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日本で最も美しい村にある『家具工房 静Studio』を訪れて

厳しい残暑がつづき涼風至らない8月某日、木工の訓練校に通う50代のぼくが家具工房を訪れたときのレポートです。


「日本で最も美しい村」

赤城山の北西嶺、河岸段丘と日本有数の高原野菜の産地でもある群馬県の昭和村に『家具工房 静Studio』はあります。関越自動車道昭和ICを降りてしばらくすると高原野菜の農園風景、一面のグリーングリーン、それを切り裂くようにどこまでも続くまっすぐな直線道路。のどか!昭和村は東京に一番近い「日本で最も美しい村」なんだそうです

多種にわたる高原野菜が栽培されている中、こんにゃく芋の栽培量が日本一で、まさにのどをつまらせそうなくらいの、ほんとの蒟蒻畑の一直線、気分はおのずとアゲアゲに。

「初めて来る人は迷うから」と事前に手書きの地図を送ってもらっていて、まず目当てはコメリだったけど。下道から来ると思っていたルートだったようで、いきなりナビが「目的地周辺です」のアレレ。「だいたい通り過ぎる」と言われていた通りに通り過ぎて、でもわかりやすい地図があったから約束の9時前には到着しました。

事前に送ってくれたわかりやすい手書きの地図

独立して25年

『家具工房 静Studio』は大阪出身の平井敦さんがひとりで運営している個人工房です。独立して25年、この昭和村に移転して来て15年になるそうで、閉鎖された保育園を借り受けて工房として利用されています。

家具作家・木工家の平井さんのことを知ったのは12年前の群馬ウッドクラフト協会の県庁展で。そこに出展されていた作品を見たのがはじまり。椅子やテーブルはもちろんのこと、いままで見たことのない形の、見たことのない塗装のビアジョッキに魅せられてしまいました。どんな人が作ったんだろう、話がしてみたい、あいにくその日は不在で会うことができませんでした。

初めてお見かけしたのはその年の秋のこと、酒蔵でのグループ展でお声かけさせていただき、ちょこっとお話をして。それからは毎年群馬の森クラフトフェアにお邪魔して、そのたびに小物作品をひとつひとつ買い集めてきました。

2012年酒蔵でのグループ展
2013年の群馬の森クラフトフェア

95%は群馬県産

桐生での個展では会えなくて、道の駅ランキングで常に上位の『道の駅 川場田園プラザ』でのクラフト展も見に行きました。歳が近くて話しやすいっていうこともあるけれど、話は楽しく勉強にもなるし、毎年の新作を見るのも楽しみ、作品のクオリティはそれはもう圧倒的なので。

作家とファンの関係性、友達というにはおこがましく、LINEではつながっていないけれど、facebookのお友達、連絡はもっぱらmessengerでの友達関係。

園庭だったところに車を停めて目に入ってくるのは棧積みされた材料の山がひとつ、ふたつ、みっつ。建物の壁という壁に立てかけられた材料、これも山っていうのかしら?棧積みしたらよっつ、いつつ、むっつ、まだまだ全然足りないくらい、ななつ、やっつ、ここのつ、大量の材料に囲まれた保育園、じゃなかった家具工房です。

元保育園の家具工房

平屋とはいえ元保育園の建物はけっこうな大きさがあり、とても個人工房とは思えない広さと材料の量、「ちょっとした材木屋よりもあると思う」なんてさらりと。基本、材料は丸太で買うとのこと、「昨日も製材してもらったんで」ってまだ買うんですか?たぶん思うに、もう一生分ありますよ!

馴染みの材木屋さんが82歳で、まだ元気でやってくれているけど、これからのことを考えると心配と話していました。原木市場での入札ノウハウや失敗談、やめちゃう同業者から「材料を使って」といただくこともあり不明なものもあるけれど、それでも在庫している材料の95%は群馬県産とのこと。クリ、クワ、サクラ、クルミ、シオジにトチ、セン、ミズナラ、キハダ、カエデ、ケヤキなんでも来い来い、秋田杉は秋田産で!

