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"イケてる"と"エモい"で片付けない

皆さんおはこんばんにちは!
(3831文字/約5分で読めると思います)

前回の記事から1ヶ月近く更新が途絶えてしまいましたが、先月頃から週末に畑に出掛けることが増えまして、毎週末何かを耕したり植えたり育てたりする過程は、平日のプログラムとはまた違う世界観で、魅力があって色んなインプットがあったりするもののそれをまとめられずにいる今日この頃です。(週一更新できなくてもゆるりと続けていきます。。!)

そんなこんなで、毎週末のように畑に出かけて次はこれ植えたい、こんな景観にしていきたい、などと話をしている内によく自分が口にしたり考えたりするワードで「イケてるねぇ」という言葉が多いことに気付きました。

気付けたきっかけが、自分にとってのイケてるってどんな状態?と聞かれた時でして、聞かれた時は、よく感じる事だしすぐに答えられそう!と思ったんですが、いざ言語化して伝えてみようとするとこれが結構難しく、もちろん感覚的な話もあるので全部が全部言語化できるものでもないんですが、これはこれで危ういなぁと感じました。

というのも、なんか「それイケてるね」って言っとけばそれっぽくなりますし、なんとなくイケてるものに出会えたり、触れたりできてる俺いい感じやんみたいな終始ふわっとした感覚が流れているだけで、実際には何も前に進んでない、みたいな状態だからです。

そんなせっかちに考えんでも、自分がイケてると思えたらそれでええやんみたいなこともあるかもしれませんが、どうせ生きてるなら、自分が思う「イケてる」存在に自分自身がなっていきたいなぁと思い、そうなりたいなら、そうなるためのステップを踏むべきだし、何よりそのイケてるってどんな状態なのかを自分で明確化しないと、今踏んでいるステップがそこに近づけているものなのかも分からないので、現時点で思う「イケてる」の要素を殴り書きですが書いてみたと思います。

「イケてる」っ人って?

まず思い浮かぶのは、自分が大好きなもの、偏愛を自分自身で形にしている人で、先日西野さんがVoicyで「ペルソナ、俺」という話をされていてまさにと思ったんですが、商品やサービス、作品を作って提供するとなるとどうしても、これだったら皆んなに欲しいと思ってもらえるか、という客観目線で考えてしまいがちですが、大事なのは「それを俺は欲しいと思えているか?」という点だよねという話です。

自分が心の底から欲しいと思えるものなのか、作りたいと思えるものなのか、という、エゴのような強烈な想いこそが、機能と値段がほぼ均一化した市場において大きな差別化になるんじゃないかなぁとも思います。

ただ、自分の欲しいものが必ずしも大きな需要に応える形ではないかもしれないので、そこから次に自分の欲しいもの、エゴを自らの手で形にして、圧倒的クオリティを持って、そこに需要を生み出すというのが個人的なイケてるの最終形態だと思っています。

西野さんの絵本から始まったエンタメの挑戦はまさにそんな感じですが、その原動力も「こういうものを作りたい!」という強烈な想いからくるものだと思うので、まずは自分が欲しいというものが何なのか?という問いと純粋に向き合って、それを作り続けて、結果として沢山の人を楽しませたり、魅了させることができたらスーパーいけてると思っています。

書きながら思ったんですが、そうやって作り続けていく過程で、これだったら色んな人の役に立ちそう!とか多くの人を楽しませる可能性があるかも!ということを新たに発見することもありそうなので、そういう意味では作るものや形式が変わっていても、自分が作りたいものを作ることを辞めていない、とにかく作り続けている人も自分にとってイケてる要素の一つかもしれません。

「イケてる」を形作るもの

と、ここまでは割とその人自身が向かっている目標的な話でしたが、他にもイケてるを構成する要素を列挙してみると、配慮を持って人と接し、寄り添って、頭ごなしに否定することはせずに色んなことを新鮮に吸収できて、何かに挑戦している人は色っぽく見えてしまいます。

最近触れた「自分にフレッシュでいられているか?」という問いにも絡んでくるんですが、自分にフレッシュでいるというと聞こえはいいですが、自分がやったことないことをやってみたり、みたことない未知のものに触れに行ったりする行為の連続なので、常にカロリーを消化している状態で、そこそこ体力と気力が必要なのでやろうとしなければ、日々漫然と同じことをして過ごすこともできます。

ただ、この状態を保つ癖作りというのは本当に今しかできないことだなとも考えていて、若いうちだからできた失敗シロみたいなものも削れていきますし、守るものや責任が増えたりすることで簡単に新しいことはできなくなってしまい、結果的にフレッシュになろうとする行為そのものがどんどん億劫になってしまいそうです。

