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「この世は幻術士の作品集」

苦しみや悲しみはひと時の幻
実態など無くいつかは消えてなくなる

しかし、その幻の喜怒哀楽に囚われている自分がそもそも幻だったとしたら?

何かに書いてあった

道の四辻で腕の良い幻術士が多くの人を映し出したとしたらどうか?
その人達には心が有り、まさか自分が幻だとは思わないでいる

幻人達が「心に湧く喜怒哀楽は幻だ!」と言ってる…自分達が確実に存在している者の如くに!それはそれで愛おしくもあるが

しかし、いくら腕の良い幻術士が映し出したと言っても、そこはやはり幻の人間

誰しもが不完全である

視覚は自分の都合の良いように表面だけしか見えないし、聴覚は自分の都合の良い所だけを聞く

ある日、幻術士が今までに像を見たことも聞いた事もない幻人達を集めて像を触らせてみた

みんな各々の立ち位置により像の各部分を触っている。尻尾を触る者、横っ腹をなでるもの、足の爪を触る者…

幻術士は尋ねた「像とはどんな感じだったか?」

尻尾を触っていたものは「硬い毛がボーボーでした!」横っ腹を撫でていた者は「ザラザラな壁の様でした!」足の爪を触る者は「エナメルの塊の様でした!」とそれぞれの感想を言った

ものの見え方は立ち位置で変わるし、部分的な真実が全体としての正当性を持つとは限らない

幻人達は自分の真実にしがみつく事を正義と感じ、皆と言い争い始めた。正直言って幻術士にとって真実と正義を振りかざす幻人が一番胡散臭い!

しかし、勘違いしないでもらいたい「幻人が幻術士の視点を持て!」と言っているわけではない。幻人には幻人たる性質と役割が有る

悟りすまして無表情な日常を送っていると、せっかく幻人を映し出した幻術士としては面白くない。無駄な争いでもそれが無いと和解の喜びが描けないのだから

幻人達の蠢きによる喜怒哀楽とは即ち「絵の具」であり、幻人の映し出された世界が「浮き世」と呼ばれるキャンバス

もうお分かりでしょう?私達幻人は幻術士の描く作品なんですよ!

#創作大賞2023 #エッセイ部門

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