無意識バイアスの怖さ
皆さんおはこんばんにちは!
(4191文字/約6分で読めると思います)
最近は同僚の人も出社していることが多く、以前より対面で何気ない会話をすることが増えたんですが、「中途だと新卒みたいな横一線の比較がないからそこは楽だよね」みたいな話になり、必要以上に他人と比較してしまう自分にとっては中途というポジションに居心地の良さを感じていた今日この頃です。
そんなことを考えていながら、どこからかメルカリさんの「無意識バイアスワークショップ」という資料が流れてきまして、初見の時は、無意識のバイアスだから、意識することなく感じてしまう偏見みたいなものかぁと軽く見積もっていました。
実際に中身をペラペラと見てみると、じわりじわりとあれ、中途社員はこうみられているものみたいな考え方をしていた自分も該当してるかも、という疑いが強くなっていき、なかなかに生々しい例もありまして、、
これは意識してるとしてないとではだいぶ変わってきそうだなと思い、今回はそんな「無意識バイアス」について書いていければと思います!(無償公開するメルカリさんの度量も凄い。。!)
アンコンシャス・バイアスとは?
無意識バイアス、通称アンコンシャス・バイアスの定義を見てみると、
可視的・不可視的な基づき、フィルターをかけた状態で物事を無意識的に判断してしまうこと
とあります。可視的なものは、年齢・体格・身体的特徴・ジェンダーなどで不可視的なものが社会的背景・性的指向・国籍・宗教などが挙げられていますが、普段の生活や文化による影響から、これらの思い込みや偏見が無意識的に培われ、バイアスとなってしまうのが、無意識バイアスの怖さでもあります。
「多くのメンタルプロセスは無意識に行われています」と触れられているように、僕達は物事を判断するプロセスを無意識下に行っていることが多く、その一つに「ラベリング」というものがあるそうです。
人やモノを、ある特徴に基づいてカテゴライズすることを指しますが、後天的な経験や教えなどを通じて培われるモノであり、このラベリングを通して、瞬時に判断を下し、行動に移すことができるので、(松葉杖をついているから、優先席を譲ってあげるなど)無駄な思考エネルギーを使わずに済むという点においては、無意識下の判断が必ずしも悪いということではなさそうです。
では、無意識バイアスというのはどういうモノなのか?という話ですが、一挙にまとめてみると色々ありそうです。
過剰な一般化:エンジニアは朝弱いよね。。
→ 極度に限られたサンプルをもとに、全ての同じ属性の人に対して一般化する
確証バイアス:〇〇大出身だからこれはできるよね
→ 自分の価値観や考え方に都合のいいような情報だけを見てしまう
パフォーマンスバイアス:年長っぽそうなこの人が上長か
→「ジェンダー/人種/年齢」などの属性を無意識に「能力」に結び付ける
帰属バイアス:若手社員の方が責任を問われやすい
→ 「ジェンダー/人種/国籍/年齢」などの属性により、結果への結び付け方(才能か・運か・努力かなど)を無意識に変えてしまう
親和性バイアス:同窓出身にだけ親身に寄り添ってしまう
自分と似た人とのほうがより親しみを感じやすい、また好感を持ちやすい
という無意識の傾向のこと
家庭内性別役割バイアス:女性社員に出張打診をしない
→ 家事や育児は「女性の役割」という無意識バイアスのこと。
マイクロアグレッション:女子力高いね!彼氏いる?
→ 特定の集団に対して、偏見が伝わるような日常の言動(言語・非言語)
これらのバイアスを自分が全く持ち合わせていない!と言い切ることが全然できないのが恐ろしくもありますが、まずは知ることから、ということで進めていきましょう汗
ある行動や出来事の原因がその人自身の内的特徴なのか、環境などの外的な特徴によるものなのかという話では、人は自分の成功を内的帰属で解釈し、他人の成功は外的帰属で解釈する傾向があるというデータも面白く、割と自分が好きな性格なので、他人の内的帰属に目を当てる謙虚さを持たねばと思います。。
無意識→意識するためには?
こうしてまとめてみると、自分が該当しそうな無意識バイアスが沢山あることが判明したので、なかなかに恐ろしく思ってしまいましたが、そんなバイアスもまずは気付くことから、ということでどうやって意識すればいいのか、3つのステップが紹介されていました。
①「事実」か?「推測」か?
② "What if…Questions"
③ 視点を使い分ける
①「事実」か?「推測」か?