ここまでを振り返ってみると、自分が作りたいものを作り続けていて、それで持って人を魅了し、常にフレッシュであるという人が、自分にとってスーパーいけてるマンだと思うので、今後は仕事をする過程でも、何かを決断する場面でも、それはいま掲げた「イケてる」状態に近づいているのか?というのを自問自答していければなと思いました。

余談ですが、イケてる状態を目指すことも大事でありつつ、これはイケてないなという行為なり要素も大事にしないとなと思ったので挙げてみると、嘘をつく、頭っから否定する、愚痴だけ言う、言い訳ばかりする、ネガティブな部分ばかり見る、と言ったところなので、これらはまずやらないように心掛けようと思います笑

「エモい」って何なのさ?

話が少し変わってしまいますが、「イケてる」と同じくらいの頻度で使われている、かつ自分も使っているのが「エモい」という表現でして、語源としては、英語のemotional(感情的な)から広がって、理屈では説明できない情緒的な何か全般をカバーしている言葉?としてそれなりに便利ですが、PUNPEEさんもおっしゃている通り、「得も言われぬ気持ちはエモいじゃない」と思っています。

すぐには言葉できない、言い表すことのできない感情を想起させるものに出会えること自体はとっても幸せだと思うんですが、それらを総じて「エモいねぇ」で片付けるのはあまりにも切ないというか勿体ない言葉だと感じました。

第一印象はエモいな。。でもいいと思うんですが、なぜそう思ったのか?どういう箇所から感じ取ったのかという部分を掘り下げて言葉にしたり、すぐに言葉にできなくてもその感覚を大切にして、向き合っていくことで、巡り巡って同じような感覚と違う形で出会えるかもしれません。(自分は作品を通じて点と点が繋がっていくことが多いですし、その瞬間が堪りません)

イケてると同じでエモいねという便利な言葉が開発された事によって、自分の中での納得感というか、腑に落ちるレベルが下げられたとは思うんですが、面倒でもそのエモい要素と向き合っていくことは個人的に忘れないようにしたいと考えています。

そんでもってエモいって何なのかを考えているんですが、いきなりの逆説的であることを踏まえた上で言わせてもらうと、「言葉にならない感覚」というのがエモいのかなぁと感じています。

言ってること一緒やんという感じなんですが、例えばご無沙汰している高校の同期と再会して昔話に花を咲かせている瞬間はエモいわぁとか思ったりしますが、今までにない圧倒される作品や世界観と出会った時は、まず何も言葉が出てきないんですね。(表す言葉が見当たらない)

「おっ。。。」という感嘆詞ぐらいしか出てこず、そこにエモいわぁという言葉が入ってくる余地がないといった感覚です。そういうのがまさに惹き込まれる、魅了されるという感覚に近いと思うんですが、それがどんなものなのかは自分の感覚の移ろいに合わせて変わっていくものなので、狙って出会うことはできないものの、強いてあるとすれば、「エゴ」が前面に出ている作品だったりします。

これも冒頭のイケてるに被ってくるものだとは思うんですが、やはり自分の作りたい。。!が全面に出ている世界観にはグッと惹き込まれてしまいますし、これを作るためだけにどんだけの時間と労力を費やしたんだ。。とその過程について考えたりすると、さらに圧倒されてしまいます。

最後の最後で雑なまとめになってしまいますが、自分が思うイケてる人が作ったものに触れると、自分はエモくなりやすいんだと思います笑

イケてるわぁ、で終わらせない

イケてるってどんな状態なんだろうね?という問いを投げかけてくれた先輩も仰ってましたが、「上手くなりたいんです、って言っても上手い状態がどういうのか分からないとそこに近づけなくない?」というのは当たり前の話ですが、だからこそあまり意識しないというか忘れがちだなと思ったのでこの機会に改めてイケてる、エモいに関して主観から深掘ってみました。

また、今まで自分がイケてるなぁっていうのはその人を客観視していて、どこか自分とは表現している世界が違うからなぁと線を引いていた部分があったような気がします。(歌手とか、アーティストとか)

それをイケてると思えてる時点で幸せだよねというのもあるんですが、せっかくの人生ですし、自分が思うイケてる状態に少しでも近付けるように日々頑張っている方が面白そうだなと思ったので、そこは線を引かず、言い訳せずに向き合っていければなと思いました。

皆さんにとってのイケてる状態や要素があったらコメント欄などで共有してもらえると嬉しいです。。!ではまた!

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