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「煮詰まる」と「行き詰まる」

母はこの言葉に敏感だった。

子どもの頃から、家族でテレビを見ていて
「仕事が煮詰まっていたときに、相談にのってもらって・・・」と流れた時には、
はい、きました!!!という顔をして、すかさず突っ込みを入れる。

「煮詰まるじゃなくて、行き詰まるね!
頭良さそうなふりしてこれも分からないのねー!」
と、間違えた人の揚げ足取りを始める。

「行き詰まる」と「煮詰まる」の意味は以下の通り。

行き詰まる
1 行く手がさえぎられ、それ以上先へ進めなくなること。
2 物事が先へ進まなくなること。また、その状態。

デジタル大辞泉より

煮詰まる
1 煮えて水分がなくなる。
2 討議・検討が十分になされて、結論が出る段階に近づく。 例「問題が煮詰まってきた」

デジタル大辞泉より

「行き詰まる」はどうにもならなくなっているネガティブな状態、一方「煮詰まる」は上手くいっているポジティブな状態。

テレビでの発言は、
仕事がどうにも先に進まなくなってしまったから相談したというニュアンスだったので、確かに「行き詰まる」を使うのが正解。
よって母の言うことは正しい。

「煮詰まる」の使い方を間違える人がいるのは、
私の記憶に残る、母の揚げ足取りの回数からしてもかなり多かった。

ただ、子供ながら聞けば聞くほどに感じたことは、そんなに逐一言う必要あるのか?の疑問。
どうでもいいじゃん。
聞く側が変換できればいいんだから。

そんなことを思いながら大人になった、
ある日のこと、Twitterでとある作家さんが
「仕事で煮詰まったので気晴らしをした」
と投稿しているのを目にした。

「気晴らしをしたって、ちょっとネガティブなことがあったからしたんだよね?仕事で行き詰まったんじゃないの?作家なのにこのレベルを間違えるんだー。」

揚げ足を取るかのように、
その人の投稿に向けて突っ込みを入れた。

大人になった私は、母と同じことをした。

大人になるって怖い。
こうならないようにと思っていたはずなのに、
いつのまにか子どもの頃の環境に染まった大人になっている。

母はどう思っていたのだろう。

私たちが揚げ足を取る相手は芸能人や作家といった著名人。
仕事は順風満帆そう、お金だってたくさん持っているだろうし、なんとなく幸せに暮らしてそうに見える。それでいて、大衆に向けて言葉を発信すれば見てくれる人、聞いてくれる人が沢山いる。

どこを見ても比較すると勝てそうにない人に対して、何かしらの粗を探してマウントを取るための「煮詰まる」と「行き詰まる」だったのではないだろうか。
少なくとも私はそう。

人の間違いを指摘するのはいいこと。
でも、揚げ足を取るようなことはいいこと?

私はこの考え方を改めないといけない気がした。
自信がないから揚げ足を取ってほんの少しのマウントで喜ぶ。性格が悪い。

そんなこと言って、また「煮詰まる」誤用をみたら同じことを言ってしまいそうな気しかしない。
30年間で備わったこの性格を簡単には変えられない。

じゃあどうするか。
とりあえずこの投稿で、
知ってくれる人が1人でも増えれば、突っ込む隙が減るだろう...。
もちろん、自己肯定感を上げていき、人と比べないようになる努力が1番大事なのだろうけど。

そんな思いも込めて、この記事を書いてみた。
こんな悩みと戦う30代性格悪独身女なのでした。
人間なんてこんなもん??笑笑

最後まで読んでいただきありがとうございました。

jeni

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