店員の新たなかけ声(雑文)
週末、買い物に行った。ららぽーとの服屋さん。
「セェ→↑」
いつものカジュアルセレクトショップで聞こえる、いつもの男性スタッフのかけ声だ。
いつも
「(いらっしゃいま)セェ→↑」
と言っている。()の部分は一切聞こえない。やたら語尾を上げる。これもブランディングだろうか。慣れてるんでしょう。いつ行っても、語尾を上げてくれる。豊かな低音ボイスを決して荒らげず、爽やかさの対極からドープな一語でまくし立てる。
「セェ→↑」による効果。伸ばした子音を声帯で掴み、指数的にグィーンと持ち上げる。鼓膜の向こう、蝸牛の奥までねじ込んでくる。端的に言えば、気持ちわるい。
「セェ→↑」による接客。無駄を削ぎ落とした一語でお客様をおもてなしする。さしずめ、現代接客におけるミニマリズムの極み。言い過ぎやな。意識したら、いろんなお店で聞くけどね。こちらは正面から応じる必要もなく、無表情で店に入る。
「セェ→↑」による安心。正直なところ半分ぐらい、これを聞きに来ている。気持ちわるさを超えたら、快感になるんだろうか。この店員さんがいないと寂しい。これ以上のかけ声はないと思っている。今日までそう思っていた。
…そして今日、ついに「セェ→↑」を超える、新たなかけ声を耳にした。
いつもの店で、僕が服をみていると、背後から、
「タッ。」 「タッ。」
?!
(タッ。?)
(…あ?うん??)
やけに詰まりよい単音。というか、なんだ?タッて、なんだ?何かに当たったような音じゃない。今確かに「セェ→↑」の人が、その声で「タッ。」と言った。
「タッ。」 「タッ。」
と。
耳のほうは確かか?聴力検査で引っかかったことはない。これは何の意味があるのか?もしくはないのか。何かの暗号か?ここは現実か??この戸惑いは誰のもの???
反射的に、「せぇ」の話をしてすぐだった奥さんのほうを向く。すると、あちらも吹きそうな顔をしていた。そだよね。間違いない。
これは事件です。
耳に聞こえた状況を把握しよう。店員は2度、言い放った。自分の背後から、1度目の「タッ。」そのあと、足早に数歩を進めて、2度目の「タッ。」だ。2度とも、抑揚は変わらない。まるでシューティングゲームの通常弾のように、派手なエフェクトもなく放たれた。背後から、どこかに向けて。
いまいち事態を掴めず、泳ぐ視線を店員に向ける。店員は早足でかけていく。どこだ?店員の向かう先は。
焦点を伸ばしたそこには、試着室があった。そして、試着室から客のお兄さん(パパイヤ鈴木風)が、はにかんだ様子でコチラを観ていた。
あぁ、そうか。店員は、試着を終えたお客さんに向けて「タッ。」と言っていたんだ。
その瞬間に憶測した。
もしかして、
「(ありがとうございまし)タッ。」
か?
大概、試着や購入に前向きなお客さんには、感謝の気持ちを伝えるもの。奥さんと見解を確かめあった。あれはパパイヤへの感謝ではないか?そして、一致した。
「(ありがとうございまし)タッ。」
これです。僕らが探していたものは感謝。まさに店頭での優良なカスタマー体験への源泉、感謝。これだったのです。
「タッ。」せめて「シタッ。」だろう。人類はここまで略せるのだ。もはや、おもしろいとか、そんな話ではない。「タッ。」という、難攻不落の暗号を解けた喜び。そして、そこには感謝があった。他に何を望みましょう。
収集がつかなくなってきた。そろそろ、話を終わらせたい。無理矢理、終わらせよう。ここで僕らはまたひとつ、大きくなれた気がした。店員さん、ありがとうございました。また来ます。みなさん、貴重な時間を奪って申し訳ないです。
さようなら。また行きます。
もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。