工房見学に来たのに、これだけ書いてもまだ工房の中に入っていないなんて。
まるで椎名誠の初期の傑作『哀愁の町に霧は降るのだ』のごとく、そして話はまだはじまらない。

『シンの木工家ラジオ』

最近よく聴いているPodcastが『シンの木工家ラジオ』っていう家具屋の花太郎とアルバイトのこーぐちくんが送る木工バラエティ。1周聴き終えて2周目をお気に入りから聴いているところ。1番のお気に入りは花太郎さんの桃への愛が止まらない回、木工バラエティなのになんで桃?花太郎さんの工房は長野県にあって、4日にいっぺん生産者さんに直接買いに行き、どの品種がどうのって話がおもしろく。ひと夏で全10数種類の桃を食べるのが目標とか、ぼくも果物で桃が一番好き!ただ桃アレルギーなんですけどね。今の花太郎家の流行りはかたい桃のようで、それもぼくもおんなじでかたい桃が大好き。毎年山梨の親戚が採れたてのかたい桃を送ってくれて、そのおいしさったら。のどがかゆくなろうが、胃が荒れようが、下痢になろうがほぼ1箱ひとりで食べちゃいます。今年の春に笛吹川フルーツ公園で食べた嶺峰っていう桃のジェラートがめっちゃおいしかったので、この夏は嶺峰まるまる1個食べてみたい。

花太郎さんを見習って話は木工ではなく桃のほうにそれてしまいました。ここまで書いてもまだ工房に入ってなくて、いい加減そろそろって思うけど、それでもまだまだ話ははじまらない。

「一緒にがんばりましょう」

『シンの木工家ラジオ』ほかには木ベラの大久保ハウス木工舎の大久保夫妻のゲスト回が人気です。銀座のデパートでの実演で積み上げられる木ベラタワーは今度絶対見に行きたい。特に刺さった言葉は奥さまがこれから木工を目指す人にかけているっていう「一緒にがんばりましょう」、木工をやりたいなんていうとネガティブなことを言われることが多いけどなんと心強い、勇気をもらえる言葉でしょうか。

「手作りで使い続けられるものを作るなんていうのは時代遅れ」


それと木工家第一世代、谷進一郎さんのゲスト回も聴きごたえのある神回です。木工家第一世代とは高度成長期の全共闘世代でもあって、「手作りで使い続けられるものを作るなんていうのは時代遅れ」と言われた大量生産で大量消費の時代。量産を前提としたものづくりがいいのかと疑問を持ち、ひとりの職人が責任を持って仕事をするっていう木工が注目された時代でもあったのでしょうか。谷さんも秋岡芳夫さんのことを語られていますが、ぼくにとっての木工バイブル『木工-指物技法』を書かれた秋岡芳夫さんが唱えていた"消費者から愛用者に!"に通じる時代だったのでしょう。谷さんご自身は松本民藝家具で修行され、のちに長野県の小諸で独立、ここら辺のことは谷さんが木工家ウィークに寄せられた特別コラムに詳しいのでそちらもご覧いただければ。秀逸です。

木工家第二世代

その後1980年代に木工ブームが起こり、当時季刊誌だった『ウッディライフ』などで紹介された木を扱って生きている木工家第一世代の方たちの生活、生き方に感化され憧れたのが木工家第二世代ということで、平井さん自身1980年代に学生時代を過ごし、修行時代は信州の木工家第一世代の方を師事されていたそうなので、まさに木工家第二世代になるのでしょう。

小学校で授業

そして話はだいぶ脱線してしまいましたが、やっと本来の目的である工房見学、保育園の中へ。

まず案内されたのは職員室で、書棚にはたくさんの保育関連本、ではなくて木工関連本が並び、薪ストーブもある事務所であり、手加工などをするメインの作業部屋になります。ここにもやはり壁一面に材料が立てかけてあり、もう片方の壁には手道具がすぐ取り出せるように壁面収納されています。そして窓の外には小学校の校舎とグラウンド、先日縁あって小学生たちに授業で話をして来たとおっしゃっていました。小学校の目の前で木で家具を作っているおっちゃんは、小学生に「いつも頭にタオルを巻いている人」って言われたと笑っていました。その後の県庁展に小学生が見に来てくれたと嬉しそうに話されていました。

