安倍首相をなぜ国葬にするのか。岸田首相の「決断」の裏に下村発言あり?
撃たれて亡くなった安倍さんを「国葬にしたい」という岸田首相の表明が議論を呼んでいる。この問題、私は大いに議論すべきだと思う。日本社会のあり方、民主主義を考える上でも。
岸田さんの表明には、唐突感があった。なぜだろう。俗な言い方をすれば、「えっ、そこまでやるの」という感じだ。
どこで、誰が言い出したのか?確たることはわからないが、岸田発言より3日前の11日夜、BS日テレの番組で自民党の下村博文・前政調会長(安部派会長代理)がこんな発言をしている。
「岸田首相はリベラル出身。自民党のコアの保守の人たちを安倍さんあるいは清和研(安倍派)がつかんでいた。それを疎んじることになったら、コアの保守の人たちが自民から逃げるかもしれない」「安倍さんが亡くなったことが岸田首相にとって都合がよくなるか。逆になることもあると考えて人事で配慮してもらう必要がある」と語り、そのうえで安倍さんの功績について「国葬に匹敵する歴史的な足跡を間違いなく歩んだ」と国葬を行うべきだと主張した。
岸田さんが、この発言を気にして国葬の「決断」をしたのかどうかはわからない。ただ下村発言を、安倍派からの「牽制」「脅し」と受け止めた可能性はある。いずれにしても岸田さんは、「国葬」にすることを決断した。
安倍さんが「国葬に匹敵する歴史的な足跡」を歩んだかどうかを判断するのは、主権者である私たちである。安倍さんは、どんな足跡を残したのか。私たちは大いに語り合う必要がある。(難波健治)