The Happy Prince
「Rock Reading 幸福王子」
10/24 昼・10/27 昼夜 公演に入った
まず初日は目に焼き付けること、流れを覚えることに必死で、ただただ目の前に推しが存在することへの言いようのない高揚感に支配されてた。
予習はさせてもらってたけど、自分が原作を読んだわけではないから話の大まかな流れとポイントの把握しかしてなかった。
それでもわかるほどにアレンジされた舞台だった。葦が薔薇になっていたり、王子の性格が荒っぽかったり、きっとぽんぴちゃんに合わせたんだと思うんだけど、、、
まずそこで意味を考えてしまった
流れとしてはお話しそのままだった。結末を知っていれば誰もが苦しくなるツバメと王子の話。
さて、そろそろ本題に入ろう
私は舞台を見にいくのが初めてで、ルールも仕組みも全くわからない無の状態だった。
喋って動く推しが目の前に来る感覚なら知っていたし、想像もできた。遠くに推しがいる感覚も知っていた。
知ってはいたが、あんなに美しく輝く人は見たことがなかった。
初演は確かに少しの緊張を残し、堅い部分もあったけど、演技の繊細さと迫力はあった。流石主演。なんて思って、すごく変だけど私が鼻高くしてしまった。
最初からキレる王子は訝しむ表情で物事を話す。眉を顰めてツバメと話す。苦しそうに叫ぶ。その全ての瞬間がまさしく「幸福王子」
街の人々の醜悪を忌み、貧富の差を嘆き、平等や幸福についての自身の考えを持ち、貧しき人たちに慈悲を与える。
快楽に溺れ、世を知らぬままの人間の時では知り得なかった世界に嘆く悲しい王子を見事に演じて、目の前に存在して見せた。
スポットを浴びない時だけは本髙克樹だったけど。可愛い人だなと再確認した。
27日の夜公演、カテコで彼は「市長と神の声が同じだった意味を考えてみてください」なんて言ってみせた。目から鱗。全く考えていなかったことだった。
言われれば同じ声だ、なんて思って、ない脳で考えてみようと思った。
王子は「あらゆるモノは自己中心的で自分ありき。でないと存在のしようがない。(ニュアンス)」と言っていた。
そこから考えられるに、声が同じだったことは主観的に見た時の愚かさ、醜さを表している。のかと。
これは友達の受け売りってか、影響をガンガン受けてからの感想なんだけども。
実際の市長や神の声質は違うのかもしれない。でも、王子にとってはどちらも耐え難いほど醜い存在であり、同じに見えたのでは?
また、王子は「宗教的」であることに「全てを神のせいにする」「責任逃れだ」と語った。
恐らく、この時点では彼は神に対して信仰もあったし、敬意も払っていただろう。
しかし、その後出会った神は人間のように主観で幸せを決め、その幸せを与えることを「いいこと」だと判断する。
天国での過ごし方を告げられた時、彼は失望したのだろう。
彼にとっての幸福とはツバメと共に過ごすことであり、周囲の人への無償の愛こそが幸せだったのではないか。
だから、それを見てきた神が理解していないことにも憤りを覚えたのではないか。涙が落ちたのはそれが大きな理由だったのでは、そう思った。
書きたいことは尽きないけど、一旦これだけで留めておこうと思う。
解釈違いだったり、考えが甘かったりすると思うけど、多めに見て欲しい…
京都公演も色々見て色々考えよう。