僕がまたカンボジアへ行く理由。
今年の8月、カンボジアへ渡航する。
2018年の2月に初めて訪れてから、気づけば今回で13回目。
コロナ禍に渡航して、2週間ホテルで強制隔離したのも記憶に新しい。
また、トビタテで半年留学したのも、ついこの間のように感じる。
今のところ社会人になってからも、1年に2回は渡航している。
そしてこれからも定期的に渡航したいと思っている。
なぜそんなにカンボジアに行くのか。
なぜ日々の娯楽を我慢して貯金して、貴重な有給休暇をそこに使うのか。
渡航まで1ヶ月を切った現時点での答えを言語化して記録しようと思う。
『責任感』
これが一つの答えである。
きっかけは2018年の8月。
当時、大学2年生の自分は、カンボジアメコン大学で、インターンシップをした。
期間は1ヶ月半。決して長いわけではない。
活動内容は日本語学科ビジネス学科(現日本語学科)におけるTA。
そこで現役生、卒業生含め約30名の現地学生と関わった。
日本語の課題を手伝ったり、当時やっていたよさこいを教えたり。
専門のドイツ語を教えてみたり。
かなり充実した時間を過ごすことができた。
帰国後、活動を振り返った。
「自分の価値観が変わった、ためになった、自分に足りないものが見つかった。」
そんな気づきを得た。
それと同時に、自分は一体何を与えることができただろう、という疑問が生じた。
別に支援したくて行ったわけではない。
何か自分にできると思って行ったわけではない。
しかし自分にとってプラスになっただけで本当にいいのだろうか。
そんな考えが芽生えたのだ。
教育を専門にしていないそこら辺にいる日本人大学生がふらっと現地大学に行き、半分遊びみたいな感覚で現地学生と関わっただけだった。
自分の糧にはなったが、関わってくれた人たちに何もできていなかった。
むしろ、彼ら、彼女らの人生に足を踏み入れ、勝手に自己満足してただけだった。
そのやるせなさというか、後悔というか。
上手く言葉にはできない。
しかし誰かの人生に良くも悪くも影響を与えてしまった気がした。
だからこそ、1回や2回の渡航で終わらすのは無責任な気がしてしまった。
中途半端に終わらすのは自分の中で納得がいかなかった。
そこで得られたものが大きかったからこそ。
今までもこれからも、渡航したからといって何かすごい大きなことはできない。
むしろ渡航するたび、毎回何かを与えてもらっている。
変化する街、お世話になっている先生たち、仲のいい友人、現地の家族。
いつもこんな自分を温かく迎えてくれる。
だからこそ、その時その時で自分のできる範囲内で、何か返したい。
けど何もできることがない。
そんな終わりのない、答えが見つからない旅を続けている。
カンボジアについて飛行機を降りる。
その瞬間に感じる熱気と、独特な香り。
いつもこの時に多くの思い出がフラッシュバックする。
この感覚がたまらなく好きだ。
さて、今回は何が見つかるだろう。
何が自分にできるだろう。
そんな永遠に終わらない答え探しを、責任感に任せて渡航する。
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