雑種猫を売るペットショップ
トラとの出会いはペットショップだった。
犬や猫、魚や小動物を売る地元でそこそこ有名な店にトラは居た。あの狭い空間でトラとその兄弟は「売り物」として並んでいたのだ。
トラと出会う少し前に、茨の中に倒れている年老いたサバトラの猫と出会った。今思えば死を覚悟してあそこに横たわっていたのだと思う。
猫に詳しくなかった自分は、お腹が空いて行き倒れたのだと思い抱き抱えて玄関まで連れて来た。
何を食べさせて良いかわからずセブ〇イレ〇ンで買ってきた猫用のパウチやスープを皿に出してあげてみたが、一口食べた後寝てしまった。
流石に様子がおかしい事に気付き、翌朝動物病院へ連れていったところ、推定15歳で末期の腎臓病だと言われ愕然とした。
「今夜が山です、此方で預かります」
先生はそう言ってサバトラを奥へ連れて行った。自分の飼い猫でもないのに、とても悲しく切ない気持ちになったのを覚えている。
先生の見立て通りこの夜が山だった。
翌日の朝、動物病院から電話があり「ニャースケ(仮)君亡くなりました。とても穏やかな最期で苦しまずに眠る様に息を引き取りました」という悲しい内容だった。
病院に駆け付けると、綺麗におくるみに包まれたニャースケがそこに居た。まるで寝ているようで穏やかな顔。
持っていったお花を渡したところ
「飼い猫ではないのであとの事はこちらで承ります」
とのことで…病院側に火葬などの手続きをお願いしニャースケとサヨナラをした。
最後の晩餐はあのスープになってしまったのだ。
もっと美味しい物を食べさせてあげれば良かった、初めてきちんと触れ合った猫と過ごせたのは一晩だけ。
悲しみから抜け出せずに毎日を送ることとなった。
それ以来妙に猫が気になって仕方がない。
犬派だったのに不思議なものだ。
猫を飼いたくて里親サイトを探し回ったが、なかなか母子家庭に子猫を譲ってくれる保護団体が見つからず数ヶ月が経った時に見つけたのがトラである。
トラは「25704円(税込)」
で売られていた。
改めて見るとわかるのだが、完全に販売目的の自家繁殖である。
生まれた病院とかかり付けの病院はは市内でも有名な〇〇〇アニマルクリニックと書いてある。生年月日がわかるのもそれが理由だろう。
当時の私は生体販売の闇、自家繁殖した雑種猫を販売する事の恐ろしさを何も知らず、狭い空間の中でこちらを見て一生懸命ピーピー鳴いているトラを購入した。
一目惚れだった。ちなみにこのペットショップは数年後テナントから消えた。
潰れたそうだ。
生体販売は何も血統書付きの動物や、ブランド猫(犬)だけではない。
雑種猫なら尚更売れ残る可能性が高い、つまるところ…そういう事である。
今の私であれば生後2ヶ月にも満たない雑種の猫をペットショップで買うという判断はしないだろうが、あの時トラを迎えていなければ今は無いのだから、あの時の自分を完全に否定する事も難しい。
出会いとは突飛なものである。
初めての猫は不思議な生き物だった。
ずっと犬しか飼った事が無かった自分は育て方がわからず、猫の飼育本買い漁り読み込んだ。こんな小さな哺乳類を扱うのも生まれて初めてだったので、毎日が大変だったがとても楽しかったのを覚えている。
私は大半インド綿のロングスカートを履いていたので、トラは私の膝の上かスカートの中で過ごしていた。片時も離れる事無く一緒に居たので、最初は私と息子以外に懐かなかった記憶がある。
しかし、この時に関わっていた男のせいで私もトラも酷い目に遭う事となってしまう。
人間に暴力をはたらく人間は、動物にも
動物に暴力をはたらく人間は、人間にも
暴力をはたらき虐待をする
そして知的.精神両方に障害があるのを自覚しながらも、療育や治療せずに凶暴性が高まった人間の恐ろしさを垣間見る事となる。
(障害への差別ではありません、虐待や暴力への憤りです)
続く→