菅内閣の政治姿勢をどうみるか 後編・自助・共助・公助
「災害の備え」とみんなが感じるものと、あえて混同させる手法
菅総理の政治姿勢として強調されている「自助・共助・公助」。政府内での「自助・共助・公助」の意味合いの変化をたどってみました。
1980年代の社会保障亡国論(社会保障が財政を食い尽くし国が破綻=新自由主義)の中で「自助・共助(互助)」を言いつつ、公助=社会保障が重要との流れで使われました。83年2月に10年間無料だった老人医療が有料化されるなど、社会保障のスリム化が狙われ始めます。
95年兵庫県南部地震では自衛隊など外部からの救援が道路寸断で到着に時間が掛かりました。これを教訓に、災害の備えは3日程度持ちこたえられるよう、食料や水の確保、ハザードマップの作成や確認、自治会などでの訓練が強調されています。「自助共助」が日常語となり、防災標語だけでなく、自らの備えの意味で日常的な言葉として使われるようになります。
自助共助重視に激変
2006年5月政府がまとめた「今後の社会保障の在り方について」の中で「自助、共助、公助の適切な組み合わせによって形づくられるべきもの」とし、「自助を基本とし、生活のリスクを相互に分散する共助が補完、自助や共助では対応できない困窮などの状況に対し~中略~公的扶助や社会福祉などを公助と~」変更した。具体的には「共助のシステムとしては、~社会保険方式を基本とすべき~国民皆保険・皆年金体制を今後とも維持」として、これまで社会保障制度=公助としてきたのを、共助へと変更している。この概念の変更は、小泉政権最終盤に出され、同年誕生した第一次安倍政権に引き継がれました。(*厚生労働省の特異な新解釈「自助・共助・公助」。大阪市立大学名誉教授、里見賢治。社会政策学会誌「社会政策」第5巻2号)
こうした政府の姿勢は、民主党政権時、一部穏やかとなるものの、第二次安倍政権ではしっかり受け継がれ、「*社会保障のほとんどを公助ではなく共助とするものであり、~国民相互の連帯・助け合いに矮小化する」「*福祉の保険化さえ内包するものであって、社会保障への公的責任を緩める意図を含んで」いる。「*特異な解釈が出てくるのは,社会保障を自助の補完に留めたい新自由主義の志向に根本的な原因がある」
政府はそもそも「公助」を準備する機関
災害救援などで使われる多くの人が是とする「*モラルとしての自助」と、「*社会システムとしての自助」を敢えて混同し、社会保障の縮小と「自助努力」を求めるのが政府方針となっています。
菅首相は、こうした政府方針を自らの政治姿勢として強調し、「持続可能な」を枕詞に一層社会保障を削減する方向が透けて見えます。
コロナ禍で状況は変化していますが、空前の内部留保をあげている大企業や、投資家への適切な課税で、財源を確保し、社会保障充実に舵を切るべきではないでしょうか。
ほとんどの国民に投票権が無い自民党総裁選を各社は延々と報道し、未だ内閣総理大臣が決まっていない14・15日に「○○が△大臣に内定」と速報を連打する異常さ。官邸と広告会社・報道機関が一体となった世論形成がすすめられています。