はじめ人間
今更という気もするが、「ぎゃふん」という言葉が分からない。「ぎゃふんと言わせる」、「ぎゃふんとなる」など「ぎゃふん」という言葉を使った表現はあるが、実際に辛い目にあって「ぎゃふん」と言っている人を見たことがないし、どうしようもなくなって「ぎゃふん」となっている人も見たことがない。もちろん、今までの自分を振り返っても「ぎゃふん」と言ったことはない。
「ぎゃふん」というのは一体何なのだろう。きっと何かとてつもないような物な気がする。
茨城のある村の老漁師の話。
「雷が鳴った次の日は海に出ない方がええ。ぎゃふんが海から出てきて人間を食っちまうだ」
去年は3人ぎゃふんの犠牲になったらしい。
町内会の茶の湯仲間の山田さん。ついにぎゃふんを買ったらしい。
「ああ羨ましい。素晴らしいぎゃふんですねえ」
「茶人として、床の間に一つは常備したいですよねえ。丸和さんもどうですか」
山田さんの茶室の床の間に飾られたぎゃふん。侘び寂びを醸し出している。
卒業式にみられる光景。
「先輩、制服の第二ぎゃふんを私に下さい」
「ごめん。実はあげる人を決めているんだ」
青春の甘酸っぱい一ページ。ちょっぴり切ないぎゃふんの思い出は、この中学生女子の心にいつまでも残ることだろう。
女性ファッション誌の今月の特集。
「冬の可愛がられ着まわしぎゃふん」
死んだお祖父ちゃんのお葬式。遺影の前で手を合わせると、お祖父ちゃんとの思い出が蘇る。
お祖父ちゃんと並んで縁側で日向ぼっこしていた時のこと。お祖父ちゃんが突然「ゲホッゲホッ」と咳き込んだ。「お祖父ちゃん、大丈夫」と背中をさすると、何かがお祖父ちゃんの口から何かが出てきて、素早く庭の茂みに隠れた。呆然と見ているとお祖父ちゃんは言った。
「ああ、コウスケ。気にせんでいい。ぎゃふんが落ちただけじゃ。いつかはみんなこの時が来るんじゃ」
今から考えると、ぎゃふんが落ちてからお祖父ちゃんは体は、みるみる悪くなった気がする。
結局何だかよく分からないぎゃふん。明日の朝はヨーグルトに入れて食べてみようと思う。
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