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人権を侵害する刑事司法と日本の警察による逮捕権の濫用

 人権軽視と言わざるを得ない、日本の刑事司法制度。その深い欠陥はこれまでも国連人権理事会からも度々非難されている。

世界の二大自動車メーカーの救世主、カルロスゴーン氏の2018年の逮捕は、日本国内外で大きな衝撃をもたらした。ゴーン氏は、会社法違反など金融不正行為について否定している。

しかし、その罪状より注目されているのが、日本の司法制度である。彼を取り巻く警察、裁判所やマスコミが行った行為は、「人権侵害」という言葉と共に日本からレバノンへ逃亡したゴーン氏によって世界中へ大きく知らされた。

 また2019年、当時89歳の元上級日本国民である飯塚幸三が起こした別の事件では、国民がこれまでになく日本の司法制度について深く関心を持った。彼が運転した車は通行人ら9人を負傷し、自転車に乗っていた母と娘の命を奪った。

しかし、彼の年齢や入院を理由に、退院後にも逮捕には至らなかったのだ。結果的には告訴されたが、それは遺族が厳罰を求める運動を起こしたからである。

通常穏やかな日本国民が、この時ばかりは家族への同情と司法制度への怒りを表し、39万人の署名が集まった。国民が激しく批判した理由は、一般国民が同様または重傷者のない事故を起こした場合では、年齢や体調を問わず即日逮捕されているからである。

2021年、飯塚幸三の裁判の結果は、禁錮5年の実刑判決だった。

不必要な身柄拘束を続ける日本の「人質司法」と、警察や検察庁の職権濫用は果たして、日本の法律に抵触しないのだろうか。日本の司法制度における人権侵害は、日本に古くから残る体質である。

日本の司法制度は人権を侵害する

 日本における刑事司法について、これまで国内でも度々議論されている。今回、ゴーン氏の逃亡と声明により世に知らしめ得た。「人質司法」を強調した米紙ウォールストリートジャーナルの社説に対し、当時の日本の法務大臣は反論文を寄稿した。このことは更なる議論を生むばかりか、日本国民の司法制度に対する信用を失墜させた。

反論文の論点のまず一つが、日本の有罪率が高いことについてである。ゴーンが日本の有罪率は99%以上であるため正当な裁判が受けられないと主張したことによる。

これに対して法務大臣は、日本の有罪率は検察官が犯罪の証明が可能か吟味し起訴に至った件数、すなわち有罪としてほぼ確定するであろう件数を母数として計算しているからだと反論。

それについては間違いではないが、ゴーン氏が自らの主張の中で有罪率という言葉を持ち出したのは計算方法ではなく、そのシステムである。日本では、一度起訴されたらほぼ有罪確定であり、無罪を勝ち取るのは非常に困難である。本来裁判所が有罪か無罪かを決めるのだが、ほとんどは検察官の裁量にて実質有罪か無罪か決定する。

 二つ目の論点は、取り調べ時の在り方についてである。日本では、不当な取り調べによって自白の追及が無いよう、被疑者は黙秘権を有し、弁護人の立合いがない代わりに取り調べ時の録音やビデオ撮影が行われる。

被疑者にとって最も弁護人が必要な取り調べ時に、被疑者一人で容疑を否認したり黙秘権を行使しても、取り調べが止まるわけがない。連日連夜にわたる長時間の拘束が続く取り調べを行い、実質的な黙秘権の存在はなく、それが自白を追求しない環境であるとは決して言えない。黙秘や否認を続ける限り、ずっと拘置所を出られない。

日本では逮捕後、刑事事件の被疑者は警察で48時間、検察で24時間の合計72時間に加え、勾留の20日間を合わせて、最長で23日間の身柄拘束を受ける可能性がある。世界標準では取り調べの時に身柄を拘束することが無く、日本の身柄拘束は国際基準に照らして異常だ。

日本でゴーン氏の弁護をしていた高野隆氏によると、手続きが進むにつれてゴーン氏は不安になり、特に妻のキャロルさんとの接触禁止という条件が、彼にとって絶望を与えたという。国際人権規約に違反するここのような人権侵害が慢性的にあるため、「日本の司法は人質司法」という残念な言葉が相応しい。

