#26 バッタを逃がした娘
娘が帰ってきた。
妻ではなく僕が出迎えると不満気な顔をして玄関に入ってくるのでもう迎えにドアを開けてあげることも無くなった。
薄暗い廊下からニョキっと出てきた娘はやはり俯き加減で口がへの字に曲がっていた。僕は洗濯物を畳みながら、ママは妹を病院に連れて行っているだけですぐに戻るよ、と言い訳をした。
いつも母親の姿が見えないとただいまも言わずにママはどこ?と聞くのに、今日はずっと俯きながら重苦しそうにランドセルを洗濯物の真ん中に置いた。
どうしたの?と尋ねもしなかったと思う。その前に彼女はすぐに口を開いて、モゴモゴとバッタを…逃した、とかなんとかいう声が聞こえた。週末に勝浦で捕まえてきたバッタを虫かごに入れてとても大事そうに昨晩から眺めていた。タブレットでバッタの好物を調べたり、水をどう上げたらいいか、捕まえたバッタはどんな種類かを調べていた。今朝も大事そうに虫かごを持って、自分で洗った上履きも忘れるほど彼女の頭も気持ちも占有していたあのバッタがいなくなったことを虫かごを見ると僕もすぐに気がついた。
あれ?バッタをどうしたの?と間抜けにもう一度聞くと、半分苛立ちながら逃したと言う。
僕も聞こえていることをどう言うことなのか戸惑いながら、逃したって学校でまた誰かに何か言われの?と尋ねると
「バッタをじっと見ていたら、外にとても出たそうだったから帰り道に逃してあげたの」
そうか、そうかと答えながら彼女の顔を見ると今にも泣き出しそうだった。よせばいいのに、僕は「寂しいの?」と聞いてしまった。
途端に、声にならない声をあげながら涙が意志を持ったように目から溢れ出てきて、何か分からないことを彼女はずっと絞り出していた。多分、逃してあげたいという気持ちと、もう逃してしまったら二度とその生き物と出会えない、取り返しのつかない別れを彼女は初めて経験したようだった。別れるということそれ自体と出会ってしまい、それも自分がなんとなく眺めているとしてしまった行為をきっかけに突如それがどういう意味なのか突きつけられた怖さなど、いろんな感情が溢れていたようだった。
なんとかそれを埋め合わせようと、もう一度明日バッタを捕まえに行きたい、バッタを捕まえたいと泣きながら話していた。
別れる。彼女は自分が歯を磨いたり、靴下をはいたり、ドリルをやったりと同じようなこととして虫かごの蓋を開けてみたんじゃないか。その直後に起きたことが彼女にとっては初めて受けいれられない、そんなつもりじゃなかった、行為と世界のアンバランスな接点を体験したんじゃないだろうか。
それは僕の推測だし、寝るときにはもうケロッとしていたし、晩御飯はおかわりだってしていた。
でも、あの1時間ほど泣きながらタブレットを開いたり、図鑑を開いたりして逃した後に今更あればなんちゃらバッタじゃなくて殿様バッタだったんだとかどうしても埋め合わせようとしていた。
これが悲しいことなのか、寂しいことなのか、彼女は多分意味はわかっていないだろうと思う。これから出会う色んな別れやら喪失やら、逸失やら、過ぎ去る時間やら、そうした色んなこととの連関で今日の出来事が意味づけされる時が来ることを願う。
彼女が行為の意味づけをし、責任を感じ、それでもというか、それだからこそ世界と関わる行為を彼女なりに見つけてくれたらきっと眠って翌日を迎えることができる。その時に、僕はきっといないだろうけど彼女は僕ではないし、僕は彼女ではない。この意味のわからないことだらけの世界と自分をなんとかやっていって欲しいと願う。