見出し画像

読書 | 歌集⑦

 ここ数ヶ月で読んだ歌集にそれぞれさらさらと短い感想・一番好きな一首と評・その他好きな歌を書いていく。

 続き、⑧はこちら( https://note.mu/jellyfish1118/n/ne56d47d9f35f )

(目次)

宇都宮敦『ピクニック』
石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』
永井祐『日本の中でたのしく暮らす』
斉藤斎藤『渡辺のわたし』
山本夏子『空を鳴らして』
飯田彩乃『リヴァーサイド』
柳谷あゆみ『ダマスカスへ行く 前・後・途中』
雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』

​───────​───────

○宇都宮敦『ピクニック』(現代短歌社、2018)

 この歌集は大きくて黄色い。本棚からこの本を取って読もうとすると本当にピクニックのような気分になる。歌は、すらすらと軽くて、口ずさんでいるみたいな感触。「聞こえてくる」ことが多かった。

だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし

 安心感と、遊んでみせる陽気さみたいなものが良く、それは歌集全体に通底しているものだと思った。この呼びかけのような形で、読者に無意識に納得させる歌が多数あり、そのなかでも納得感が高くて好きだった。「旅でもない」というのは、いろんな可能性が考えられて、じわじわと広がってくる。個人的には、人生のことを表しているのかな、と思った。

〈そのほか好きな歌〉

三月のつめたい光 つめたいね 牛乳パックにストローをさす
左手でリズムをとってる君のなか僕にきけない歌がながれる
ネコかわいいよ まず大きさからしてかわいい っていうか大きさがかわいい
君の目は夏陽にうるみ灼けたねと言えばかもねとこたえ笑った

○石井僚一『死ぬほど好きだから死なねーよ』(短歌研究社、平成29年)

 言ってしまおう、という勢いと、言っておかなくては忘れて消えていってしまうのではないかという不安の二つがせめぎあっているような感覚を得た。僕は後者が強く出ている歌に、とくに共感を覚えて、だからこそのメッセージ、を受け取るように努めた。

夜になるほど狭くなっていく公園でいつまでふたりでいられるだろう

 「狭くなっていく」という感覚がとても繊細で、なるほどなと思った。たしかに昼の公園を想起したとき、ひらけている。公園、楽しいような寂しいような場所。夜が深まって焦点が絞られていってふたりの関係を思う。地球の朝と夜のように、安心と不安は同時にある。

〈ほかに好きな歌〉

雨の空に破いた遺書をさよならと放てば読めない文字は逝く蝶
きみが見えないどんな窓もきみを見るとき鏡になって
肺臓、と言っても水浸しの 救済は火炎瓶のような右手の不透明さ
生きているだけで三万五千ポイント!!!!!!!!!笑うと倍!!!!!!!!!!

○永井祐『日本の中でたのしく暮らす』(BookPark、2012)

 タイトルを見たとき、強い皮肉の歌たちを想像していたが、読んでみると本当に楽しそうに暮らす歌もあり、とても楽しく読めた。韻律や歌の中の認識の仕方が癖があって良かった。読後、煙草が頭に残った。

看板の下でつつじが咲いている つつじはわたしが知っている花

 この歌はなんだか読み終わりの感覚が変で、しばしその変さを味わっていた。倒置法のように認識の順番が入れ替わっていて、知っているから「つつじが咲いている」と言えるわけで、あとから知っていると言われると妙。でも、咲いているのを見て、あ、知っている、と思う順番も有り得るし、それがこの歌の順当な流れ。花を知っているという嬉しさが良く出ていつつ、叙述ミステリのような少し違和感のある述べ方にも見えるところが面白かった。

〈ほかに好きな歌〉

アルバイト仲間とエスカレーターをのぼる三人とも一人っ子
2月5日の夜のコンビニ 暴力を含めてバランスを取る世界
元気でねと本気で言ったらその言葉が届いた感じに笑ってくれた
あの人と仲良くなってこの人と仲良くならない 頭つかれた

○斉藤斎藤『渡辺のわたし』新装版(港の人、2016)

 ほかの歌集と比べてもよく分かるが、試みがはっきり見える。''渡辺のわたし''にまつわる家族の物語や、''あなた''と''わたし''の存在についてなど、読み進め易いところもあればその思惑に混乱して、考えなければ読み解けないような歌もあった。「読む」ということを意識しながら読んだ歌集だった。

公園通りをあなたと歩くこの夢がいつかあなたに覚めますように

 自分でも読めたのかどうか判然としないが、あなたと歩く夢があなたに覚めてほしいということは、わたしが、あなたに、わたしと歩く夢を見てほしい、ということだろうと読んだ。そしてその夢は、わたしが見た「あなたと歩くこの夢」であるということ。構造に目がいくものの、言葉運びの滑らかさ、「公園通り」の想起させる景の居心地良さがしっかり支えていて、一首として展開をいくつも持っているすごい歌だと思った。

