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JBFな人たち #1 澤田哲也(ミテモ株式会社)

JAPAN BRAND FESTIVALにかかわる人たちは、一体どんな想いを持ってものづくりやビジネスをやっているのか? JBFに入って良かったことは何か? そんな問いに対して、当事者たちにインタビューしてきました。
第一回目は、ミテモ株式会社代表の澤田哲也さん。もともとはJBFの参加者から出店者になり、今では運営にも携わるようになったという足跡からみえるのは、「煩悶」と「愛」

本家は酒蔵、でもものづくり経験なし

——澤田さんが代表を務めるミテモ株式会社は、人材や教育のビジネスを中心に行っています。どのようにして、JBFに関わるようになったのでしょうか?

澤田 「虚しさ」と「ルーツ」ですかね……。

——いきなり文学的な導入ですね……。

澤田 はい(笑)。キャリアスタートは企業向けの採用支援だったんですが、現場ではどうしても企業も人も美しく見えるようにする部分もあったんです。それがどこか虚しくて、組織や教育に関わる領域に移ったのですが、クライアントの満足がどう社会に良い影響を与えているかが見えなかった。
「ああ、手触りのあることやりたいなあ」
と悪戦苦闘していました。

——そんな悩みの時期があったんですね! どこに解決の糸口があったんですか?

澤田 それが「ルーツ」なんですけど、うちの本家に改めて話を聞きに行ったんです。本家は創業170年以上の老舗酒蔵で、地域に根ざしてお酒をつくり、社会や企業、住民との共存共栄を堂々とやっている。サステナビリティにあふれているわけです。そして、改めて本家に話を聞きに行った時が、ちょうど年に一度の酒蔵開放というイベントを開催しているタイミングで、そこには会場のキャパシティをはるかに超える人たちが集い、お酒を楽しんでいる。
やばい、超かっこいい。これこそが実業だ!
というのをそこで体感して、こんなことをしていきたいと思ったんです。でも、自分が今から酒をつくれるかといえばできない。僕自身に170年の歴史もない。じゃあ何をするかっていうことで、本家のような会社をもっと社会に増やしていくお手伝いならばできるんじゃないかと思いました。

——本家での強烈な体験が、今につながる道をつくったんですね。

澤田 そうですね。胸張って、「俺はこの時代の中でこんな仕事をやったんだ」って言いたいじゃないですか。ただ、そう決心したはいいものの、そこからが長かった…。自分がこれまでやってきた教育や学びをキーワードに何ができるかを模索し、時に大企業へ、時に地域へ、時に行政へと、とにかくアタックして、絶望するみたいな(笑)。そんな時代が5年くらい続きました。

本音で語り合える、唯一無二の“学ぶ場”づくり

——そんな苦難の時代を経て、活路はどこにあったんですか?

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澤田 それがJBFだったんですよね。最初は、自分が地域資源や伝統工芸のフィールドでどんな役割を担えるかを知りたくて一般客として足を運びました。ちなみに、JBFには結構そういう人は多いと思いますね。本格的なプレイヤーになる前の、予備軍というか。そういう多層的かつ固定的でない人たちがたくさんいるのが、JBFの面白いところです。

——その時のJBFでは、どんな学びがありましたか。

澤田 出店者のみなさんの本音を聞けた、ということですかね。華やかな話だけでなく、どういうところに苦労して、なんならこんな失敗もした、と。そうすると、自分の“関わりしろ”も見えてきますよね。そして、「これは貴重な学びだな」と感じ、JBFでの知見をちゃんとアーカイブしたいと思ったんです。それは、“学ぶ場”を持つということ。それがタイミングもあって自分が関わることになり生まれたのが、JAPAN BRAND PRODUCE SCHOOL(JBPS)。

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JBPSのワンシーン。伝統に革新をもたらし、次代にジャパンブランドの価値を紡ぐ人が集い、実践し、学び合う場として、全国各地から伝統工芸の職人やその支援をしたいデザイナーがブランドプロデュースや産地支援の方法論を実践的に学ぶ。https://www.jbfproducer.com/

——ついに自分を活かす場を見つけたんですね!

