母と私と~持っていきなさい
≪母、旅立ち後≫
今朝、いつも通りに朝起きて
いや、寒すぎてギリギリだけど
いつもより寒く感じるのは隣が引っ越して空っぽだからだろうか
えいやっと起きてお弁当を作り始める
ふと、ふきんに目が行った
そう、これはもう6年ぐらい前に母がくれた
大容量のふきんパックの最後の1枚だった。
忘れ去られたように残っていた1枚。
それを使い始めたのは母が息を引取ってから。
ふとそれに目が行くと
続けてよぎるのは
『そういえば、行くたびに何かもらっていたな」
ということ。
母は、なぜか調味料、掃除用洗剤、洗濯洗剤、
野菜、レトルトなど
日常の消耗品を必ずストックしていて
それを行くたびに
「持っていきなさい」と
私に持たせるのだった。
よく考えたら
ストックするのは、昔からの母の習慣だったけれど
実家を離れてからはあえて私のためにストックをしていたように感じる。
当の私は、そこにストックがあるから
当然のようにくれるものはもらっていただけなのだ。
母の、娘への想いなど考えもしていなかった。
怖いことに40過ぎても、だった。
(子供がいると違うのだろうか?)
ただ、途中からは
その量が多すぎるな、と思った時がある。
同じ洗剤を6つ。
同じ調味料を3つ。
なんでこんなに?とは思ったけれど
あまり気にしていなかった。
そう、
あの頃の母は認知はもう進んでいたのだと思う。
いくつも同じものを買ってしまって
さぞかし自分に落胆していたのだろう。
どのぐらい「不安」を抱えていたのだろう。
当時はまったくそんなことまで頭になかったし
気づけなかったのは申し訳なかったなと思う。
父も私も兄も、物忘れ程度にしか思っていなかった。
家族は母のことをちゃんと見てなかったのだろうか?
そんなことはないが、
家族の誰より母が家族をじっと見ていたのだろう。
それにもし、家族みんなが母の変化に気付かないとしても
それをひどいとか、冷たいとかいって
思い出を寂しいものにする必要がないのだ。
良いとか悪いとか
正しいとか間違っているとか
そういうことじゃなくて、
ただただ、母とのことが思い浮かぶ。
母って愛情深い人だったんだ、
私ってその母に、確かに愛されたんだ。
そう思うたびにふわりと優しい空気が私を通り過ぎるのだ。
ごめんねと同時にありがとうが重なる。