2025年8月6日 被爆80年 被爆者の、被爆者による、被爆者のための慰霊の日に! 慰霊式と平和祈念式の分離開催を―
JCJ機関紙読者からの投稿を掲載いたします。ありがとうございました。
一昨年以来、8・6式典の警備強化が進み、式典もウクライナへのロシアの侵攻以降、招待国を巡って政治問題化している。そこで見えるのは「被爆者」とその家族、遺族、さらには広島市民をも蔑ろにした「官製式典」化である。
私の世代と翌年の8月6日に生まれた者が、まさに最後の被爆者である。私の同級生の中には原爆手帳を持った者も多い。
その一人から先日、語りかけられた。「あんたはどう思うかいの? わしは長年、お袋をつれて、式典の前に慰霊碑やその周辺に行き、お参りしてきた。お年寄りは行ける時間に行くのだが、あれだけ規制されれば行きたくなくなっている。誰のための慰霊式なんかいの?」。さらに、近所のおばあさんも毎年行っておられたが、「もう今年は行かんと言っとられる」と…。これは一つの事例かもしれないが、私の現役の頃を振り返って8・6の取材を思い起こしてみると、式典前の重要の取材項目の一つは、慰霊碑を中心に平和公園の碑にお参りする人たちを映像化し、インタビューを取ること。真っ暗闇の中からしらじら明けてくる光景、これが朝のニュースのトップ項目だった。今年、あの規制下でどうだったかは知らないが、恐らく従前のような取材はできなかったのではないかと思う。
10月29日付の朝日新聞は「慰霊の場 表現の自由とは」との主見出しでこの式典のあり方を問う特集を組んだ。脇の見出しには「市、『安全対策』と説明 『まるで締め出し』」とあり、いわば中核派排除を名目に、実態は厳しい検閲を行い、「安全確保」を行い、首相などの要人を守ることに徹した式典であることを表した。実際、広島市の担当課長は「主催者としてどんな人を入れるか、どんな規制をするかは主催者の自由だ」とまで言い切っている。松井一実市長は今年の式典終了後、8月末の記者会見で「来年は対策をしっかり講じなければいけない」と述べ、さらなる規制強化を示唆している。これに対し、平岡敬元市長は「8月6日は広島にとって、多くの市民が集まり、平和への決意を固めることに意義がある。一般市民が近寄れなくなりつつあるのは、行政の事なかれ主義が先行した結果であり、本末転倒だ」と批判。そして、取材した記者は後書きで「厳粛、安全―こうした言葉を盾に規制が広げられていく」と紡いでいた。
被爆80年は節目の年であり、我々世代にとっても、慰霊碑、原爆ドームなど平和公園へ足を向かわせる、事実上最後の年になるのではないか、と思う。それが、時の首相を守るために厳しい規制が敷かれるのであれば誰のための式典か、と思う。
この8・6式典は正式には「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」という名称なのである。私は来年、この二つの式典を分けて行うことを提案する。
最も大事なのは「原爆死没者慰霊式」である。これこそ慰霊碑の前で行うべきものだ。
私なりの案を述べると、以下のような進行になる。
午前8時に開式し、15分に鳴る平和の鐘を合図にその周辺にいる人たちが、思い思いに黙祷する。そして、松井市長(被爆二世)が「平和宣言」を読み上げる。次いで子どもの代表が「平和の誓い」を述べる。式典はこれで終わり。合唱を入れるかどうかなどはあるが、それはそれとして考えればよい。
そして、市長が慰霊碑の前に大きな花輪を奉呈する。広島市の名入りにするかどうか、無地にするか、は要検討。慰霊碑の両側には献花台を設ける。平和記念資料館(原爆資料館)方面から並んだ人が順次、市が用意した花一輪を手にし慰霊碑に一礼した後、献花台に置いていく。それこそ、その列は夜まで続くかもしれないが…。
当然のことながら周辺の警備は必要だが、恐らく「規制」の必要性はないだろう。被爆者やその家族、遺族は、なんの規制もない慰霊碑やその周辺で思いを込めて、時間の制約もなくお参りする。これこそ「被爆者の、被爆者による、被爆者のための慰霊式典」ではなかろうか。
一方、「平和祈念式」は午前9時から国際会議場で行う。ここに首相以下政府要人、衆参両院議長、外交団、各地被爆者代表などが出席して行う。
これの警備は、国際会議場周辺でしっかり行えばよいのではないか? こういう形にしたら、首相は来ないかもしれないが、以前は必ず出席したわけではない。私の記憶では挨拶を厚生大臣が代読した時もあったように思う。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞した翌年、しかも被爆80年、真に被爆者の手による式典を行う、またとない機会にすべきだと思う。(三宅恭次)