警察の特権である逮捕権の濫用

 警察法では「警察の活動は責任の範囲に厳密に限定されるべきであり、 公平中正を第一とし、個人の権利や自由の妨害などにその権限を濫用すべきではない」としている。

しかし、日本では被疑者および被告人に対する警察や検察の人権侵害が、日常的かつ慢性的である。軽犯罪も長期拘禁や代用監獄で捜査されており、これが逮捕権の濫用に当たる。必要不可欠な逮捕でなく、他人への注意喚起として個人の人権が侵害される。一般国民であっても、特に注目度の高い個人が事件や事故を起こすと、その人物の人生を軽視し、不必要な逮捕や拘束が行われる。

その一例として多くの日本国民が日本の警察に疑問を持ったのが、元人気グループメンバーが交通事故を起こした時だ。飲酒後にバイクを運転、前方の車に追突し他人を巻き込んだ。両者とも大きな怪我が無く、事故を起こした男性は警察に反抗することなく従ったが、酒気帯び運転の疑いで現行犯逮捕された。

また、死亡者36人、負傷者35人と過去をみない大惨事となった2019年の京都アニメーション放火殺人事件。日本のサブカルチャーであるアニメ業界での事件は、世界中のファンの間にも激震が走った。被疑者の男性は自らも全身にやけどを負い、自身で歩行できる状態ではなかったが、事件直後に身柄を拘束されている。

通常逮捕においては、逮捕状を取ることが必要であり、令状の必要のない現行犯逮捕や緊急逮捕でも、法により規定される要件を満たさなければならない。しかし、以上二例と先に触れた上級国民の事故後の警察の対応を比較すると、その不公平さは一目瞭然である。

もし被疑者の健康状態を考慮するのなら、全身を負傷した男性は身柄を拘束されるべきではない。高齢者であっても逃走や自殺は可能である。それが上級国民であるなら尚更、逃走や証拠隠滅を手助けされる可能性は高くなる。身柄の確保はあくまでも逃走や証拠隠滅の防止を目的とし、取り調べのために身柄を拘束されるべきではない。

理由なき勾留延長

 日本国憲法第34条では、「何人も、理由を直ちに告げられ、且つ、直ちに弁護人に依頼する権利を与えられなければ、抑留または拘禁されない。又、何人も、正当な理由が無ければ、拘禁されず、要求があれば、その理由は直ちに本人及びその弁護人の出席する公開の法廷で示されなければならない」としている。しかし、憲法の理想は形骸化され、正当な理由なく身体の拘束が行われている。 

その一例として、起訴前の勾留が5ヶ月を超えたケースがある。8件目の10日間の延長の理由の一つに、「被疑者取調未了」が掲げられている。5か月間の取り調べで被疑者は黙秘を行使し、再度、勾留延長を繰り返す。被疑者の意思を無視し黙秘権の尊重もない黙秘権侵害が、裁判官によって行われている。

別の例では、検察官本人が忙しいからと意見書の提出は2日後となり、正当な理由なく保釈の判断が持ち越された。日本では司法に限らず多くの場合、慣例が優先される。法が遵守されるためにその仕組みが一時的でも柔軟に変更されることは稀である。検察官にとって、彼らの都合で被疑者の勾留が続けられることは、守らなければならない慣例の一つであるに違いない。

またこのような例もある。被告人質問など行われぬまま、検察官は結審から論告までに必要な期間として7週間を要求された。その理由として人事異動を持ち出している。通常、判決は結審から1週間から2週間でなされ、裁判員事件なら即日である。裁判員の権利は尊重されるが、被疑者の人権においては検察官、裁判官とも侵害することに慣れすぎているのが実情だ。

日本では評決において、捜査段階での供述(調書)が決定的である。その大部分に関わる警察が、被疑者の身分や人種によって判断、または手柄を挙げることを目的に検挙や逮捕を法に則らずに行う。これもまた理由なき勾留と同様である。もちろん全てではないが、法の番人である警察、検察官、裁判官による二律背反のする判断は、人権侵害の他ならない。

