ワーホリ未遂

noteを書かなくなって2年。
生きるのが大変で大変で仕方なかった3年。
さぁ、4年目に突入しております。
サラッと話せば大失恋を経て、ワーホリへ行くも帰ってきた話です。今回は、そんなところ。

2022年
学生時代から5年半ほどお付き合いした彼がいた。
オーストラリアでのワーホリビザを取得し、仕事も辞めてあとは出発のみ!向こうに旅行で来てね なんて話してた。
出発まで1カ月、突然振られた。(失恋の詳細はもうあまり深く触れないことにしている、シンプルなのにあまりにも面倒だから。怨!)

語学学校2週間+学生寮2週間で予約をしていた。その2週間で仕事と家を探すプランでいた。
学費と寮費で20万円ほど払っていたし、航空券だって20万円ぐらいした。行かざるを得なかった。
知り合いがいない土地、家族や友達と離れた生活。
ただでさえとんでもない失恋をして、日本にいたってまともな精神状態じゃない。失恋してなくたって、家族との別れが辛くてホームシックなのに。
そんな状態で渡豪した私はどうなったのか
結論から述べると、2ヶ月で帰ってきました。
あらすじはこんなところ。すこーしだけ振り返ってみたりして

出発
とめどなく泣き続けた。一生分泣いたと思った。(この後の方がひどい)
飛行機でも涙は止まらず、トランジットの焦りでようやく正気を取り戻す始末。もう無理かも と、寮に着く前から思ってた。

生活
いざ着いてしまえばもう泣きじゃくるわけにも行かず。
何もかもわからない土地で 生きる ということに必死で、それどころじゃなかった!
着いた翌日はたまたま近くで移動遊園地が来ていたこともありお祭り状態。土地勘もなく、これは昼間に出歩いておくしかない!と思い、必死で行ってみた。
まるでNetflixのドラマに出てくるみたいな遊園地、目に映る全てのものがキラキラして、あ〜外国にいる〜!と気分が上がった。(本当に行ってよかった)

事前にTwitterでワーホリアカウントを作って、情報収集と仲間集めをしていた。その甲斐あって、向こうで仲良くしてくれた、助けてくれた方々がいた。この人たちがいなかったら、私は初めの3日で帰っていたと思う。
メインで仲良くしてくれたのは在住している日本人の主婦さん二人。二人ともベビーがいて、旦那さんはオーストラリア人だった。失恋の話も、帰りたいと泣きながら話す私も受け止めて、オーストラリアでの生活のことを一から全て教えてくれた。
そのおかげもあって、スタートダッシュで躓くことなく生活をスタートできた。

生活面は詳細に、ポジティブに、また振り返りたいななんて思っちゃうもんだから、また各所に分けてnoteに書こう。

そんなこんなで家も見つかって渡豪10日で学生寮から自分の部屋へ!
家を移って1週間、渡豪から3週間目に入ったところで異変が起きるようになった。一日中動悸が止まらない、震えが止まらない。眠ることもできず、夜には決まって一人で静かにパニックを起こしてしまう。このままじゃ死んじゃうかも なんて思い始めて、慌てて航空券を予約した。

慣れてきた頃故だったと、今では思う。
情けないけど、今ここで自分を守らないともう守れない。これ以上私に無理させられないな と思ったから
結果、帰ってきたことに後悔はしてる、でも、帰らなかった世界線を今でも想像できない。
どちらにせよ、あれ以上あのまま暮らすのは無理だった。だから、情けねぇ!恥ずかしい!どちらにせよ死んだ方がマシ!と思いながらも、自分の限界を認めて帰国したあの日の自分を正直褒め称えてすらいる、そこは後悔していない。

暖かく見送ってくれたのに、あの心境でよく頑張った!なんて快く迎えてくれた家族 友人 元職場。
帰国して3週間で仕事も出戻って、心を取り戻すために必死で生きる2年が始まった。
結果!私は2年で前より強くなった気がした、心が元気になった。
新しいことに挑戦できそう、してみたいかも と思い、仕事を辞め、転職することを決意した。

死ぬ気で 生きる に専念して3年
死ぬ気で生きてきた先の未来が今ここなら
3年前の自分は絶望するかも、なんて思いながら
また生きることに必死になる4年目。
転職もワーホリのことも頭に心にいっぱいで
また文字を綴ることにした。
これがこの先の自分を励ませたらいいななんて思ったりして!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?