、近くの神社まで歩いて初詣に行った帰り道、甥っ子と姪っ子のために駄菓子屋にみんなで寄った。店で流れていたラジオから緊急速報で地震の情報が流れた。驚いてラジオに耳をすませていると、プレハブ小屋の店がゆっさゆっさと船のように揺れていることに気付いた。
「え、ここも揺れてない?」と、横にいた弟の奥さんに言うと、「ほんとだ揺れてる」。
すぐに店内の奥にいた甥っ子たちを探しに行ったが、他のお客たちもみんな揺れに気付いていないようで、変わらずお菓子を選んでいる。後で聞いたら、プレハブ小屋が古くて風などで揺れているんだと思ったらしい。
私は「船のような揺れ」は、震源地では東日本大震災のような大きな地震が起きているのではないか、と不安に思った。
家に帰ってテレビで、大地震の被害の大きさを知った。震度7なんて、木端微塵なんじゃないか…
SNSのタイムラインをずっと追いながらも、夕飯はみんなでくら寿司に行った。びっくらぽんに夢中になる姪っ子たちが無邪気だった。

東日本大震災のときは、東京都内で介護の仕事をしていて、その日はアパートに帰れず職場で1泊して、次の日に麹町から新宿まで歩いて帰った。暗く冷たい雨が降っていた。
東京でもコンビニにはパンも水もなくなっていたこと、原発の爆発があるか非常に怖かったこと、物資を届けるので募集しているとHPで見た押上のムエタイジムに調布からダンボール2箱くらい地下鉄で持っていったこと…。

そのときの経験で、安全な日常はある日突然ひっくり返ることを身を持って理解した。
今回の地震も、あー怖かった、で済ますだけでなく、自分の住む地域で起きた場合、ちゃんと生き残れるか? を今一度真剣に考えなければならない。
「備えあれば憂いなし」と自らに言い聞かせながらできるだけ災害時の準備をしつつ、被害にあわれた方へ私が何をできるか考えたい。

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