JayBothroydの5年間を振り返る
経歴
1982年5月7日、イングランドのロンドンで生まれたジェイは1998年、16歳の頃にイングランドの名門アーセナルの下部組織に入団する。
アーセナルユースではFAユースカップで活躍し、将来が期待されるもアーセナルU-19時代に途中交代に苛立ち、ユニフォームを指揮官の前で投げ捨てた事が原因でトップチームに昇格せずに100万ポンドという安価で売却されてしまう。
その後、コヴェントリーに加入し、イタリアのペルージャやイングランドのクラブを転々とした後、2008年にカーディフに移籍する。
当時イングランド2部リーグに所属していたカーディフだったが、活躍が認められジェイはイングランドのA代表に初選出され、初出場を果たす。
その当時のイングランド代表のメンバー↓
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いつ見ても豪華すぎるメンバーです笑
その後、QPRやタイのムアントン・ユナイテッド"チャナティップの古巣)を経て2015年ジュビロ磐田に移籍する。
磐田では2シーズンで54試合34ゴールという成績を残し、2016年に退団した。
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その後半年もの間フリーの状況が続いていたジェイは2017年の7月に北海道コンサドーレ札幌に加入することとなった。
2017シーズン
磐田で活躍していた実績があるとは言え半年間フリーだったこともありコンディション面も未知数で扱いずらい性格との噂も少なかったため不安要素も少なくはなかった。
とは言え当時残留争いに苦しんでいたチームにとって石川直樹、チャナティップ等と共に活躍が期待されていたジェイは7月29日に行われた浦和レッズ戦でデビュー。そして試合終了間際にいきなり移籍後初ゴールを決めサポーターの心を掴む。
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その後も同時期に加入したチャナティップと共に都倉に依存し停滞していた攻撃陣を一気に活性化させた。
そして勝てばJ1残留が決まる大一番、第32節清水エスパルス戦で2ゴールとチームの勝利に貢献し、見事J1残留を決める。
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そしてシーズンが終わってみれば14試合で10得点となんと半年間の在籍でチーム得点王となった。
このジェイの活躍がなければ今のコンサドーレの躍進はなかったと言っても過言ではないだろう。
2018シーズン
この年、チームはJ1昇格、残留を果たした四方田監督に代え超攻撃的サッカーを志向し、Jリーグでも実績十分のミシャことミハイロ・ペトロヴィッチ監督を招聘。
前半戦は怪我に苦しむが、後半戦はチームの躍進と共に自身も調子を上げ終わってみれば24試合9ゴール5アシストと活躍。
第26節の川崎フロンターレ戦ではチームは0-7と大敗。試合後、ホームサポーターに挨拶に向かったチームの中で最後までサポーターに向けて拍手を送っていたのがジェイだった。
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勝てばクラブ史上初のACL出場が決まる最終節のサンフレッチェ広島戦では芸術的なループシュートで追加点を決めた。
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2019シーズン
このシーズンも怪我に苦しみリーグ戦23試合の出場に留まるが第23節でハットトリックを達成し、チームの8-0の勝利に貢献。
ルヴァンカップでも7試合に出場しクラブ史上初の決勝進出に貢献。
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2020シーズン
このシーズンも怪我に悩まされる形となるが例の如く後半戦怒涛を追い上げを見せ終わってみれば22試合6ゴール。
第28節の清水エスパルス戦ではJ1リーグ23000ゴール目を記録した。
実はこのシーズン、ジェイの稼働率低下や鈴木武蔵の退団の影響もありクラブは10月にウーゴ・ヴィエイラを獲得。
次シーズンからジェイの後釜として本格的に起用していく方針のようだったがジェイの後半戦の怒涛の追い上げの影響もありシーズン終了後に退団したのはウーゴヴィエイラの方だった。
2021シーズン
そんな中で迎えた2021シーズン、このシーズンもシーズン終盤に向け徐々に出場時間を伸ばして言ったものの24試合1ゴール4アシストと思ったような結果は残せずにいた。
そして、11月25日クラブはジェイの契約満了を発表。その後、本人も引退を決断したとの報道も出始め、家庭の事情により28日に帰国となったため37節のホーム最終節がジェイにとってラストゲームとなった。
そんなホーム最終節に84分から途中出場。
ゴールは決められず、出場時間も決して長くはなかったが、不満を露わにするジェイの姿はなかった。
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ジェイの入場時にはゴール裏のサポーターのコレオによるイングランド国旗の演出もありジェイがどれだけこのクラブのサポーターに愛されているのかが見てわかる。
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ピッチ外での貢献
ピッチ内での活躍を振り返ったところでピッチ外の部分も振り返っていく。
2017年の11月4日、練習中に倒れ意識を失ってしまう。その後、自身がてんかん患っていることを公表し、同じ病気を持つ人々に勇気を与えた。2020年にはコロナ禍で経済的に苦しむクラブに対し、総額1億円弱にも登る給与の一部を返済することを宮澤と共に発案し、実行。
このようにジェイはピッチ外でもクラブや地域に大きく貢献した。
さいごに
2017年から今日まで約5年間コンサドーレで活躍してくれたジェイ。
振り返ればJ1残留を決めたのも、ACLに行ける!と本気で思わせてくれたのもジェイのゴールでした。
ジェイ自身、回転寿司のトリトンが大好きとの事でそう言った人柄の良さも愛された要因だと思います。
本当に5年間お疲れ様でした。