3.アセクシャルの私が恋愛で得たもの

まったく無駄だったことはない。
少なからず男性と付き合い得たものもあった。
特に私はプライドが高かったから、彼氏がいるというステータスは心を安定させてくれた。
20歳前後では、当時自分の恋人を写真で友達に見せる風潮が多かった。
少し顔が良い男性を選んで、写真を見せる瞬間は優越感と高揚感を覚えた。
「私は今アセクシャルじゃない人みたいに恋愛ができて、周りにも自慢ができている」

ただそれだけだけど。
私の恋愛の楽しみがわからないため損をしているような気がするコンプレックスが、この時だけは解消された。

ただ私だけの問題ではないけれど、
顔で選んだ男の中身の無さは異常だ。

会うたびにストレスが溜まることを言われ、結局向こうが私に飽きて振られた。

2回ほどそのようなことがあった。

元彼に関しては恋愛どころか人としても愛していなかったためか、寂しいとは思わなかった。

でもこれでまた世間からの「彼氏はいるの?」ハラスメントを受ける側に戻ることになる。

恋愛をしたことで得た束の間の無敵タイムは終わったのだ。

基本的にはプライドよりも誰かに恋愛的に見られなくないという嫌悪感が強く、決して自分からステータスを取りにいこうとは思えなかった。

ただ24〜26歳の時に付き合った人だけは、私がアセクシャルであることをしっかり理解してくれた。

彼をTくんとしよう。

付き合ってはいるものの家族のように接してくれた。

今でも尊重してもらえた恩はあるし、
そういう意味では、男性で私を人間として愛してくれたのはTくんだけなのかもしれない。

少しだけ性愛しかないという絶望を覆してもらえた。

世の中には普通に当てはまらない人もいると知れたのが、私が得られたもののひとつかもしれない。

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