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未来は結局全部よくなるというお話

こんにちは。本日もお越しいただき誠にありがとうございます。Jegと申します。愛してます

本日は「未来は結局よくなる」というお話をさせていただきたいと思うのですが、これに近いお話は以前にもしておりました。

↑今年書いた記事の中でも結構気に入っている記事なので、お時間の許す方は是非お読みいただけましたら幸いです。


さて、結局のところ、未来は必ず良くなるようにできているような気がします。

というかもうほとんど確信に近いですね。

未来は必ず良くなります。

但し、それは俯瞰して眺めておりますと「アップダウンのある右肩上がり」のような気もします。

例えばこんなグラフですね。

自分の人生を振り返った時、まさに転機が訪れるその直前にはどん底と思えるような時期を経験していることが多いですし、その渦中に於いては幸福な未来への確信がどんどん薄らいでいったりします。

「やまない雨はないとかじゃなくて今降ってるこの雨がもう耐えられないっつってんの」という谷口崇さんの名言が脳内リピートされたりもします。

そしておそらく視野はこんな感じ。

目の前のことに精一杯で、とても「これさえ乗り越えれば」といった気持ちにはなれなかったりしますよね。

ですが事実として、もう少し遠くから人生を眺めれば、それは単なる一過程でしかないわけです。


やはり人生は右肩上がりでしかないのです。

株価も単一銘柄ではなく全体を俯瞰し長期目線で見ればアップダウンのある右肩上がりです。だからこそ投資は銘柄を選ぶ才能ももちろんですが、それ以上に「長期的な視点」「待つスキル」が重要と言われているわけですね。

目の前の大変なイベントをポジティブにクリアできるか否かは、この視点に立てるか否かにかかっているのかもしれません。


不思議なことがあります。

今ほど「遠くから眺めれば目の前の不安が解消される」といったようなお話を致しました。

ということは、先ほどのグラフで言えばできるだけズームにせず、縮小して人生を俯瞰すればOKというお話のようにも聞こえます。

ですが本当にそうでしょうか。

今度は限界いっぱいまでズームしてみましょう。

未来も過去も無い、今現在だけが残りました。これまた「今、ここ」といった具合に、過去や未来の不安が存在しない状態のようにも思えます。

では今現在の自分は果たして幸せなのでしょうか。

いえ、もう少し詳しく言いましょう。

未来も過去も直前も直後も一切関係なく、今まさにこの場で呼吸をし生きている自分自身をありのまま眺めた時、果たしてその人は幸せなのでしょうか。

これは私の予想ですが、この問いに対して何の迷いも無く「幸せです」と即答できる人は少ないのではないかと思います。

ここでもう一度さっきの図を思い出してください。


これを見て、「右肩上がりなんだから私は幸せなんだ」と素直に思うことはできるでしょうか。

「まぁ理屈はわかるんだけどね・・」と、やはりなんとなく曖昧な気持ちが心のどこかに残ってはいませんでしょうか。


さて、ここでお気付きいただきたいのは、どんなに「人生全体を俯瞰しろ」と言われても、どんなに「今、ここに集中しろ」と言われても、結局自分の人生が幸福か否かを判断することは難しいということです。

何故なら私たちは基本的に幸福の価値基準を「過去」や「未来」に問いかけ、導き出しているからです。

「幸福感」というのは一般的にはその瞬間瞬間の感覚として捉えられがちですが、本質的には過去の経験と未来への期待が織り交ぜられた、時間を通じた感情の蓄積なのです。

「幸福ですか?」と自問してみてください。

少なからず過去(直近)の幸せな瞬間を振り返って回答を導き出すのではないでしょうか。もしくは今現在の自分が感じる「未来に対する楽観的な見通しや希望」を基に幸福か否かを判断するのではないでしょうか。

「いやいや、今現在置かれている環境をベースに判断するよ」という場合にも、「今現在の環境」自体が過去の蓄積や未来への見通しを内包していますから、結局は過去と未来に委ねられた判断基準となるわけです。

どんなに今現在楽しい職場だったとしても、「来年リストラ候補者リストに載る」という情報を得てしまった瞬間、そこが「幸せではない環境」に塗り替えられるように。

そして私の言う願望実現とは、実はこの判断プロセスの舵を「過去」や「未来」の手から引き離し、「今現在の自分」の手に収める行為なのです。

「自分は今後幸せになれるのだろうか」という不安を手放し、「今自分は幸せである」と勝手に決め、過去や未来を手中に収めてしまう。

要するに「こういう環境だったら私は幸せ」とか「こうなれたら私は幸せ」とかいう条件をテーブルに並べて減点法で幸福か否かを判断するのではなく、先に幸せな人間になってしまえば本当に未来は必ず良くなるのです。