薪ストーブもある職員室的なメインの作業場
学校新聞で紹介された平井さん(平井さんのfacebookより)

今回、工房見学にあたり「見たい作業はありますか」と言っていただき、「邪魔しないように普段の作業を見させてください」と話してはいましたが、「しいて言うなら漆が」とリクエスト、そしたらちょうど漆の仕事があるってことで。

栃の玉杢、牡丹杢の天板のテーブルは黒田辰秋

見るからに重厚なテーブルは黒田辰秋のお弟子さんが作ったというもの。「4人で座るには座りづらいので脚を作り変えてほしい」というご依頼のもの。さすがにお弟子さんということで特徴的な黒田辰秋の脚デザイン、この脚を作り替えるのはどうかと思ったそうで、老夫婦からのご依頼で二人で座るには支障がないというので、脚はそのままに漆の塗り直しだけをご提案されたとのこと。栃の玉杢、牡丹杢の天板は今材料で買ったら100万円じゃ買えないようなもの、おそらく初めに出たときは数100万はしたテーブルなんじゃないかと。

今回は初めてのお客様で、なかなか見ることもできないようなテーブルの改修依頼は、お付き合いのある別のお客様からのご紹介。誰にでも依頼できるような仕事ではないから、今までの実績と信頼があってこそ。実際にテーブルを見てこの天板に合う材料に持ち合わせはなく、やはり黒田辰秋の脚はそのままにと思ったそうです。あれだけ材料があるのに、そこまで考えていて。

いよいよ漆の塗り直し作業の開始です。天板、木口、木端に丁寧に耐水ペーパーをかけていきます。今回は塗り直しなのでかーるく、かーるく。エアで木屑を吹っ飛ばし、漆には埃が厳禁なので服に着いた埃も吹き飛ばし年少組の漆部屋に移動します。

水をかけ耐水ペーパーで磨きます

漆塗りの実演とかぶれ問題

漆は埃もそうですが湿度も大事、冬場は乾かすのに時間がかかり、夏場の暑さは地獄のようで、どっちにしたって大変な作業です。漆部屋にはさらに漆風呂がありまして、まずはそちらの壁に水をシュッシュッシュッ。スチームサウナの状態を作るんですね。刷毛を谷川岳の瓶に入った灯油で洗ったり、漆を白ワインの瓶に入ったホワイトガソリンで溶いたりして。塗る段階、回数によって粘度を変えるそうです。塗っているときに刷毛が抜けないようにする工夫はなるほど、DIYで安い刷毛で塗装するとすぐ抜けちゃってくっついてイラッとするけど、この方法は使えるかも。この時期は漆風呂に入れなくても大丈夫とのことで、部屋の中にテーブルを入れて馬毛の刷毛で塗り塗り。混ぜているときから漆のにおいがしてきて、摺り摺り拭き拭きしているとさらに部屋中に広まって。

漆部屋の中の漆風呂
白ワインはホワイトガソリン、谷川岳は灯油

漆は国産漆を塗ってほしいとのご要望で、京都からのお取り寄せ。中国製とは艶が全然違うので最後のひと塗りだけでも国産漆を使うとよいそうです。当然お値段のほうもいいですが。昨今の物価高による値上げラッシュ、更にはウッドショックで木材価格が暴騰したように漆の価格もちょっと前の倍の価格になっているんですって。

漆は材種によって吸い込みかたが違うので、トチノキなんかは塗ったら塗っただけ吸い込んでしまうらしく、塗る回数に限度はあるにせよ使用する漆の量は違ってきます。漆の仕事で材種によって値段は違うんですか?という質問には「みんな一緒」、使っている漆の量から換算するとお値段けっこう違うと思うんですけどいいんでしょうか?

