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「夢」のお話

(この記事の文字数:約2800文字)

こんにちは。本日もお越しいただき誠にありがとうございます。Jegと申します。愛してます

さて、本日は少し私のエピソードをご紹介させていただきたいのですが、このお話は「何故そうなるのか」といったような具体的な解説は致しません。

各々の中で自由に解釈していただければと思いますし、Jegという奇人が普段から考えてるようなことをただ淡々と書くだけのものとなりますので、「まぁ読んでやるか」程度の感じで気軽に読み流していただけましたら幸いです。



人が本当の意味で幸せを掴み取るための一歩目は、いったい何なのでしょうか。


幼少期。私にとっての未来は、無限の可能性が散りばめられた得体の知れない代物でした。よくわからないけど何かワクワクすることが待っているような、なんとなく楽しそうだと感じるような、いずれにせよ未来は漠然と輝いていたのです。

これは「自分は何者にでもなれる」と心の底から思えていた最後の時代でした。

皆様にも、テレビを観たり本を読んだりするたびに「こうなりたいな」「ああなりたいな」という希望が生まれ、起きる出来事一つ一つが何らかの驚きと気付きを与えてくれた、そんな時代があったのではないでしょうか。

そしてこの段階では、おそらく「夢」が「現実」の延長線上にあると信じることができたはずです。

ですが中学生になり、高校生になり、「進路」という課題に向き合い、「こうあるべき」「これが社会人」「これが大人」といった価値観がいつの間にか自分にとっての「当たり前」として定着する頃、「夢」の意味合いは完全に別のものへと変貌を遂げます。

つまり「夢と現実は別物である」という事実を否応なく自分にインストールすることを世界から求められるようになっていくのです。

ここへ「就職」「結婚」「子育て」が加われば猶の事そうでしょう。

夢はあくまで夢。あるのは現実のみ。

いい加減現実を見なよ、といった具合に。


私の夢は「ミュージシャンになる」というものでした。小学生の頃に芽生えた夢です。

それは大人になるまでずっと変わることはありませんでした。

たぶん初めてお話しすると思うのですが、私は教育学部を卒業しています。教員免許も小中高すべて持っています。

でもそれは別に教師になりたかったからではなく、「自分はミュージシャンになりたい」と恥ずかしくて誰にも言えなかったからです。

だからこそ、高校時代に「早く進路を決めなければならない」というプレッシャーから逃れる為、「教師になろうと頑張っている姿」で自分を塗り固め、「現実を見ろ」と周囲から言われるリスクを、少なくとも見かけ上は回避していたわけです。

就職先は教員ではありませんでした。

そして27歳の時、決定的な出来事が起こり、私は完全にミュージシャンになる夢を捨てる決断をしました。ギターを触ることも歌を歌うことも、すべてが忌まわしく、音楽を聴くことさえ苦行に思えるようになりました。

15年以上抱いてきた夢は、こうして終わりを告げたのです。


いつの間にか私は本を書いたり記事を書いたりする、変な世界の住人になっていました。

別に文章を書くことが好きだったわけでも、得意だったわけでもありません。気付いたらここにいた、といった感じです。

もちろん、どういった経緯でこうなったかを克明に思い出すことは可能です。詳細な年表を作ることだってできるでしょう。

ですが感覚として、やはり「ワープしてきた」という表現が一番しっくりくるのです。

そしてどういったわけか、いつの間にか住み着いていたこの世界は大変に居心地がよく、また自分に何のプレッシャーも与えてこないのです。

いえ、プレッシャーを与えてこない、というのは少しおかしな表現です。

もともと、周囲からのプレッシャーなど無かったのです。

あったのは私の思い込み。つまり「ミュージシャンになれなかったら自分の人生は嘘だ」という気持ちと「どこかに就職しなければ立派な大人ではない」という相反する2つの気持ちの狭間で右往左往していただけだったのです。

「こうあるべき」「こうでなければならない」・・「という気持ちを持たなければならない」という強烈な思い込みに翻弄されていただけだったのです。


とても不思議なことに、あれほど「夢」に固執していた自分が、かつての理想像からかけ離れた場所にいる自分に、今は十分満足しています。

それは収入がどうなったからとか、家族関係がどうなったからとか、そういう具体的な理由に起因する気持ちではありません。

言葉にすることは難しいのですが、最も端的にこの気持ちを表すなら、それは「解放感」ということになるのかもしれません。

今からトップアスリートや芸能人になることが不可能だったとしても、かつての夢であった「ミュージシャンとして生計を立てる」ということが一生無理だったとしても、それは今の私にとっては悲しむに値しない、本当にくだらないことです。

もっと言えば、明らかに今の生活の延長線上にあるような夢、つまり「ベストセラー作家として全国的な知名度を獲得する」といったような願望に対してさえ、叶わなかったらそれはそれでいいや、と本気で思っています。

何故なら「そうなれなかった」のであれば、それこそが自分にとっての最適解だったのだと、今ならそう思えるからです。

「これが違うなら次」「これも違うなら次」と、ただ前を向いて進んでいけば、その先に必ず明るい未来が待っていると確信しているからです。

そして自分を苦しめるような執着は手放し、淡々とベルトコンベアに愛を投げ込み、ただ目の前の小さな幸せを一つ一つ集め感謝し続けていれば、自分が本当に望む未来へと導かれることも知っているからです。


気付いたことがあります。

今私が見ている世界は、「ミュージシャンになる」という夢が芽生える前に見ていた世界と、同じ世界なのではないかと。

実は「こうでなければ自分の人生は嘘だ」という執着を完全に手放した瞬間、私にとっての未来は「無限の可能性が散りばめられた得体の知れない代物」に戻っていたのです。

もちろん今は昔のように「何者にでもなれる」なんて思ってはいません。でも依然として未来は、今も漠然と輝き続けていたのです。

よくわからないけど何かワクワクすることが待っているような、なんとなく楽しそうだと感じるような、そんな懐かしい未来が、長い年月をかけて、ようやく戻ってきたのです。


もちろん夢を持つことは素晴らしいことです。それを叶える為にあらゆる方法論を実践することも、人間の成長にとっては必要不可欠なプロセスです。

そもそも私はその方法を解説する発信者です。

でも心のどこかに、いくつになっても、何が起きても、未来は依然として美しいままなんだという気持ちを、それこそ幼少期のままの視点で、抱き続けていただけましたらと、そう思っているわけでございます。

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