煩悩。Third culture kidとして生きること。

年を通じてノートを書くことはあまりありませんがせっかくの長期休みだし、今までの人生経験をもう少し綴ってみようかなと。日本語こそはネイティブのシンガポール人ですが小説家でもありませんのでお見苦しい文章になるかもしれませんがよろしければ是非。

私は2001年にシンガポールにて生まれた後、ちょうど17年前の2007年に日本に移住することになりました。当時まだ6歳未満だった自分はある日突然、両親にまんま「We're moving to Japan」と告げられ急な日本移住が決定しました。移住して間もない頃の日本は朧げながら、そして幼いながらも今とは確実に印象が違いました。スマホもないガラケーの時代、現代と共通して同じなのはウオッシュレットくらいでしょうか。確実に印象が違う理由として日本語、日本文化の理解度が上げられると思います。

よく聞かれる質問トップ3に入る「ハーフなの?」「家では日本語なの?」についての回答ですが、うちの両親はどちらもシンガポール人で、家では英語、時たま英語と中国語が混ざった「Chinglish」です。シンガポールではよくある光景ですが、日本では珍しい部類に入るかもしれないです。そんな言わばChinese(華僑)の環境で育った自分ですが、日本ならではの文化・慣習もよく染み付きました。

咄嗟に出る日本語の独り言、お店を出た後のご馳走様です、ありとあらゆるシチュエーションでの慮り、どんな時もお辞儀が出てしまう癖。(日本にいる時限定ですが笑)枚挙にいとまがないですが、これらは日本ならではの癖だと思いますし、自分でも正直気に入ってます。そして、喋るのこそ少し苦手な両親ですが同じようによく日本文化をよく理解していると思います。

移住して間もなかった頃、日本語の「あ」さえ分からなかった私は想像できないくらい苦労しました。「言語はただのツールだ」とよく言われますがそのツールが欠如した時、コミュニケーションが成立しない時のストレスは半端じゃないです。ましてや旅行や娯楽ではなく日常生活の一部として。今でもよく話すジョークなんですが、海外の幼稚園って自分のおやつ持っていく文化があるのである日ドーナツを持って行ったら幼稚園の先生に没収されてめちゃくちゃ泣いたの覚えてます笑。

月日が流れ、小中学校の時代。これもよく聞かれる質問トップ3に入る質問ですが、「なんで日本国籍にしないの?」について。今でこそ答えは見つかっていますが、知識がなく浅はかな自分はいつも「確かにそうだ、今後も日本にいるんだったら日本国籍にしない意味がなくない?」という思いでいっつも親に国籍を変えたいと言っていた記憶があります。今ではシンガポール国籍・日本永住権を持つ自分ですが、不満はなく、むしろとても満足しています。将来どちらの国で働くのにも有利ですし基本的にどちらの国からも色々な恩恵を受けることができます。結局何でシンガポール国籍を手放して日本国籍を取得しなかったか?ですが、シンガポール国籍を手放したとて兵役の義務は消えないですし(日本とシンガポールのハーフではないため)やはりメリットがないからに尽きると思います。

まあそんなことはさておき、葛藤がピークに達したのはやはり中高の時だったかと思います。日本べースの価値観を持つシンガポール男児の思春期 x 華僑の親の価値観ってのは最凶・最悪のコンビだと自分は思っていてとんでもなく争いが勃発します。現役当時もやはり医学部に行きたかったので高校受験は普通科の理系に行こうとしたのですが親は理数科に行きなさいと要求。どうも普通科だと医学部に行けず理数科しか行けないと勘違いしたらしく説明を試みるも話を聞いてくれない。こういうこともあり喧嘩が絶えなかったです。

少し話は逸れますが、両親に感謝しなければならないことはたくさんありますが、その中でも一番感謝しているのは「英語力の維持」です。初めてお会いする日本人相手に自己紹介をすると上記にもあった怒涛の質問コーナーから始まり、「じゃあ日本語はどう学んだの?」あたりで落ち着きはじめ、生い立ちを話すと大抵納得してまた遜色ない世間話に戻ります。ですが、稀に鋭い人は「なんで英語も喋れるの?インターにも行ってないのに」と意外な質問を投げかけてくれることも。(そういう所に気づけた方には心の中で花丸プレゼントしてます💮)

ネイティブレベルの英語力が維持できたのはやはり両親、特に母親が幼少期から学校の時間外で熱心に、時には熱心すぎるほどの英語教育に時間をかけてくれたからです。英検も受けさせられましたし英検を受けないにせよvocabulary・Writing・readingはいつもやらされました。そのおかげでもちろんセンター・各大学の英語の二次試験に困らされることはなく、非常に助かりました。また、幼い頃から培ってきた英語力は、今在学中のTrinity College Dublinの受験に必要だったIELTSの取得が兵役の最中でもできたことや英語で行われる医学部の講義についていけることにも大きく貢献したと思います。

余談ですが、アイルランドに住み始めて2年間、Where are you from?の回答にはすごい困りました。I'm from Japanだと日本人って思われちゃうし、I'm from Singaporeは母国が日本よりも疎遠に感じる自分にとっては少し腑に落ちず。結論、I'm from Japan but originally from Singaporeに落ち着きました。それが長年築いてきた自身のidentityですし、今後もそれで続けるかなと。

題名にもある通り、Third culture kid(二つの国ないし二つの文化のはざまで育つこどものこと)として生きてきた自分は人並み以上にたくさんの苦悩や努力をしてきたと自負していますしその分のリターンもあったかと思います。自分とは構成・バックグラウンドが違えど似たような環境で育った人、これからそんなお子さんを持つご家庭もあるかと思います。あくまでも僕個人の意見ですが、皆共通して違う文化・言語の良さを同時に理解できるのは非常に貴重なことだと思いますし、少なくとも自分はその生き方が心地よいです。シンガポール人と話すときは同じくシンガポール人のように話し、日本人といる時は日本人みたいに振る舞う。これからもハイブリッドに生きていきます。

それではまた!




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