遺伝子組み換えでない
大豆を使った加工食品の原材料に「大豆(遺伝子組み換えでない)」と書いてあることがある。
バイオテクノロジーとか、そういったあれには詳しくないのだが、「遺伝子組み換えでない」大豆がアピールされるという事は、逆に「遺伝子組み換え」大豆は疎まれるのだろうか。
しかし、それではバイオの力で作られた大豆が少しかわいそうな気がする。大豆自身は、好んでバイオな大豆になったわけでもなかろう。改造されたくないのに、改造されて生み出された仮面ライダーに通じるところがある。
逆に、遺伝子組み換え大豆は、バイオな部分を消費者にアピールすることができるんじゃないだろうか。原材料に、こう書いてみてはどうだろう。
「大豆(バイオテクノロジーを駆使)」
なにやら大豆なのに最先端な感じだ。人間の英知が薫る大豆。ビバ文明。
ちょっとした工夫で、大豆のように、肉もアピールできると思う。例えばこうだ。
「牛(サイボーグでない)」
そもそもサイボーグだったことなどないのに、コストゼロで効果的に安心安全アピール。
逆に、
「牛(サイボーグ)」
でも良いと思う。食べたくはないが、買ってみたい。機械油に汚れた金属片の様な牛肉。
これはどうだろう。
「豚(牛でない)」
そんなことは分かっている。しかし改めて書かれると、本当に自分が欲しい物は、牛ではない豚なのか、牛である豚なのか、哲学的に自分を問い詰めたくなる。
「鶏(半分は豚)」
パックに入った肉の半分が豚なのか、鶏と豚が掛け合わされた謎の生物なのかよく分からない。バイオテクノロジーの2、3歩先に行っているのか。それとも、50歩くらい戻ってしまったのか。
同級生に山田マサシ君のいる、山田タダシ君は、修学旅行に持って行くブリーフにはこう書く。
「山田(マサシでない)」
むしろ、こう書いてもアピールしても良い。
「山田(サイボーグ)」
改造人間山田。
「山田(半分はマサシ)」
マサシ君と共用ブリーフ。
家具も新たな手法でアピールだ。
「家具(ラグジュアリーでない)」
ラグジュアリーが何だか知らないが、安易なラグジュアリー感を廃した通も唸る家具の雰囲気が漂う。専門家達は「この角の部分のラグジュアリーの喪失感が堪らない」とか「この引き戸にラグジュアリーがないところが、逆にラグジュアリーだな」とか評することだろう。
「家具(半分はマサシ)」
修学旅行に行ったマサシ君が、半分家具で帰ってくる。何があったんだマサシ君。
この文章は、雑文(半分はマサシ)でお届け致しました。