感謝について
感情とは勝手に湧いて消えるもの
感謝も一緒で湧くもの
例えば、生活していて自分1人で生きているわけじゃないんだな
感謝の念を感じることで人は幸せになれます。
でも人は
「なかなか感謝ができない」
と思い込む生き物なのだそうです。
これが洗脳らしいです。
学校の道徳の時間で生徒が
「おばあさんが道を渡れなくて困ってました。それを助けて授業で発表してみんなから褒められました」
と発表したとします。
でも良いことをする事はみなさんから賞賛されるためにすることではありません。
自分が気分良くなるためにあります。
助けたい人と助けたくない人がいて「助けないといけない」という風潮は感謝でも優しさでもありません。
そういう植え付けをされるとどうなるのか?
誰かが褒めてくれるのを待つようになります。
これだと自分がありません。
一個人の魂として正しい状態とは自分が目的があってやりたいことがあって好奇心があって周りにあるものを使って好奇心を満たしていく
これが本来のあり方
本来の自分がありながら「正しい行いをしよう」と植え付けられると正しい行いをした後褒めてくれる人が必要になってきます。
正しさを認めてくれる人がいなければ正しさが正しさではなくなってきてしまうからです。
正しさベースでいうと誰かに従うことがその人の幸せの絶対条件になってきます。
ではなぜ洗脳が行われるのでしょうか?
みんながやっていて統率しやすいから。
上の人達は知っているから。
ちなみに感謝という事で捕捉です。
感謝を伝える先に神社があります。
神社というのは普段与えてもらっている素晴らしいことに感謝(お礼)をするところ。
一礼で自然の恩恵にもう一礼で自分の先祖も含めた自分に一礼
神社とは感謝を向けるフィールドなのでお願いはしなくて良いそうです。
そして無理に神社に行かなくても感謝ができる先があれば良いのだそうです⛩