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「インド旅行記」

 若い頃、大学生の頃だ、アルバイトをしてお金をためては海外旅行をした。
 インドへ行ってみようと思った。
 前の彼女が、偶然にもインド人に恋してしまい、失恋を経験した後だった。周囲は、以前の彼女をインド人に奪われたから、仕返しにいくんだろう、と言ってわたしをからかった。
 わたしは、外国語は達者であったので、インドの地図を購入し計画を立てた。とりあえずは、首都であるニューデリーへ行ってみないものには何も分からない状態だった。今と違い、パソコンやネットはない。スマホや携帯電話さえなかった。ワープロさえなかった。
 地図とペンだけである。それとメモ帖だ。
 航空券を購入する場合、現地の人が買い求めやすいように英字新聞に航空券の広告がある。それを見て、当時、往復で4万円であったインド国営航空の搭乗券を買い、成田からの出発である。
 まだ、新宿と成田を高速で走る電車はなく、わざわざ、上野まで行き上野から、上野から成田へ行った。
 もう、それだけでくたくたであった。飛行機に搭乗したらぐっすりと眠れそうである。一応、ジャンボ機なのだが普通のジャンボ機よりも少し小さかった気がする。
 欧米などへ行く際の機内では、ジュース、ビール、ウイスキー、ワインなどはサービスで飲み放題だ。ナッツ、サンドウイッチも頼めば無料で持ってくる。それが、航空会社の常識であると思っていた。つまり、迷ったらわたしたちの航空会社を利用してください、という主張だ。
 わたしが、一番サービスを受けたのはエールフランスだ。そこのお国柄が出るのであろう。オーロラって見たことがありますか? と聞かれ、ないと答えたらこれから飛行機はオーロラにもっとも近づきます、操縦室まで来ませんか? と本当に誘われたのだ。操縦室さえ見たことはない。二人のパイロットが操縦し、その後ろの通路がベットになっている。高価な毛皮がベットの上に敷いてあるのだ。
 部屋は狭く、パイロットの顔が、前の窓にくっつきそうなぐらいだった。
オーロラが見えた。不可思議に戯れるように動く。生物の様だ。
 あまり長くいては失礼だろうと思い、丁重に挨拶をして出た。
 
 話を戻そう。インドエアーラインで飲み物の提供があった。
 すかさず、インドビールというと、いくらいくらです、と、すべて有料なのである。
 わたしは、成田で購入したウイスキーを紙コップに入れて飲んだ。
 夕飯は無料であったが何であったか、もう年で全く覚えていない。
 日本からインドは近いように見えるが遠い。
 9時間近く飛行機に乗ったと思う。
 
 着陸の時がまた記憶に残っている。
 当時、滑走路は舗装されておらず、土地のままであった。
 ドンという音と共に着陸をした。ドバッ!と地面の土が航空機の窓めがけて辺り、外が見えないほど窓には地面の土がついていた。
 そして、そこから連絡用の車へ乗り入国である。

 初日は、事前に予約してあったホテルに宿泊した。良いホテルであったら連泊する予定だった。日本で言うと、ニューオータニより格落ちでプリンスホテル系といったらいいだろう。
 チェックインを済まし部屋へ行く。
 さすがに、疲れた、という独り言が口からため息交じりで漏れる。
 冷房は入っており、ベットルームの上には大きな扇風機が天井に着けてある。身辺の整理整頓をし、すぐにルームサービスだ。
 エビアン4本とビールを4本を頼む。
 ボーイが持ってくる。
 エビアン3本と2本のビールは冷蔵庫に入れてもらい、残りのエビアンとビールをソファの脇のテーブルに置いてもらう。
  インドはヒンディー語なのだが、彼は英語ができた。
 ニューデリーの見所などを聞き、談笑した。
 インド人の英語は、「R」音がすごく強い。ドイツ人より強いと思う。彼の英語は聞きにくかったが、我慢した。
 彼の名前は、「ラケッシュ」と言い、ニューデリー郊外にインド特有の大家族制度の下でみんなで暮らしている。
 核家族化ではなく、昭和初期の日本の家庭に親類が入り少し大きくしたぐらいである。
 「ラケッシュ」と話し合い、彼から1日観光ガイドをしてもらうことになった。着いた当日と次の1日は、ゆっくり一人で過ごしたいので、ガイドはしてもらわずに、2日後からガイドをしてもらうことになった。それまでに観光ルートを考えて欲しいと頼んでおいた。
 着いた当日は、食欲がなくバーへ行って、ウイスキーのロックを頼もうと思ったが、氷がミネラルウォーターで作ってなく細菌が多い水道水からなので、無理だった。バーテンと相談すると、氷を入れず、ウイスキーを生卵を入れて飲むとおいしいというので、それにした。ウイスキーというより、せいぜいお世辞で言って、まずいカクテルというところであろう。
 それを飲んでから、インディアンビールを飲んだ。キリンビールを飲んでいる感覚だった。
 キーに代金を付け、サインをし、そこを出るとバーテンが何か言っている。わたしは、貴重品が全ては言っているカギのかかった赤い書類かばんを忘れていたのだ。
 それを失えば、一文無しになり、日本大使館へいくはめになるだろう。
 良い人がいるものだと思った。
 同時にすごく疲労していたのであろう。
 一人旅は、人に合わせることなくマイペースでいいが、すべてを自分の責任で管理しなくてはならない。
 今思ってもひやひやものであった。 

 ◎歳を取ると視力が弱り、眼鏡による強制視力さえ上がりません。

  この続きは、明日の午後と言うことで、「つづく」・・・・


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