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夏、におい

ビー玉を転がすように自分の命を捨てたくなる、ふうせんを手放すように自分のすべてを捨てることができたらどれだけ楽だろう、ああでも、小さい頃はふうせんが欲しかった、ビー玉を机の上で転がした冬もあった、いつからわたしはこうなってしまったのだろうか、環境が変われば自分も変わるのだろうか、そんなことはないだろうな、ならば祈り続けるしかないのかもしれないと、ふと思った

「勉強なんかしなくてもいいからいつもみたいに本をたくさん読みな」と言ってくれた先生がいた、担任の先生はわたしのことをどうおもっていただろう、ほかの生徒にかける時間をわたしなんかに取ってはいないだろうか?と考えるのは自意識過剰なのだとおもう、夏の電車は涼しくて冬の教室は暖房がついているのに地獄のように寒かった、心が冷たかった、あの先生が学校をやめたのはわたしが自殺未遂した所為かもしれない、そうだったらどうしよう

ねえ、元気ですか、あの日の自分
腕や脚を切ることを覚えた日何を思いましたか、市販薬の値段はお小遣いと同じだね、全部足りていたらこんなことにはならなかったのかな、エナジードリンクやグレープフルーツジュース、お茶や水で流し込んだ錠剤は全部で何錠か今度数えてみようか、毎食吐いていたとき何を考えていたっけ、あの子と比べないでと耳を塞ぐ、(人と比較して勝手に苦しくなっているのはいつだってわたしだけだった)思い出は、忘れたのではなく思い出せないだけだって、においは忘れられないのなら、あの日の校庭の砂臭さはどこへいったのかな、あの子の声もあの人の声もわからなくなった、いつか顔も名前も忘れていって、忘れたことすら忘れるのだろうか?そんなのは最低なのではない、だろうか、最悪なんじゃ、

市販薬を流し込む、ゆるして、と泣きながら

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