やはり漆といえば漆かぶれで、知り合いの木工家は漆に弱い人、漆作業はほかの人に頼んでしてもらっているそう。でも気になるので少し開けた扉の隙間からその作業を見ていたら…弱い人は漆に触れなくても、空気でも反応してしまうらしく、しばらくすると目のところに一直線のデビール、デビルマンで伝わらないなら大槻ケンヂのヒビ割れメイクのように漆かぶれの痕ができたとか。平井さんも専門学校のときに洗礼を浴びたそうで、あの時インド人の習慣を知っていれば、トイレは左手が基本です。いくら手袋をしていたとはいえ、そのあと右手でおトイレしちゃったせいでオティンティンは自慢できるくらい大きく大きく。でも気が狂うほどの痒さに漆は二度と使えないって思ったとか、せっかく大きくなったのに残念なこと、それでも漆に順応?慣れなのかはわかりませんが今では普通に漆を扱っています。

丁寧に漆をぬりぬり

摺り漆と拭き漆、よく聞く言葉ですが摺り摺りしてから拭き拭きするからどっちも同じこと。乾いたら塗って、そして乾いたら塗ってを繰り返し、それを何度もしてやっと完成する漆塗り。今日は一回塗ったのでここまで、続きはまた明日。

圧倒的な美しさの玉杢

心技体、「今が一番充実している」

次はギャラリー、平井さんが今まで作ってきた作品が保管されている年中組のお部屋へ。北海道産の栓で作ったテーブルセット以外は群馬県産の木材で、地元群馬県産の材料を使うのもこだわりのひとつです。独立した当初はそんな思いはなかったそうですが、いつの間にか群馬県産のものばかりになって、今では群馬県産の木材のよさを生かした家具作りが特徴、魅力になっています。今は若いときに比べて作業スピードは遅くなっているけど、経験を生かしての家具作りは心技体、「今が一番充実している」と力強く話されていました。まだまだ頑張れ50代!ぼくもですけど。

大物、小物いっぱいのギャラリー
十二角形のタンブラー

テーブルや椅子、キャビネットなど大きいものが作れるし、体が動くうちは大きいものを作っていきたい。その内、体がいうことを効かなくなったら小物メインの制作に移行しようとお考えで。工房いっぱいの材木さんたちもいい塩梅に乾燥して、早く平井さんに作ってほしいと、形になることを待っています。

長さ1930mmクリ材二枚矧ぎのブックマッチ
クリ材の虫食いとチェーンソー跡が残るテーブル
クリ材ノミ跡をつけた定番スツール
シウリザクラとエンジュのスプーン(すべて平井さんのfacebookより)

小物の制作は注文家具の合間に、展示会やクラフトフェア向けに作るくらいで、個人やグループでの展示会を開催し、そこからつながる注文家具作りが主軸です。今のクラフトフェアは小物が飛ぶように売れると聞きます、そんなクラフトフェアでも大物家具を出品しているのは数えるほどしかありません。今年の群馬の森クラフトフェアは惨敗だったとおっしゃっていました。確かに小物の出品はほとんどありませんでしたものね。大物家具についても注文につながるお客様にめぐり会えなかったそうです。

2004年平井敦展
2017年平井敦展
2019年平井敦展

小物がけっこう売れる時代、作りためてECサイトで売るのはどうですか?と話を向けてみると、「パソコンにうとくて」とおっしゃって。本当はどこの誰かもわからない、顔の見えない相手へ売ることへの抵抗や思いもあるのではないでしょうか。卸売もされていないので、自分の作った家具や小物を直接お客様に届けたい、そこでのつながりや、作品を手にしたときのお客様の喜びの顔を励みに仕事をされているのではないかという感じがしました。このような考えは『シンの木工家ラジオ』のパーソナリティー"こーぐちさん"がご自身のnoteにも書かれていて共感した部分です。

小物作品も圧倒的なクオリティー

平井さんが主に作られている小物は、スプーンやナイフのカトラリー、フォークはもう作っていないそうです。ぐい呑みに吸い飲み、タンブラーやコーヒーカップにスープカップ、鑿打ちのお盆や皿は平井さんらしい作品です。材種はいろいろ、塗装もオイル仕上げにアクリル系ウレタン系、もちろん漆塗りもあります、あります。陶器のような仕上がりの塗装は漆なんだそうで、魔法の粉をかけて仕上げています。このマットな漆の塗装が平井さんのカップの特徴であり魅力です。かといって木目をバッチリ生かしたクリア塗装のものも素敵なんですけど。あっちも、こっちも、どっちも手に取ってほしくなっちゃうものばかり。