「ベルトコンベア理論」もそうです。幸福な自分を投げ込みましょう。それは時間差で現実となって返ってきます。

「幸せです」と唱えるメソッドもそうです。日常の出来事と幸福を紐付けしていきましょう。それは必ず幸せな未来として返ってきます。

「神様の奇跡が起きています」も「小さな奇跡を集める生き方」も「愛してます」も、全部そうです。

私のご提示する方法論は、突き詰めていけばすべて現状を度外視し「今現在の自分を先に幸せな人間に魔改造してしまう試み」に過ぎないのです。

潜在意識の観点から言えば、意識全体の95%を占める潜在意識に「今幸せな自分」を徹底的にインプットしてやれば、あとは何が起きてもその瞬間瞬間が全部幸せに塗り替えられるというシンプル極まりない方法論なのです。

ですがそれを確信して行動できる人は少数派です。だからこそSNSやニュースや、もっと言えばこの人間社会には漠然とした将来の不安が蔓延しているのです。

でも皆様は違います。

今この記事を読んでいる皆様は、最高に幸せな方々ばかりです。それは私の記事がそうさせているとかそういうお話でなく、事実としてそうなのです。

今現在がアップだろうがダウンだろうが、「考え方の土台」を基に実践を続けていけば、いずれどこを切り取ったって全部幸福な未来が必ず待っています。

だから、このメンバーシップにご入会いただいている皆様の未来は必ず良くなります。

もう過去や未来に翻弄されるのは終わりにしましょう。

人生の舵を自分の手に取り戻し、そして思いっきり握ってください。もう悩む必要なんて、どこにもないのです。


私は来年も、もちろん「願望実現」に特化した記事を投稿していきます。ですがその上で、今一度皆様にご理解いただきたいことは、「願望実現」は「幸福な人生を送るという目的の一部」でしかないということです。

「私の願望実現法はすごい!」「最強の開運法を教えます!」といった具合に自身のメソッドを誇示したい気持ちももちろんあります。

ですが私の発信の根底にあるのは、やはり「どうすれば幸せになれるか」という単純明快な問いに対する抑えきれない探求心なのだと思います。

保育園児でも意味を理解できるこの命題。

でも一歩そこへ足を踏み入れたら最後。何かを掴んだと思えばまたその更に奥へと誘われ、右にキラリと光るものを見つければ頭上で引き返せと声が聞こえ、ようやく抜け出した迷宮の外で悦に入るのもつかの間、それ自体がまだ巨大迷宮の中であったことを知る。

大の大人をこれほどまでに夢中にさせる謎解きには、もう二度と巡り合えないとさえ思えます。

要するに私は、フェルマーの最終定理に挑んできた数学者のように、単純明快な命題の背後に隠れた恐るべき難解さに、完全に取り憑かれてしまったのです。

後悔はありません。むしろスピリチュアル信奉者として生きざるを得なくなった奇妙な人生を誇りに思っています。

何より、そのルートを選ばなければ皆様に出会うことは無かったのですから、これはどう考えたって、結局どんなルートを歩んだって、最終的には最適解に導かれるという、何よりの証明だと思っています。

そしてそれを毎日実感させていただいている皆様に、私はいつも心から感謝し、そしてより一層良い情報をお届けできるよう、日々楽しく研究を続けているわけでございます。


明日は年末のご挨拶的な記事になるかと思いますので、本記事が実質本年度最後の解説記事となるわけですが、今年の記事たちはいかがでしたでしょうか。

まだ今年4月にオープンしたばかりのメンバーシップですから、試行錯誤でなかなか方向性が定まらない部分もあったかと思いますが、日々精進して参りますので、どうかご容赦いただけましたら幸いです。

いずれにせよ、この記事を最後までお読みいただけた皆様に心より感謝申し上げ、また引き続きこの奇人の発信にご愛顧賜りますようよろしくお願い申し上げ、本記事の結びとさせていただこうと思います。

本当にありがとうございました。

神様の奇跡が起きています。愛してます

Jeg


本心ですね。

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