澤田 はい、ただその第一回目(2018年)は事前に全然人が集まらなくて…。その原因を分析すると、よくあるセミナーに似せてしまっていた。それっぽいもの、というか。むしろ、やるべきは、「このプロジェクトでこんな人を増やしていきたい」という想いを伝えること。それをもっと自分の言葉で語らなきゃいけないという覚悟が生まれました。

——その時は結局お一人でワークショップを行ったとか。

澤田 そうですね。テーマは「愛」でした。日本の伝統や地域資源、自分が関わる仕事において、「愛してやまないものってなんだろう?」という問いを投げかけ、それに対して「それを心から欲してくれる人って誰だろう?」と頭に描き、「どうすればうまく届けられるだろう?」ということを一緒に考える50分間。そこでたくさんの生きた声やアイデアが出てきて。それがいろんな人や企業、地域とコラボレーションしていけば、社会はもっとよくなると強く感じたんです。「愛を軸にしたチャレンジの場」。これが今も貫かれているテーマですね。

——それが悩み続けた澤田さんにとっての、ある種のターニングポイントだったんですね。

澤田 そうですね。あそこから、腹がくくれた気がします。

愛が角度を変える時。

——JBPSからは、新しいチャレンジがたくさん生まれていますね。

澤田 そうですね、例えば一期生に、南條さんという仏具のおりん職人がいらっしゃって。今や彼の作品はセレクトショップで扱われているようになったんですけど、そのきっかけは、「自分の資産は何か」を改めて考え直したからだと思うんです。彼は、おりんという形ではなく、音を継承しているんだと。そう捉えることで、新しい使い方やスタイルが生まれてきた。大事なのは、意思のある解釈。言い換えると、やはり愛。おりんを愛してやまなかったからこそ、新しい解釈が出てきて、これまで自分たちが進んできた道に、思ってもいなかった角度が生まれてくる。その、愛によって角度が変わる瞬間が、何よりも大好きなんです。そんなシーンをこれからもJBPSでたくさん見ていきたいし、そのお手伝いを全力でしていく。

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——いま、“手触りのある仕事”をしている感覚はありますか?

澤田 間違いなくあります。逆に言うと、かっこいい器をつくれなくても、美味しいお酒をつくれなくても、デザインができなくても、実のある仕事はできる。それは結局のところ、自分で自分のやっていることをかっこいいなと思えるかどうかだと思うんです。その“かっこいい”が、「未来や社会からみて価値のあること」だと思える人は、JBFがすごくフィットすると思います。

——そんな価値観を持っていても、動き出せない人はたくさんいると思います。

澤田 ぼくもこんなこと言っていますが、30代のほとんどはずっと悶々としていましたからね(笑)。ただそんな時間を過ごしてきたからこそ思うのは、とっかかりが何もなくても、自分の役割を見つけていくことができる。JBFでモヤモヤとしている人たちにたくさんお会いして、一緒に人生の角度を変えていきたいですね。

澤田哲也さん
ミテモ株式会社代表取締役 / JAPAN BRAND PRODUCE SCHOOLプロデューサー
採用コンサルティング会社を経て、2007年 社会人教育・研修を手がける株式会社インソースに入社。5年間で述べ300社の民間企業に対して、次期経営人材育成や組織変革をテーマに人材育成プログラムの企画・設計に携わる。また、新規事業開発にも取り組み、2012年にミテモ株式会社の事業開発を担当、同年代表取締役に就任。オンライン教育サービスやデザイン思考をベースとした新規事業・商品開発プログラムをはじめとした多種多様な育成支援事業を立ち上げる。また、2016年から全国各地の地方自治体との連携による事業創出・商品開発・販路開拓・デザインイノベーションのための教育事業に取り組む。2018年にはJAPAN BRAND PRODUCE SCHOOL設立。日本の地場産業や伝統工芸にデザイン・クリエイティブを取り入れ、商品開発・販路開拓を手がけるプロデューサー育成に取り組む。


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