虫食いもそのままにクリ材のフォトフレーム(2024年群馬の森クラフトフェア)
栓の盛器、漆塗りで木目も美しい(2024年群馬の森クラフトフェア)
エンジュの食膳とノミ打ちの皿(2024年群馬の森クラフトフェア)
魔法の粉をかけた漆のカップ(2024年群馬ウッドクラフト協会県庁展)
栓の木目の美しさが際立つコーヒーカップ(2024年群馬ウッドクラフト協会県庁展)

書棚に並んだ木工書籍

時間になったので職員室に戻りお茶休憩、そこで気になるのは書棚に並んだ木工書籍のあれこれ。おすすめの本をお聞きするとあれもいい、これもいいと。

平井さんのおすすめの本は

  • 木を読む: 最後の江戸木挽き職人/林 以一

  • 木と生きる、木を生かす: 木地師千年の知恵と技/川北 良造

  • 木工の世界/早川 謙之輔

  • 黒田辰秋木工の先達に学ぶ/早川 謙之輔

  • 風花抄/白洲 正子

  • 南木曾の木地屋の物語: ろくろとイタドリ/松本 直子

  • 崖っぷちの木地屋: 村地忠太郎のしごと/松本 直子

木工技術が確かなことはわかっていましたが、木工関連への興味、知識、造詣の深さも相当で、こういったところも平井さんの強みなんですね。

今回漆を塗ったテーブルも脚のデザインから黒田辰秋のものってこともわかったり、平井さんの鑿打ちの盆は我谷盆のインスパイア系なのでしょうか?ラーメン二郎的な表現で恐縮ですが、黒田辰秋の本を読んでいらっしゃるので、もしかしたらと想像しました。黒田辰秋が見出したと言われる我谷盆、ダムで村が水没する直前に『我谷盆賛』という自筆の詩をしたためたというし。こんな背景もあったら、ご自身も作ってみたいって思うのは性分なんじゃないですかね。聞き忘れたのでこれはあくまでぼくの勝手な想像で。

そんな愛読書が並ぶ年季の入った書棚は、独立当初の工房から持ってきたもの。以前の工房は旧黒保根村で廃校となった分校を借り受けて設立され、昭和村に移転するときに一緒に持って来たものなんです。昭和の昔のいいものは長くずっと、経年変化の趣も加わって、愛着を持って使えます。取っ手が着いていないのはアンティーク調の和箪笥を作ったときに、その抽斗にちょうど雰囲気があったのでそっちに着けちゃったんですって。そう言えば取っ手のない古い抽斗がほかにもありました。

高原道路の話が楽しい

あっという間にいい時間、ちょっと早いけどお昼にしましょうとおじさん二人と、まだ若い20代の二人が車に乗り込んで高原のレストランに向けてレッツラゴー!プチ北海道な真っ直ぐな道をゴーゴー。

こんな真っ直ぐの上り下りの坂道で娘さんの自転車練習をしたなんて、上から手を離したらペダルを漕ぐこともなく下まで直滑降じゃないですか。

ウソかマコトか数年前、こんなのどかな高原野菜の村で、飼い犬が行方不明になる事件が多発したそうです。UFOが来て連れて行ってしまったのか、なにかほかにスピリチュアル的なことが起こったのか、真相は闇の中。

群馬県を車で走っていると時々ロードノイズかと思えば聴き覚えのあるメロディ、けっこういろんなところに懐かしい童謡を奏でるメロディラインっていう道路があります。同行の若い人は愛媛県出身で「地元にもメロディラインがあります!」って。さすが愛媛県、メロディはみかんにちなんだ曲なんですって。ごめん、でもみかんにちなんだ曲ってそんなにあったっけ?「♪みかんの花が咲いている~」くらいしか思い浮かびませんけど。ぜひ、この真っ直ぐな高原道路にもメロディを!昭和村にちなんだ曲を調べてみたんですけど『こんやこんにゃく』って曲はいかが?たぶん誰も知らないと思いますけど。移動の車の中でもおもしろい話に終わりはありません。

