当たり前の裏には特別が。
SNSが普及し、浸透した現代社会。私は、年代的にSNSが人々にとって当たり前の存在となるまでの過程を経験してきた。そこで、SNSの存在によって変化した当たり前と特別の関係について考えたい。
私が小中学生の頃、基本的には遊ぶ約束は直接会って、あるいは電話でしていた。顔を合わさずに連絡を取れる手段は電話ぐらいだった。そんな連絡の取り方が当たり前の時に、スマホを持ち始めた人は先駆的で、特別な人だった。
一方で、私が高校生になった時、ほぼ全員がスマホを持ち始めた。LINEを始めとするSNSが普及し、ほとんどの人がそれらを利用していた。遊ぶ約束や他愛もない会話を直接会わずに、好きな時にどこででもすることができるようになった。
そんなSNSが当たり前となった頃に、よく言われた主張を思い出す。「SNSの登場によって、人と人との直接的な関係性が希薄化した」というものだ。確かに、今まで直接人と会い、コミュニケーションを取ってきた人々にとっては、メディアを通した会話ではなく、同時的で直接的な会話が当たり前であり、そこに価値を見出していたのだろう。
しかし、SNSが流行しても、その考え方は今の世代にも残っていると思う。例えば、恋愛における告白だ。告白はLINEではなく、直接や手紙が良いという人はかなり多い。また、昨今の大学のオンライン授業を受ける一定数の学生が対面授業(人との関わり)を求めていたことも一例だろう。
このように、SNSは一見人と人の関係性を疎遠にしたように見えて、直接会うことの意味を「特別」なものにしていると考えることはできないだろうか?
便利な連絡手段が溢れる世の中でも、状況に応じて、手間をかけて人との関わりを大切にすることは受け継がれ、特別な想いを生じさせている。