考え方で生き方を変えたい
どんなの風に生きればいいんだろう
希望はどこから生まれるんだろう
小さな頃からずっとずっと死にたいと思ってきた
それと同時に私は自分の力はでは死ねないことを悟った
将来は明るいはずだとなんの努力もせずに
私はずっと同じ場所で死にたいと泣き叫んでる
コロナで世界が灰に包まれた瞬間に私は救われた気がしたけれど
一瞬で夢が醒めてその落差に心が追いついていかない
人と関わることを誰よりも拒絶するくせに
人に認められない今を誰よりも嘆いている
何をしても評価されなくて
簡単に何もかもを諦めて
私は選ばれた人間ではないから、とひどく自分を痛めつける
そうした行為の連鎖で私の自己肯定感はどん底にあって
それもまた私を苦しめているはずなのに
どうしてずっと見て見ぬふりをするんだろう
今日友達と話してみたときに私は気付いたのだけれど
私の中で、自分を大きく見せずに謙虚に生きることが美徳だと思っていたのに
気づけば自分を小さく小さく見せていることに気づいた
側からみればきっと私の方が恵まれているはずなのに
話していくうちに友達よりも私の方が不幸なように感じた
決まって友達はいつも、「私の方が恵まれてるね」と笑う
それはきっと私が自分を自虐的に表現していて、友達が自分を少し良いように表現してるからだ
私は昔から自分を大きく見せる人が苦手で自分の成功体験や良いところを全力で伝えてくる人に嫌気がさしていて
そんな風にはならないでおこう、と思いすぎた結果が今だと思う
だからなんで、大きく見せる人が嫌なんだろうと今日初めて考えて見たときに出た答えは
「自分よりも幸せそうな人を見たくないから」
だった
これは私にとって衝撃で
なぜなら、今まで私は美徳として人に嫌な思いをさせないように生きたいという思いで
謙虚に自虐的に生きてきたはずだったのに
いつの間にかそれは、そうできない(と決め付けている)自分を守るための逃げだったことに気づいたからだ
自意識過剰の人と話したくないというのは、羨ましいからくる妬ましいうっとうしいといったストレスから逃れるための方法で
私は知らないうちに不幸自慢をする相手と一緒にいようとしていたのかもしれない
どんどんどんどん自分を下にして私の方がしんどいよと相手に伝えて
無意識にそれよりも不幸な人を探していたのかもしれない
でもそれは結果的に自分の心を痛めつけていたのだと気づいた
私は本当はもっともっとみんなから憧れられる存在になりたいはずなのに
どうして今まで自分の良いところや成功体験を全くと言っていいほど話してこなかったのか
その謎が今日解けた
もちろん、自慢話をしすぎてしまっても相手は楽しくないかもしれない(その大半は私と同じ嫉妬から来るストレスだと思う)
けれども、自分を下にした話し方をすればするほど、相手も私を下に見てくると思う
まずは自分の話し方を変えて、考え方を変えて
だからこそ日常のどんなことにもポジティブに良いことに変換していく生き方が大切なのかもしれない
簡単には死ねないと20数年間生きていて悟ったんだから
どうせなら楽しく、自分のことを誰よりも大切にしながら生きていたい