昨日花子が海辺で泳いだ
昨日花子が海辺で泳いだ。
燦燦と輝くサンセットビーチ。そこには恋愛の楽しさをすべて詰め込んだみたいなカップルがたくさんいた。そんな中一人で海辺を泳ぐ花子。彼女は世界選手権自由形100m5連覇の実力を持つプロスイマーだ。さんざめく背筋と加速するバタ足でカップルの間を駆け抜ける。そう、彼女は真の自由形を体現するためカップルの間を割くという極悪非道の暴挙に身を投げ出したのである。
とっても彼女は速いのでカップルたちは花子をサメか何かと間違えて戦々恐々としている。そう、それが逆に吊り橋効果を生み出しカップルたちをより強固な関係値へと昇華させていたのである。そしてこのビーチは有名な恋愛スポットになったのである。自由形の自由を希求する花子と恋愛の恋という恋をするカップル。これこそが真の平和の形だと、世界に知らしめる事態となった。花子だけに恋愛開花である。花子はどんな荒波にも負けない。自然と一体化することこそが自由なのだ。
彼女は自由形しかおこなわない。平泳ぎや背泳ぎなど泳ぎ方を指定される行為は自分自身を否定する行為であり、生きる意味を見失わせるものだった。彼女は自由形という種目で平泳ぎや背泳ぎをしてトップをつかみとってこそ自由だと信じていた。
そんな花子は今や背泳ぎをして太陽にさえ手が届きそうな雄大な泳ぎを披露している。人生の最高潮にいた。幸せだった。泳いで泳いだ。彼女は海辺で泳ぎすぎて波を打ち消しビーチが平らになっていた。ちなみに彼女は独身である。独身こそが自由だと思っている。決してカップルに嫉妬して問を駆け抜けているわけではない。逆である。豊かさであり、優しさであった。
母なる海という言葉はあるが今の彼女は海なる母であった。そして海は母になり真の意味で地球を生物化することに成功した。全生物惑星の感性である。花子の意思を継いだ自我を持った地球は宇宙という海をまた、ひたすら自由に、自由に、泳ぐのであった。
昨日、花子は海辺で泳いだ。うみの女の子の話