〈ほかに好きな歌〉

生野菜サラダもつける システムを動かすのは人間なのだから……。
渡辺のわたしは母に捧げますおめでとう、渡辺の母さん
わたし、踊る。わたし、配る。わたし、これからすべての質問にいいえで答える。

○山本夏子『空を鳴らして』(現代短歌社、2017)

 母になるまで、母になったあと、飼っているウサギの話、がメイン。生活の中で見える色んなものが、自分の変化とともに少しずつ変わっていく。表紙の空をゆく鳥が、読後には少し意味が違って見える。

ママと呼ぶ娘の声に返事するずっと前からそうだったように

 もしかするとこれには類想があって、他に似たような歌があるかもしれない。けれども、歌集を通して、いろんな感情を経て、やっと生まれた子どもに呼ばれてそう思うと言われると、読者として嬉しさも一入。自分は男性なので、いつかママになるということはできないから、未来で共感することは出来ないけれど、僕の母もこういう感情だったのかもしれないと思うと、感動するものがあった。

〈ほかに好きな歌〉

こんなにもつばめはゆっくり飛べるのか子に飛び方を教えるときは
声は光 あなたに触れるまでの日を揺らがず照らす さあ出ておいで
「ストレスを溜めないコツは諦めること」という本 そうはいかない

○飯田彩乃『リヴァーサイド』(本阿弥書店、2018)

 水にまつわる歌が連なる。旧仮名遣いも相まって、読み進めるほど波光に濡れていくような気持ちになった。景色から内側の認識に自然に流れていく歌々がまさに川のようだった。

月光が指のあひだを伝ふとき世界は眼差しに満ちてゐる

 下の句に、はっとさせられるものがあった。静かに、一対一のように月光に指を絡ませるとき、世界の眼差しを感じる。静かな空間が急に危うくなるような。遠いはずであった「世界」という認識が、眼差しを通して一瞬に距離を詰めてくるような感覚があった。いろんな眼差しがあるだろうが、同じように月を仰ぎみている人も世界にはいるだろう。月から世界に意識が飛ぶ、その飛び方が綺麗で好きだった。

〈ほかに好きな歌〉

思ひ出は眠つてるから足音を忍ばせてゆくほかにないから
横たはるフローリングの冷たさよここより遠い異郷はなくて
舳先より遠くへ腕を伸ばしつつ風とは花を手放す力
いつの間にこんなところにたましひの切岸に立つやうな心地で

○柳谷あゆみ『ダマスカスへ行く 前・後・途中』(六花書林、2012)

 後に引く一首を他のアンソロジーで見かけて、その一首を一冊の歌集の中で見たいがためにこの歌集を買った。題名の通りの、ダマスカスへの旅の話。とくに行った後の、回顧しながら生活をする歌たちが心に響いた。

こんにちはみなさんたぶん失ってきたものすべて うれしいよ会えて

 この歌が、初めて見たとき感動した歌だった。言葉の質量、韻律、全てが完璧にはまっている、と思った。歌集の中で読むと、より「失」うという意味が重く感じられる。「失って」「すべて」「会えて」のリズムの良さ、「こんにちは」「うれしいよ」という軽快で簡単な言葉、そこからぽっかりと開く「たぶん失ってきたもの」の空虚さ。こちらが成長するとまた「失ってきたもの」の重さや「うれしいよ」の感覚が違って見えてくるのだろう。折に触れて思い出したい歌。

〈ほかに好きな歌〉

この道を戻ってください早すぎることがまだあるの はるかぜに砂
抱きしめているんだよだからそれでいいじゃないかそれに眠ってるんだよ
海に何があるのか思い出せないでいる海に何があったのか前に

○雪舟えま『はーはー姫が彼女の王子たちに出逢うまで』(書肆侃侃房、2018)

 題名から、ラブが溢れすぎている歌集なのかなと思い、少し読むのを敬遠していたものの、ちゃんと読むと『たんぽるぽる』のときのような瑞々しい感性がやはりあり、物語もあって非常に読みやすく楽しめた。表紙のカシワイさんの絵も良い。

くだり坂は気づきやすくて目がくらむどれだけ愛されていたかとか

 「くだり坂は気づきやす」いという発見も、改めて''気付く''という動詞をもって言われると新しく思える。そこから下の句に繋がることで、ますます気づきやすいことのつめたい怖さ、寂しさを感じる。「とか」にあるように、ひとつ気づいてしまえば色んなものも急に見えてくる。「目がくらむ」というのも儚い。また登れればいいけれど……そういう訳でもないか……と思う。

〈ほかに好きな歌〉

白鳥がかけぬけるだけほんとうのありがとうには相手はいない
忠実さにどう報いればいいのだろう外置きの洗濯機を抱いて
目ざめたら息が乱れていた私自由になるのかもしれなくて
まだ誰も通ったことのないような表情をするたまに道路は

いいなと思ったら応援しよう!