信じる者は(足元を)すくわれる話
なんだか思うところがあったので、文章を書いてみた。
「信じる」「信じない」ってなんだろう。
これ、私の中では「解決できていないけれど、今の方向性だけはある。」
というフォルダに入っている事柄だったりする。
そんな哲学的な事を書きなぐってみた。
まだまだ視座の低い、若者の戯言として聞いていただけると嬉しい。
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「もしさ、職場で、めちゃ仕事できて、自分が辛いときもカバーしてくれて、超元気づけてくれて、かっけえなぁって思ってる友達がいたとして、ある日、見たことない人が『あの人は詐欺師だ!騙されるな!』って言ってきたらどうする?」
昔、友達が私に神妙な面持ちで聞いてきた言葉を思い出した。
昔の話なので、詳しくは覚えていないが、『イイ人だったら信じるでしょー』みたいな結論だったと思う。
最近、実は、「いいな、この人。一緒にいて落ち着くし、好きだなぁ。」と思える人がいた。
酔っぱらって電話してきたその人に、ふと、その質問をしてみた。
「もしさ、職場で、めちゃ仕事できて、自分が辛いときもカバーしてくれて、超元気づけてくれて、かっけえなぁって思ってる友達がいたとして、ある日、見たことない人が『あの人は詐欺師だ!騙されるな!』って言ってきたらどうする?」
『えー?俺ならちょっと距離をとるかなぁ?』
なるほど。と思った。もしかしたら、『いいと思った人は信じる』というのは、女性特有のアレなのだろうか。
いや、別に、彼は悪くないし、それが当然の反応だろうし、酔ってるから本音が聞けただけなのかもしれない。
だけど、なぜか、少し冷めた自分がいた。
もちろん、これから悪い事をするつもりもないし、したことは…ちょっとあるけど(お母さんの財布から500円抜いた)、
一般の人は防犯カメラの有無を気にしないように、こんな質問をしてしまう時点で、こんな言葉に心のどこかが引っかかってしまう時点で、私は犯罪者予備軍なのかもしれない。。。
自分で言いながらちょっと落ち込んだ。
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私はフリーで生きて、様々な正義があることを知った。
よく、サラリーマンとフリーランスで対立するような話を聞いたりするけど、私から見た現実は、むしろ、フリーの人や、経営者とかの、個人で生きている人たちの中の方が、宗教戦争みたいに信条がぶつかり合ったりして、混沌としているように感じる。
「この人にお世話になったから。」というものが足かせみたいになって、その後の人生が、サラリーマンより逃げ道がなくなっている人もいたり。
自分の名前で仕事をしていく時になって、「会社の名前」に助けられていた事に気づく。
転職、垢消しができない重さ。
誰かを巻き込む度に、吐くほど重さを感じ、自分の力のなさを呪う。
そんな何かしらを背負って、誰のせいでもない、全てが自分のせいになる世界で、ただ一人、孤独に戦う。
「頑張ったけどダメだった。」
この言葉だけは言わないようにしなければ。
と、喉から出かけても押し込み、必死で這いずって、涙も出ないほどの心の疲弊を抱える。
できない理由が後からたくさん出てくるけど、全てを飲み込み、背筋を伸ばし、何にもない顔をする。
そんな孤独な闘いをしてきた方々だから、きっと、誰よりもいろんな事を思ってしまうのだろうなと。
特に、いろいろ見てきた人は、余計に未来が見えてしまう。
「良かれと思ってやってるんだろうな。」
が、痛いほど理解できてしまう。
発車された列車の先に線路を作ってる人が見えて、その作業スピードじゃ間に合わず、最悪、作業者を轢いてしまうだろうな。ということも。
とてもきれいに正確に線路を敷くことができる人だったのにな…と。
「やばいよ、君、死ぬよ」
といったところで、その人には、自分が線路を敷かなきゃ列車が走らない未来しか見えていない。
でも、時代が変わったことも、100%というものがないことも分かってるから、自分のアドバイスが絶対じゃないことも知ってるから、難しい、と思う。
そんな靄の中にいるから、自分の宗教の一つや二つはできてしまうだろうと思う。
ただ、聖書と違うのは、この前まで信じてた神様が、予告なしに急にいなくなってしまったりする。ということ。