事前のやりとりで「お昼は近くに食べに行きましょう」と言われていて、失礼ながら昭和村に食べるところ?ちょっと遠いけどもつ煮は日本一の『永井食堂』まで行くのかなって思っていました。

葡萄畑の中のレストラン

工房から車で5〜10分、奥利根ワイナリーに到着。ワイナリーのレストランでお食事なんてお高いんじゃないのとちょっと警戒、でもランチメニューはサラダ、スープ、デザートまでついて税込1200円、PayPayにクレカも使えます。平井さんにはスマホでピッは関係ないそうですが。ランチメニューは5種類くらいあって、各々別のメニューを注文、人に合わせるんじゃなくて食べたいものを、木工家には好きなものは好き、自分は自分の我の強さが必要です。関係ないか笑

冷房はなく高原の自然の風が心地よい葡萄畑の中のレストラン。まずは白ワインで乾杯!したかったですけど。いま書いてて思ったんですけど葡萄と蒟蒻ってゴチャゴチャ感が似てますね、ここはこんにゃくではなくてぶどう畑の中です。採れたて新鮮な地元野菜を使ったスパゲッティがおいしい、おいしい。

蝶々を追いかける少年

デザートのアイスまで食べて満腹満足のランチタイム、車に戻る駐車場で平井さんが「待って、待って」、なにかを見つけたようです。スマホを取り出し写真を撮ろうとしていて、いざカメラを向けると「どこ、どこ、見失った」。どうやら平井さんお気に入りの孔雀蝶がとまっていたようで、カメラを立ち上げるのにモタモタしているうちに孔雀蝶はどこかに。らくらくフォンなのにやさしくない、スマホの問題というより平井さんが…

「あっちです、あっちです」って言う声を聞いて飛んでいく蝶々を追いかける平井さん、そんなうしろ姿は夏の少年のまんまです。かわいい!昭和の少年が夢中になって昆虫を追いかけているように見えました。昭和村だけに。

平井さんが送ってくれた図鑑の写真

今でも少年の心を持った平井さん、毎朝の散歩では植物やキノコの成長を感じながらの自然観察、木を扱う仕事をしているから自然への興味と山への感謝を忘れない。自然を愛する会の活動もされているそうです。木工のことに留まらず、そんな自然との触れ合いをInstagramやfacebookに投稿しています。パソコンだけでなくらくらくフォンすら使いこなせないのに頑張って投稿していると、それだけでも進歩したっておっしゃっていました。平井さんのfacebook、ほっこり癒されるんです。

そんな自然観察山歩きで森のクマさんにばったり会ってスタコラサッサ、いや逃げるんじゃなくて10分間クマさんとにらめっこ。ちょっとずつ、ちょっとずつ後ずさりして難を逃れたそうです。クマさんに出会ったら死んだふりは迷信で、ちょっとずつ後ずさり、これ覚えておきましょう。ほんとかどうかはわかりませんが。

ブラタモリよろしくの河岸段丘、工房への帰り道はタモさんじゃなくて平井さんの解説で。川が近くの工房なのでちょっと行っては下り坂、ちょっと行っては下り坂。冬場の道は雪や凍結で恐ろしや、ところどころロードヒーターが設置されているけれど工房近くの下り坂の交差点、あと10メートル、いや5メートルでも延ばしてもらえないかと。冬の昭和村、車はやっぱりヨンダブでないと。やはり表現が昭和村だけに…

木工機械は動線を考えて

工房に戻ってきました。午後は年長組の木工機械の加工場へ。バンドソーから手押しかんな盤に自動かんな盤、超仕上げもあります。横切り盤に昇降盤があって、穴あけは角のみ盤にラジアルボール盤、このラジアルボール盤が角度ある椅子の穴あけに便利とおっしゃっていました。木工旋盤にベルトサンダー、集塵はオバQでコンプレッサーはもちろん。一人作業なので大きいものを作るときは不便もあるけれど、これだけの木工機械を使いこなして作品は作られます。

南京鉋には5ミリの銅板を貼って

手加工の作業場に戻って引き出しにしまわれた鑿や小鉋など、壁一面のほかの手道具も見させていただき使い方の解説も。チョウナは荒っぽい仕上げのはつり用、柄の角度が狂ってきて使いづらいから今はもっぱら観賞用。

