地元が無い私の幼少期
私の幼少期について話をしてみようと思います。
特別何かが凄かった幼少期ではありません。
ですがその頃の経験からくる強さも弱さも、30年以上を経てやっと受け入れ、向き合えるようになった気がします。
もしご興味がありましたらお読み頂けると幸いです。
・1985年東京に生まれる
製薬会社勤務の父と、専業主婦の母のもと、一人娘として生まれる。
生まれてから幼稚園を卒園するまでの6年間を東京で過ごす。
習い事はピアノとバレエ。
・一つ目の小学校入学(広島)
小学校へ入学するタイミングで父の仕事の転勤で家族で広島へ引っ越す。
広島弁が分からず、標準語を話す私はあまりクラスに溶け込めなかった。
広島では平和教育にとても力を入れていて、道徳の授業で原爆についてたくさん学ぶ機会がある。
初めて戦争について学び衝撃を受けた私は、公園で遊んでいる時にヘリコプターや飛行機が空を飛んでいると、爆弾が落ちてくる恐怖で家に走って逃げていた。
この頃母は子宮筋腫で半年近く入院していた。
父は仕事が忙しく、祖母が私の面倒を見に来てくれていたが、この時期の楽しい記憶はあまり無く、寂しさや不安といった抽象的な記憶しか無いのである。
毎晩悪夢にうなされて、夜中に泣きながら起きていた。今思い返すと、完全に病んでいたのであろう。笑
・二つ目の小学校へ転校(広島)
同じ広島市内で両親が家を購入した為、2年生のタイミングで再度引越し、転校となる。
相変わらず広島弁に馴染めず、新しい学校でも方言でからかわれることが多かった。
バレエとピアノは広島に移ってからも続けていて、特にバレエにどんどんのめり込んでいく。
学校の友達と遊んだ記憶はほぼ無く、ひたすらバレエに打ち込んでいた広島時代。
スタジオに通うのが大好きで、このままずっと広島に住んで良いとさえ思っていた。
だが、、、
・三つ目の小学校へ転校(神戸)
5年生に上がるタイミングで、またまた父の転勤で今度は阪神大震災直後の神戸へ引越し、転校となる。
私はバレエの為に広島に残りたいと親に言ったのだが、幼すぎた為当然叶わなかった。
その頃の私は標準語ベースの変な広島訛りが入った喋り方をするので、ここでも始めのうちは私の日本語がからかわれることが多かった。
だが次第に関西弁が身体に入っていき、学校では関西弁、家では標準語の、変な日本語バイリンガル(?)となる。
でもたまに混ざって喋ることがあると、家でも「あなたいつから関西人になったの?」と親にも言われることで、
自分のアイデンティティやルーツがよくわからなくなっていく。
自分には “地元”と言える場所が無いことが虚しかった。
5年生ともなれば子供と言えど幾分しっかりしてくる。
“転校生と一緒に学校に行く” のが流行っていたのか、毎日違う子に「一緒に学校行こう」と誘われる。
どうしていいか分からず困っていたら、母に「誰かと一緒じゃないと学校に行けないような子になるな。一人で行動できる強さを持て。」と言われ、
「確かに、その通りだ。」と思い、強気でいるようになった。
母は一人娘の私にとてつもなく厳しい人だった。(理不尽多め)
そして私もそんな母に負けない気の強さを持った子供だったので、日々親子喧嘩は絶えなかったが、今ある私のタフなメンタルは、完全に転校と母親の影響は大きい。(良くも悪くも)
・崩れ出した中学時代(神戸)
そのまま神戸の公立中学に進学する。
相変わらずバレエもピアノも、5年生で神戸に引っ越してから中学へ入っても続けていた。
が、神戸に引っ越してから通い出したバレエの先生と相性が合わず、本当にその先
生が大嫌いで、泣きながらついに大好きだったバレエを辞めることになる。
この時の悲しさは、今思い出しても胸が痛くなるくらい切なかったが、
当時の自分はその気持ちを言語化でき無いほどまだまだ子供であった。
その後心配した母に連れられ他のバレエスタジオも色々と見に行ったが、
また新たな場所で、新たな先生、新たな人間関係の中でバレエを続ける熱意が完全に失われてしまったのである。
この辺りから私は少しずつ崩れ、荒れ出したと思う。
、、、、続く。
いや、正直続くかはわかりません。笑
こう書いてるとすごく暗いですが、もちろん楽しい思い出だってたくさんあるんですよ。笑
ですが私はこんな幼少期〜中学時代を過ごしました。
もちろん山ほど書ききれないことがありました。
どんな局面でも既に出来上がった輪の中に入らないといけなかった私。
「初めまして、よろしくお願いします。」を何回言っただろうか。
もし、今の私が当時の自分に声をかけるとしたら、
「よく頑張ったね」と言ってあげたいです。
その後、中学時代から今にかけても本当に色々なことがありましたが、
私は自分の人生で、常に自分探しをしていた気がします。(現在進行形)
現在は38歳となり、最近になってようやく自分の強さも弱さも受け入れて向き合えるようになってきたと思います。
過去の自分を認めれた時に、やっと本当の意味で前を向けた気がします。
私が幼少期に味わった苦い感情も経験も挫折も全て、私には必要だったこと。
私には“地元”は今も無いですが、
今では自分の居場所と思える家族を築けていることは、誇らしく思っています。
こうして書けるようになっただけ私には進歩なのです。
また機会があれば、続きも書いてみますね笑
お読み頂きありがとうございました。