「小説家になるために無職というのはおかしい!」
わたしは、「小説家」「作家」ではないが原稿を頼まれる機会は多い。
しかし、「小説家」「作家」であったら、それ一筋で自分の提起したい世界を書き、それを出版社へ出したい。
簡単に言うと書きたくない原稿は一切書かないということである。
「無職」で作家業をしているといっても誰も相手にしてくれない。
「さくたいしょう作品」の書籍化されたぐらいで喜ぶのは素人だ。
実際、どれくらい書店で売れているか、作家にとっても経済の概念は大切である。
わたしは、ことしの「創作大賞」を契機に、作家になる前の段階で、小説とはどうやって書くのかを、語彙の暗記も入れて勉強している。
「小説の書き方」を教えてくれたり、競い合うような「学校」や「教師」はいないので、自分でコツコツと勉強していくしかないのである。
文学賞は沢山ある。歴史と権威あるものや今流行の文藝を求めて居たり、そういうところに出して、出来栄えは全体と比べてどうかと、傾向と対策をするしかない。
作家になるのは、受験生になって東京大学の医学部へ合格するより遥かにむずかしい。
天才でああり溢れんばかりの才能に恵まれていた「太宰治」でさえ、最初、書籍化された時、手が震えたという。
作家になりたいがために無職煮なるのは、逃げていると思う。世間、世の中からの逃避である。
きちんと社会参加し、その中で自立した状態で、作家を目指す、目標とするのが人の生きる道であろう。
人の生きる道から逃避する原因になっているのは、厳しいことをいうが最悪である。