南京鉋は持ち手が両手にあるから両手使いするものだと思っていたけど、スプーンを作るときは左手に材料を持って右手が南京鉋でシャッシャッと。片手でもできるんですね、削るアールに合わせて南京鉋を変えてシャッシャッ。南京鉋は刃口がすぐに摩耗してしまうので真鍮を貼るのがスタンダード、でも平井さんの南京鉋は5ミリの銅板が貼ってあります。5ミリはけっこう厚いけど、それでもすぐに摩耗してしまうそうです。ぼくも南京鉋がほしいから刃だけ買って、自分で台打ちして銅板も一緒に仕込みましょっと。簡単にはできないですけどね。

5ミリの銅板を埋め込んだ南京鉋
右手に南京鉋、左手にスプーン

鑿打ちのお盆作りには丸鑿が必要で、木目にそって順目に、出口は逆目になってしまうので注意して、横削りすることもあるそうです。丸鑿の研ぎは砥石を鑿の丸に合わせた形を作りシコシコと。

薄くなった砥石は丸鑿用に

考えられた治具もいろいろありました。お盆の掘り込みはトリマーで、ガタつかない工夫とベニヤで作った治具で円を大きく大きくしていき、トリマーで取りきれない際は鑿を立てて木下げします。ベニヤにアクリル板を貼って作った傑作治具は特許申請しよっかな。

トリマーをセットして大きく大きく

杉のお盆は板目の凹凸を引き立たせるために浮造り仕上げにしたり、スプーンや椅子の脚や肘掛けの型紙もたくさんありました。接着のとき額を締め付けるのはベルトクランプでもPPバンドでもなく、パチンコのゴムがいいそうで、実演していただいて確かにギューギュー。

萱を束ねたお手製の浮造り器

木を見てどんな木目があらわれるか

続いて材料置き場にもなっている外のプールに。材料の木取りには無駄がなく、できる限り厚いものは厚いまま、長いものは長いまま。虫食いやヒビや割れも使えないかと考えて。

ちょうどテーブルの天板に使用して、残って次の出番を待っているミズナラが置いてありました。これももちろん群馬県産、柾目の材料にはミズナラらしい美しい虎斑が見られます。5寸の板目板は端のほうに節だか割れだかがあったそうですが、矧いで使えば天板としても使えるもの、端のほうにうねりのような木目がおもしろく、ここで割いたらきっときれいな虎斑が現れると見当をつけて。実際予想通りの美しい虎斑があらわれ、その材料は木目を生かしてコーヒーカップやスープカップになったそうです。割いたらあらわれる木目を想像できる木を見る目、天板として使っていたらこの虎斑は日の目を見なかったことになります。それでも厚い板を割いてしまったという罪悪感に苛まれるとおっしゃり、平井さんの手によってミズナラちゃんこんなに生かされているのに…

ミズナラを製材したときの写真(平井さんのfacebookより)

このミズナラは四方を組んだお盆にもなっていて、ガッチリ接着したあと仕上げは昇降盤を斜めにして縁の部分をカットしています。長さ40センチ、厚みは5ミリもない誰が見ても薪にもならないゴミような端材、それでも平井さんにとったら材料なんです。

ここでもまた"こーぐちさん"の考えに共感して、ぼくも木工所で捨てられてしまう端材からなにか作れないかと考えていて。できたら平井さんの工房から出る群馬県産の端材を分けていただけないかと思っていたけど、そもそも平井さんにとって使えない材料はなく、平井さんの工房からほかで使えるような材料は出ないってことがよくわかりました。

ドクターヘリに指接合の名医

ひとり作業なので事故やケガには細心の注意を払い、安全第一で危険な作業はできるだけしないように気を配っています。仲間にドクターヘリに乗ったと自慢されたり、また別の仲間は昇降盤で指を落としてしまって、たまたま運ばれた病院に指接合の名医がいて無事につながったとか。木工あるあるでケガの話は尽きません。いくら指接合の名医がいてもひとりで作業していたら、なにかあっても誰も通報してくれませんからね。ケガ防止ではないけれど機械を使うときはイヤーマフも忘れずに。木工をやっていると高音が聞こえなくなる人が多いですから。