見直すべき司法制度の問題点

 被疑者・被告人の人権が適切に保護されず、これまで国連からも批判を受けている日本の司法制度。他国の制度と比較すると、問題が顕在化するばかりである。

不透明な取り調べ
 英国、オーストラリア、米国などの欧米諸国や、韓国、台湾、香港などのアジアでは取り調べ時の立会人や録画などがなされている。しかし、日本では取り調べ時の立会人が許可されておらず、その代わりに身体拘束下の被疑者取調べの全過程の録画が2019年に義務付けられた。

録画を行うか否かを被疑者本人が決定することであるが、実際に録画される対象は全事件の3%である。逮捕されていない被疑者や参考人の取調べは録画義務付けの対象外だ。これまで発生した多くの冤罪事件が録画義務付けの対象外であるが、密室で行われる人権侵害があっても、その客観的検証自体が難しい。取り調べ時の弁護人立ち合いについては、法制審の特別部会で10回ほど議題に上ったが、最終的には「これまでの基準を再確認する」という結果に終わった。

2020年10月15日に開催された第6回法務・検察刷新会議にて、法務省は取り調べへの「弁護人立ち会いは可能、個々の検察官の裁量に任されている」という見解を明らかにした。しかし、この見解は、実情とは違う。弁護士が検察官に対して立ち会いを求めると、多くの場合「立ち会いを認める規定は刑事訴訟法にない」「全社的な対応として認められない」などと拒否される。

曖昧な黙秘権の告知と行使
 日本では殆どの事件において、犯人の自白なしに起訴できない。そのため、黙秘権を行使しても自白するまで勾留が続けられ、黙秘権の存在は無いに等しい。

黙秘権の告知は、アメリカでは自己負罪拒否特権に基づいて確立している法手続きの一つであり、逮捕時または取り調べ時に必ず黙秘権の告知がされる。日本でも同様に、「告知されない黙秘は黙秘権の行使に当たらない」という事態を防ぐために、黙秘の告知に関しても憲法の要請に該当することを明確化する必要がある。黙秘権を行使する当人が、その意義や内容を知り認識した時に、黙秘権の実効性を確保する。

暴走する警察の捜査
 アメリカの大陪審では、検察官が早い段階から捜査に加わるシステムがある。また、フランスには予審判事と呼ばれる裁判官が、捜査自体を主体的に遂行していく。一方日本での独自捜査では、検察官や裁判官のチェック無いため、警察内部で被疑者の身柄拘束がフリーハンドで行われる。この日本の制度は、被疑者が正当な理由なく身柄を拘束されてしまう所以である。

人権を無視した報道
 日本では被疑者・被告人の人定事項や罪名に限らず、全く事件とは無関係な家族や職場、人物像、前科までも、あらゆる写真や証言を集められ、ドラマのようなエピソードとともに報道される。報道規制はあるものの、それは当人や関係者の人権を保護するものではない。

例えばイギリスのように、犯罪報道において厳しく規制されている国もある。発生事実を超えて司法の進行を著しく妨げる場合などには裁判所侮辱罪として実刑が下される。日本においても、イギリスと同様の厳しい報道規制がされるべきである。

日本の刑事司法のあるべき姿

 警察や検察へ権力が極端に集中する、日本の刑事司法制度。それが故、不当逮捕や自白の強要を外部から裏付けることが困難である。不透明で一貫しない制度は、国民に不信感を抱かせる。国民の権利が守られないばかりか、むしろも警察や司法のために国民が存在していると言わざるを得ない。

日本の刑事司法制度を象徴する「人質司法」は、法の番人によって行われている人権侵害である。そして、司法の番人である警察によって、国民の権利は無視されている。

あとがき

 法を守るために、人々の人権が侵されるべきではない。法に基づき一貫した判断による身柄拘束、取り調べにおける黙秘権の告知と行使の実効、取り調べ時の弁護人の立ち合いまたは録画の確実化、そして、正当な理由での勾留延長の要請など、これら全てが直ちに実現されることは、これまで人権を侵害された日本の刑事司法制度による被害者と多くの国民が望んでいる。抜本的な法改正と制度の改革無しでは、先進国である日本の将来は期待できない。


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