サービスで人の欲求も痛みもムゲにしない
どんな体験も、人が中心にあると考えます。自分が興味のないサービスには見向きもしないし、続かないアプリは消します。こんなドライなのに、サービス設計に取り組もうとしています。
よほどの強いニーズがなければ使われない。この“よほどの”を探すうちに、自分の取り組みが正しいのか、書きながら反証して確かめたくなりました。きっとこのモヤモヤは結果でしか消せないのだ、と思うし、大したノウハウも結論もないけど、よかったら読んでいってください。
思いや前提がユーザーたる誰かの本心をぼやかす
たとえ個人でそうしていても、ビジネスを考えるとき、つい私たち(事業)の視点から人のニーズを掴もう。で、
(「このユーザーはこう思ってるに違いない」)
それに従って、理想的な体験(TO BE)を描こう。
(「こう思ってるからして、こう行動するに違いない」)
などとしてしまう。
取り組みへの思いが強かったり、既存の事業やサービスがあればあるほど、それらが先立ってしまうように思います。思い込みや仮説立てた“その人”は、言葉や記号で綴られた点の集合。ハッキリ見えてるようで、ぼやけて見えていない。あくまで仮説的なユーザーやペルソナに過ぎない、と思い留めます。
ビジネスのため、人の欲求(ゲイン)と痛み(ペイン)を掴むのか?
事業者は見えないユーザーがどんな人なのか、何を求めているのか知りたい、と願います。なぜなら、興味のあるサービスや継続するアプリを成功させるヒントを得たい。
その人には、サービスやアプリを使うだけの理由があるか。
“ユーザーニーズ”なんて言葉よりも、もっと欲深く、もっと詳細に。プロファイリングやインタビューといったリサーチ、テストを実施して、その人の欲求(ゲイン)と痛み(ペイン)を掴もうとします。
人によって、触れられたくない部分もありそうです。
根っこを知るだけの価値を提供できるか?
ふと思います。
そんな心の根っこの部分を探っていていいんだろうか?
自分たちは、人によって聞かれたくもない、それを知るだけのコレ(何?どれ?)が提供できるのか?
もし自分がそんなリサーチやインタビューだけやって、その人に具体的な価値を提供できないのなら、知る権利はないな、と思います。
ビジネスニーズはビジネスニーズ、人のことは人の勝手。でも、サービス・事業者は、単なる利益以上に事業そのものや社会課題のようなものも意識しています。自分たちが“その人”をムゲにせず、“その人”に社会の中でどんなに大きな価値を提供できるか。それを見失わないように。
とんでも抽象論ですが、昨日も今日も、たぶん明日も問答しています。