お前が勝つためだけに生きているのはいいとして勝つためだけに生きてないことを理由にこっぴどくディスるのはやめてくれ。
タイトルオチです。
新聞とかに用いられる逆三角型の文章構成ってことにしよう。
まあべつにプロットとか組んでねえからこっから全部サイズバラバラのパズルだけどな!
ぼくの好きなもの
まず前提としてぼくの好きなものを二つ教えよう。
・自分好みの偏屈者
・同じ○○を気に掛けた知らんやつが書いたもの
例えば「やだー媚びたくない!」みたいなめんどくさいこと考えてるバンドマンとか、知らん奴が書いた○○の所感とか。
あとそいつらのことなんとなく気に入って読む、全然関係ねえことしか言ってない日記とか。
記事タイトルの『お前』はわたしから好きなものを取り上げる。宣教師のような顔で。
インターネットの必勝法
今、2023年4月のインターネットは『表現側に回りたい人』で溢れかえってごちゃごちゃになってしまっている。
だから、「人に見てもらいてえな~!」ってなると競争になる。
競争があると、『こうしなきゃ勝てない』とか『これ止めなきゃ勝てない』とかが出て来る。いわゆる必勝法だ。
「人に見てもらいてえな~!」という気持ちの重さにもよるが、現代のインターネッツ人で伸びたい人は勝つための工夫で表現する。
まあ、万事工夫は大事だ。
でも、工夫がすべてじゃないってことを忘れたら終わりだとわたしは思う。
ビジネスならともかく。あ~でもあんま行きすぎてるとビジネスでも終わり感は覚える。
で、残念ながら、オススメ表示とかで何かを見たり読んだりすると、マジで終わってる奴が多すぎて死ねるのだ。
勝つことが正しい世界で
必勝法の尺度を使うと、基本的に『工夫しているかしていないか』が先に来る。あるいは、『勝ってるかどうか』とかいう身も蓋もねーやつ。
だから、勝ってないバンドマンを見たら売れるための工夫をどれだけしているかをまず見る。曲より歌詞より先に見る。
勝ってない動画職人を見たら伸びるための工夫をどれだけしているかをまず見る。動画より先に見る。
わたしだって、そういう気持ちがまったくわからないわけじゃない。
全く工夫が見えない人の目標が大きいと「オイオイもうちょいなんか、できるとこない?」ってなるし、投稿場所が別だったら伸びそうだと「○○に上げたらもっと伸びそう」って言っちゃう。
自分がした工夫をしていない同類を見ると反射的に「しないんか?」と思うのだって普通の感情だ。
だけど、必勝法が全てになってしまうことに何の疑問もないとしたら、まあ少なくともキモいなとは思うし、いなくなってくんねーかなとも思う。
だってそういう奴らって、勝ってないコンテンツを非難してますます勝ってるものばっかりを勝たせ続けて、インターネットを『勝つためだけの競技』にしてしまうだろ。
お前が勝つためだけに生きているのはいいとして勝つためだけに生きてないことを理由にこっぴどくディスるのはやめてくれ。
実はこの記事を書く前、なんとなくnoteを巡っていたら二本連続で、とどのつまり『勝つ工夫をしていないお前は必ず間違いなのだ』って言いたいだけの伸びてる記事を踏んでしまった。
だからぼくは、誰もが勝つために生きているわけじゃねーんだよボケがってことを、もっとちゃんと言わないとと思ったのだ。
勝つより大事なものがない人ばかりじゃないし、勝つことに興味がないやつのくっだんねー芸術をケツでも搔きながら見てたい夜がないわけじゃない。
まあ、検索エンジンがSEO対策万全のアレコレばかりを表示するシステムに生まれ変わることで「あの本を読んでブログに感想書いた連中の感想記事全部読み切ってみよう」みたいな遊び方をさせてくれなくなった時点からそういう娯楽が死に始めたのは知ってた。
でも『正しい』みたいな文脈で進行を強められてるの見るとこう、ぶん殴りたくなるね。
これからもっとインターネットは勝つための道具になる。
たまたま綺麗な石を拾って集めるような、無邪気なことはさせてもらえなくなる。
眼球にめり込まんばかりに翳されたキラキラの宝石を売る商人が、邪魔な小石と言ってどっかやっちゃうのだ。
ああああ~~~返してよ! くだらないインターネットを返してよぉ……! あとかばんちゃんとジョネスの心臓も返してよぉ!
時間の流れは戻らない。人はお金の流れにそうそう勝てない。すんすん。
基本的に人間は面白くない。綺麗な石はたまにしかない。
だけどせめてこれ以上、お前が勝つためだけに生きているのはいいとして勝つためだけに生きてないことを理由にこっぴどくディスるのはやめてくれ。
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