自分は今抱えている状況について、客観的な事実で説明しているのか、自分の推測で解釈しているのか?というのを自分に問うというもので、説明というのは「客観的な事実を伝えること」で、解釈は「説明に対して、自分なりの意味を与えること」とあります。
例えば、自分と同年代の知り合いが選挙に行ってないだけで、「若い世代ってやっぱり選挙いかないよね」という断定は、推測や個人の解釈である可能性が高く危険そうです。
② "What if…Questions"
普段の会話のなかで、何かを話そうとするときに、もし、から始まる質問を自分に問いかける習慣をつけることによって、無意識な決めつけを避け、様々な仮定を見据えた上でコミュニケーションが取れそうです。
もし、自分が話している相手が、違うジェンダー・国・年齢などのバックグラウンドだったら、もし、この人、またはこの人の属性に対してポジ
ティブ、またはネガティブなイメージを持っていないとしたら、自分の考え方と態度が今とは変わってしまうとすると、無意識バイアスを抱えてる可能性が高いかもしれません。
③ 視点を使い分ける
視点を使い分けられるに越したことはありませんが、まず大事なのが「切り取らないこと」で、相手の属性や一部の情報だけを切り取って、判断してないか、切り取った外側(無意識に見ないようにしていた情報)がないかを、自分に問いかけてみるのが大事です。
次に、相手中心の視点を持つことで、究極これに尽きるわけですが、この視点も持とうと意識しなければ養われないですし、何も考えずに失敗するよりも、想像した上であれば、これだと相手目線がまだ足りなかったと気付くことができるので、まずは相手目線に立とうという心持ちが大事かもしれません。
これら3つのステップを心掛けることもそうですが、何事もまずは気付く、意識することが大事というのは、まさにと思いますし、無意識だからこそ罪悪感もないわけでこれが一番タチが悪そうです。
気付けなければ再発しますし、修正もできず、謝ることすらできないまま気づけば関係が悪化してしまうので、まずは意識することの大切さが分かってきました。。
自分で置き換えてみると
と、資料にあった説明や事例をざっくりとまとめてみましたが、しれっと通してみる気が、自分に当てはまりそうな無意識バイアスがかなり多かったので、ここで自分に置き換えて考えてみようと思います。
まず思いついたのが家庭内性別役割バイアスで、父はひたすら仕事で、幼稚園の送り向かいや食事の支度などは母が全部やっていたのを目の当たりにして育ってきた自分にとって、悪気はないものの、男が稼いでなんぼ、女性は子育ての担い手というのをどことなく固定観念のように捉えていました。
ただ、今の時代、女性がバリバリ働くことも、男性が育児の担い手となることも珍しくありませんし、今後職場や仕事関係で女性とお話しするときも、子育てどうですか?と聞くこと自体が危ういですし、(二人で育てるみたいな話もあるので、一概には言えませんが)そういった話も安易に持ち出してはいけないなぁと感じます。
ある対象の無意識バイアスが自分に反映されていることもあるなぁと感じ、例えば、「エンジニアだからスーツじゃなくていい」みたいな感覚が少なからずあるんですが、(事実夏とかはサンダル出勤しています)そう思ってない人もいるでしょうし、そこはTPOということで使い分ける必要がありそうだなと感じました。
逆にスーツ着ているからといって、もっとラフな格好で良いよという一言は一見気遣いに聞こえるかもしれませんが、スーツが仕事着として落ち着けるという人もいますし、そういった人からすれば「ラフな格好であれ」と強制されているように捉えられてしまうかもしれません。
また、自分はIT系にいるということ自体なんかクールじゃんとは思ったりするんですが、かといってそれ以外の業種を蔑むみたいなことは絶対にあっちゃダメですし、自分にとってクールなだけで、それ以外がクールではないみたいな比較の見方は避けねばと思ったりします。
こうして振り返ってみるだけでも色々と出てきそうなので、何度も指摘されている通り、自分の「よく・適切に・きちんと」という考え方を常に疑う姿勢が大事だなと実感してしまいます。
何事もまずは想像、体験してみる
無意識バイアスワークショップたるものをなぞりながら、無意識バイアスとはなんなのか?どう意識すればいいのか?自分はどんなことを抱えているか?を振り返ってみましたが、これを機に知れてよかったということが沢山あった気がします。
バイアスの種類も然り、それらを意識するポイントも人間関係を心地よく、円滑に進めるための大きな配慮の一つだと思いましたし、自分は大丈夫だろと過信してしまう時点で既に無意識バイアスを抱えている危険性があるので、自分事として捉えていきたいです。
個人的に心掛けたい点としては、
・人と話す時は、まっさらな状態で、直接話して理解するようにする
・自分から提示するオプションは最大限広くする(設定が正しいか自身がないときは自分から提示しない)
・第一印象などから自分が判断したことは一度受け止めて、事実は事実として判断し、それ以上の解釈をコミュニケーションの場に持ち込まない
・断定せずに、色々な価値観に触れる機会を増やす
最後の機会を増やす、というのは良くも悪くもどう感じるか分からない体験に自ら飛び込むようなものなので、最初は気だるく思ってしまいそうですが、色々な価値観に触れるからこそ、想像の幅も広がりますし、訓練という意味でも、配慮に溢れた優しい世界の方がいいので、頑張っていこうと思いました!ではまた!
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