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オンライン呑み会に感じる違和感を整理してみると「イシュー」の数の違いだと気づいたという話

オンライン呑み会も一般化してきました。多くの方が経験していることでしょう。でも、「最初の頃は結構、やったけど、どうもなぁ」という人も少なくないんじゃないでしょうか。私も否定論者ではないのですが、その1人です。2~4名くらいのオンライン呑み会はまだいいんです。でも、それ以上多くなったり、それこそ10人とかの大規模オンライン呑み会は、どうも参加していても心底楽しいということがあまりありません。主催的立場でも参加者的立場でも同じです。別のその場にいる方がいやとか、話題が苦手ということではないんです。別の機会によく余韻や余白がないという話をさせていただいていますが、それ以上に何か、オンライン呑み会というものが、本来の呑み会の本質的要素を満たしていないところにズレがあるんだろうなと思います。

そのズレを一言でいえば、オンライン呑み会が「ワン・イシュー」の場であるのに対して、リアルな呑み会は「マルチ・イシュー」の場であることなんだと思います。「マルチ・イシュー」ならではの猥雑性がオンライン呑み会ではどうにも得られないんだと思います。そして、私が呑み会に感じている魅力はそこなんだと思います。

私はどちらかというと一人呑み派、二人呑み派です。でも、大勢での呑み会も別に嫌いではありません。大勢の呑み会もよくよく場を分析していると、最初の乾杯と最後の〆の瞬間以外は、個別の呑み会の集合体なんです。それが有機的に一つの呑み会という集合体を形成しています。たまたま同じテーブルになった人、隣り合った人と話し込み、時に誰かがトイレに立つと席を変わったり、意図的に話しをしたい人の近くにいったり、何か自分に関係のあるイシューが出ると呼ばれたり、そのような有機的な動きが連続的に続く絶妙な集合体の場です。幹事が「ちょっと皆さん聞いてくださぁい」と声をかけても、誰も聴かずに話し続けているなんてのがありますよね。まさに個別性が全体性に優位性をもっている集合体なんです。つまり、「マルチ・イシュー」の場なのです。あちらこちらでいろいろな話題に花が咲いている場なのです。

これに対して、二人呑みは「ワン・イシュー」の場です。お互いが話していることしか議題はありません。安心安全の場でもあるかもしれません。そして、大勢で呑みながらもオンライン呑み会はどうしても「ワン・イシュー」になります。全員で一つの話題に取り掛からざるを得ないのです。しかも、例えばZOOMのギャラリービューなどでは全員が画面に均等に整理整頓されて出てきますから、あの呑み会のごちゃごちゃした猥雑性がどうにも感じられないわけです。下手をすると全体の場の進行をする人が出てきます。「〇〇さんはどうですか」といった気遣いをしながら場を回したりします。いいことなんだとは思いますが、これでは呑み会ではなく会議です。あの隅っこの席であれこれニッチな話題を話している猥雑性は入り込む余地もありません。自由な「マルチ・イシュー」にこそ、呑み会の生産性と発展性はあるんだと思っています。

古典酒場部の倉嶋さんの会とか、酒場の会とか、酒蔵の会とかは、結構好きです。明確なコンテンツがある気持ちのいい「ワン・イシュー」が前提となっている会なので、半ば「リスナー」として参加できるからです。でも、普通の呑み会はそれが魅力ではないですね。オンライン呑み会は下手をすると、楽しんでいる少数の中心的立場の人と、多くのリスナーという呑み会になってしまいかねません。中心的立場の人はリスナーになってしまっている人が気になるので声をかけるのですが、そうすると前述のとおりに会議になってしまうのです。結果的に自分で進行的な役割をやってしまって後で嫌悪感を得たりすることもあります。リアル呑み会でちょっと盛り上がっていないテーブルに主催者として気を遣うのと、どうも塩梅が違うのです。このあたり、どうにもならないのかなぁと感じてます。

そして、一人呑みは「ノー・イシュー」の世界です。あらゆる「イシュー」から離れる時間、まさにマインドフルネスの世界です。そして、あらゆる「イシュー」から離れて、好きな「イシュー」だけを考えることができる時間でもあるのです。



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