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そもそも、私は、思い込みが強いというクセがあった。
つまり、騙されやすい。
そりゃあもう、怖い大人に騙されたことや、いいように扱われた事は幾度となくあった。
詐欺師とか悪い大人って、ほんとすごい。
子供騙すのに躊躇ないw
特に、大人ぶった子供を騙すのが得意なようだ。
でも、そのたびに少し勉強して、少し大人になって、なんかもう、全て必要だったことなんだなって今なら思えたり。
(人間は最終的に後悔しないようにできてるものだけど)
人を操ろうとしてくる人もいたりする。
むしろ、大人になるとこちらの方が多いかも。
自分でやると名前が汚れそうなことを若い子にやらせたがる大人の人とかね。
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でも、今思うと彼らは騙している自覚はなかったんだと思う。
私はその人たちにとっての「己の正義」に振り回されただけなんだなって。
でも、振り回されたとか言うと言い訳くさいしなんか悔しいから、なんにも言わない。
実際、全てが悪い思い出じゃないし。
気まぐれな恋人だったな。って思うようにする。
だから、信じる信じないって、恋人の家族がトイレの蓋を閉める派か開ける派か。ってことを、自分も実践するかどうかくらい、シンプルな気がする。
恋人がなぜか非難されていて
やばいって思っても、その時こそ信じなきゃいけない、漢を見せなきゃいけないときもある。
だって、自分で選んだパートナーだもん。
たとえ、自分の選択が間違ってるって100人に言われても、その人を、自分だけは信じるんだって。根性いれる。
だって、本当に、大抵、本当の事は分からない。
何が正解だったかなんていも結果論。
それくらい、世の中は私にとって、複雑すぎて分からない。
でも、だからこそ、私にとってはシンプルでいい。
例えば、恋人が浮気したとして、浮気は、日本だからいろいろ言われるだけで、海外のどこかじゃそうじゃないかもしれない。
で、もしかしたら、明日目が覚めたら、みんな浮気オッケーになってるかもしれない。
そして、第一人者として恋人が勇者扱いされるかもしれない。
って思ったら、「好き」っていう気持ちが自分にあれば別れるとかそんなことどうでもいいのかもしれない。
というか、むしろ、恋人ってなんなんだ。
全て削ったら、結論、自分勝手な「好き」が残るじゃん。って。
だとしたら、「事実」なんてどうでもいいな。って思う。
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私たち般ピが信じる対象として、
「リーダー」とか、「責任者」って言うけれど、
最初からリーダーとして生まれてくる人なんていない。
きっと、優秀なリーダーのように見える彼らの過去には、きっと、たくさんの犠牲がある。犠牲を「結果良かった」という言葉でねじ伏せている。
そんな犠牲の上に立つ事それこそが、その人をリーダーたらしめていく要素になっていくんだと思う。
じゃあ、誰かをリーダーにしたいと思った時、
自分に必要なのは、『最悪賭けに負けてもいいや。この人の台座になれるなら。』
っていう、一種の諦めなんじゃないだろうか。
「じたばたすんな。あきらめろ。惚れたんだろ?」っていう。
そうすればあとは勝率を上げる事だけを考えればいい。
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余談。
「もしさ、職場で、めちゃ仕事できて、自分が辛いときもカバーしてくれて、超元気づけてくれて、かっけえなぁって思ってる友達がいたとして、ある日、見たことない人が『あの人は詐欺師だ!騙されるな!』って言ってきたらどうする?」
って彼氏に聞いてみた。
『変わらんやろー。』
「なんで?だって、自分が騙されるかもしれないんやで?」
『かもねー(笑)でもいいや。』
「その人の姿とか職場でしか見たことなくて、人間性とか不確かやで?」
『でも、いい感じに接してくれたら俺行動信じちゃうなぁ。まって、詐欺師っていい感じに接するプロだっけ?やばー俺騙されちゃうかも(笑)』
馬鹿だなーって言いながら笑った。
そして、何度目かの「やっぱりこの人だなあ。」を、心の中で呟いた。
おわり
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