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【猫小説】サビーとノーブル(3)

 オレの名は、ノーブル。

 ある日、窓の外にやってきた薄汚いサビ猫に、オレは興味をひかれた。
 翌日も、またその翌日も、窓際でその猫がやって来るのをいつしか待ちわびるようになっていた。
 しかし、一向にサビ猫は姿を現さない。
 次第に諦めかけていた頃、ようやく姿を現したサビ猫に思わずオレは声を掛けた。

「オレはノーブル。お前の名は? どこからやって来た?」

 サビ猫は、目をまん丸くして驚いた表情で窓の下へやってきた。

「ボクは、サビーだべさ。あっちの公園から来たべさ」

 多少ナマリがあるものの、赤毛と黒毛をデタラメに混ぜたような配色の模様に、なかなか粋な名前を付けるものだと感心した。

「ほう。公園の主……といったところか?」

「ううん、まだボスじゃないべさ。猫マで一位取んないと、ボスになれないべさ」

 猫……マ?
 開け放たれた窓の網戸越しに、サビーはその猫マとやらについて説明した。
 今夜、月に一度の猫達によるフリーマーケットが公園で開催され、そこで売上を競い合い、一位を獲得した猫が一か月間、そこら一帯のボス猫になれるそうだ。

「なるほど。無益な戦いを避け、販売力によってその地位を獲得するとは、うまいことを考えるものだな」

 実に理解し難いことではあるが、それが野良猫として生きていく上で必要不可欠なのだろう。

「ボクさ、どうしても一位取りたいんだけど、お宝がなかなか見付からなくてさ、ノーブルお兄ちゃん、何かいらない物あったらボクにちょうだいだべさ」

 なんと!
 まだ若い身空で一位を目指しているとは……。
 そして、それが輝きを放つ瞳の奥にあった小さな野望の源だったとは。
 いたく感銘したオレは、サビーに渡せる物がないか辺りを見渡した。
 オレが鎮座する座布団やら様々な遊び道具、棚の上にはオレ専用のツマミや主食の一つでもある肉感を得られる食事が入った小袋などが詰まった容器がある。
 コンテストで常に優勝を目指しているオレのように、猫マで一位を目指すこのサビーに、オレはなんとしてでも一位を取って欲しいと思った。

「渡せる物はたくさんあるのだが……問題は、どうやってこれらをサビーへ渡すか、だ」
「網戸を開けて、そこから投げてくれればいいべさ」

 ……網戸……このオレが?
 オレは、綺麗に切り揃えられている前脚の爪を見つめた。
 しかし、よく見ると切り忘れられたのか、一本だけ少し長い爪があった。
 網戸に前脚をかけ、その爪を頼りに思い切り横へと引っ張ると、わずかに隙間ができた。
 そこから、見定めた物を次々とサビーの待つ窓の下へ放り投げてやる。

「わぁ、こんなにいっぱいありがとうだべさ! でも、ボク一匹じゃこれ全部運べないべさ。……そうだ! ノーブルお兄ちゃん、これ運ぶの手伝ってほしいべさ」

 なんと!
 このオレが……公園に?
 一歩も外に出たことのないオレは、窓の向こうに広がる景色を見つめた。
 興味がないと言ったら嘘になる。
 しかし……しかし、だ。

「なんも、そこから飛び降りれば簡単に出られるべさ」

 オレは、窓の下の地面へ目を向けた。
 地面までには、猫タワーの三段目と同じ高さがある。
 いつも二段目、一段目と順番に床へ下りていたオレに、この高さから飛び降りろと言うのか?
 いくら肉球がクッション代わりになるとしても、それ相応の衝撃で肉球を痛めてしまわないのか?
 そう戸惑っていると、サビーは身軽なジャンプで網戸の隙間からここに入ってきた。

「ほれ、簡単だべさ」

 サビーにできて、オレにできないはずはない。
 自分にそう言い聞かせて覚悟を決めてオレは、窓から飛び降りた。
 初めて踏みしめた大地は冷たい木の床とは違い、温かくて柔らかな土の感触がした。
 今まで遠くから見ていただけの草花に触れ、その匂いを嗅ぎ、羽ばたいていく小さな虫を見送ったオレは、これがサビーの住む外の世界なのかと感銘を受けた。

「早くこれを公園に持って行くべさ」

 サビーの声に、オレは窓へと振り返った。
 ……少しの間、留守にする。
 オレはサビーとともに、地面に散らばる荷物を公園へ運ぶことにした。

 その道中、実に様々な野良猫達と行き交った。
 野良猫達は初めて目にするこのオレの姿に、みな同じように驚きと羨望の眼差しを送ってくる。
 すべての荷物を公園へ運び終えると、サビーがオレに言った。

「ノーブルお兄ちゃん、今日の猫マ……手伝ってほしいべさ?」

 なにっ?
 このオレが……猫マとやらを手伝う?

「なんも、ただ店んとこに座ってるだけでいいべさ」

 ただそこに鎮座しているだけでいいと?
 コンテストにやってくる気取った連中と違い、今日行き交った猫達は皆、気さくで野良のくせにスレてないというか、正に自由を謳歌しているといった顔付きだった。
 そのような猫達が今夜、一同に集う。
 溢れ出る好奇心を隠せなかったオレは、二つ返事をした。

 日が暮れてしばらくすると、公園には野良猫達が次々と集まり、オレとサビーも準備を始める。
 猫マが開催されると、オレが持ち出した売り物とオレの雄姿に、店の前にはいつの間にか猫だかりができていた。
 声を張り上げて接客するサビーの背中は、小さいながらもたくましさが感じられる。
 それは、いくつもの試練や苦難を乗り越えてきた男の背中だ。
 店の後ろに置いてある座布団へ鎮座しながら、オレはその小さな背中を見つめていた。

「ノーブルお兄ちゃん、それ売り物だから汚したらダメだべさ」

 なんと!
 これは、オレが鎮座する為の座布団ではなかったのか?

 猫マが終了すると、目の前の空き缶はカリカリで溢れ、オレ達は当然のように売上一位を獲得した。
 
「ノーブルお兄ちゃんのおかげで一位取れたべさ! ありがとうだべさ!」

「よかったな。今日は実に愉快な一日だった。では、オレはひとまず家に帰るとしよう」

 感無量にひたっているサビーだったが、飼い主も心配していることだろう。
 別れを告げると、サビーはオレの懐へ飛び込んできた。

「うわぁ、フカフカだべさ。ノーブルお兄ちゃん……また会えるべさ?」
「ああ。また会えるさ」

 再びサビーに別れを告げると、オレは家路へと向かった。
 部屋の灯りがもれる窓の下で声をあげる。

「今、帰ったぞ」

 すると、オレを心配して探し回っていたのか、庭の向こうから泣き腫らしている飼い主の顔が見えた。
 慌ててやってきた飼い主は、オレを抱き上げると頬を寄せてきた。

「……心配かけたな」

 飼い主の顔へオレも頬を擦り付けてやった。

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