そんな長さ40センチ、厚み5ミリ、しかも斜めにカットされたミズナラの端材をなにかに使えないかと考えるのが平井さん。同じミズナラのお盆の留めに埋め込むパーツに使える、留めはガッチリ接着できているから補強ではなくデザインで、木口が見えてアクセントになると。

薄くて危険でちょっとためらうけど、ここで実演してくれるとのこと。昇降盤を3ミリにセットして身だしなみを整えます。Tシャツの裾をパンツにしまい、短パンなのはご愛嬌、イヤーマフを着けてスイッチオン。どれも同じ端材だけど、ものによってはキューッと刃に食い込んできたり動きがおかしかったり、そんなときは無理をせず安全を優先してやめちゃうそうです。

ジョージ ナカシマと桜製作所

再び職員室に戻ってお話の続き、経歴についてうかがいました。大阪の高校を卒業したあと、木工の勉強をしたいので飛騨高山の専門学校に入学することに。この2年間の専門学校生活がその後の木工人生に大きな影響を与えた、ということではなかったそうです。まだ10代でなかなか人生の選択と決断ができるものでもありませんし、平井青年も悩むこともあったと思われます。卒業にあたり木工の仕事をしたいという思いがあり、地元大阪からそれほど遠くない香川県の『桜製作所』に就職されます。

書棚から出てきたのはウッディライフ別冊の『手づくり家具作家図鑑』、当時木工で有名だったところは『オークビレッジ』、『KAKI工房』、それに『桜製作所』くらいだったかなって。もちろん『オークビレッジ』は知っていましたし、『KAKI工房』はぼくの憧れで、10年くらい前には工房を見学させていただいたこともありました。『桜製作所』といえばジョージ ナカシマの家具をライセンスで作っていることで有名で、一番の決め手は「ジョージ ナカシマの家具が好きだった」ってことのようです。

長く勤めるつもりだったけど、3年で辞めることになり、その後は信州の木工家の元で約2年間修行されます。家具作家平井敦の基礎を作ったのは『桜製作所』での3年間だった話され、レベルの高い先輩達から仕事を教わり、時々あった宿直は率先して先輩達から代わってあげて、工場に寝泊まりし寝る間も惜しんで自分の作品を作りはじめていたそうです。その時からすでに個人として仕事をいただいていたなんて、会社の理解があったとはいえいい時代でした。

この『桜製作所』での3年間の修行で、「独立してもやっていけるという自信になった」と話されていました。それはすごい技術を身に付けたとか、どんなことでもできるという自負ではなく、誰にも負けない木工に対する志と、これからずっと木工でやっていくという覚悟が定まったっという決意が、”木工家として生きていく自信”というふうに感じられたのではないかと思いました。

好きな木工をやっているから、今も決まった休みの日はなく、別に休みたいっていうこともない。それよりも作りたいもの、やりたいことのほうが多くて。途切れない仕事の中からやり方を工夫して、あっちもこっちも平行して仕事をするのが性に合っている。例え効率を度外視しても。今はやむを得ずやらざる負えない仕事もあるそうで、平井さんには平井さんにしかできない仕事をしてほしい、やりたい仕事だけをできるような、そういう状況が訪れることを願っています。

二つの『静Studio』

最後に『静Studio』という工房名の由来についてうかがいました。『静Studio』は桜製作所時代の同僚の岩瀬さんと1989年群馬県の黒保根村で旗揚げされました。そのあと東京で仕事をするチャンスがあり、岩瀬さんは東京に、平井さんはそのまま群馬に残って木工を続けることになったそうです。木工家を紹介する本に岩瀬さんの『静Studio』が紹介されていて、「混乱させちゃってるけど二つの『静Studio』」だそうです。桜製作所に入社して最初に住んだのが紹介された元鳥小屋で、岩瀬さんは元牛小屋、ここで隣同士の半共同生活をされていました。その小屋は静荘というアパートの離れで(大屋さんが静さん)、そこから二人の関係がはじまったことから『静』をとり、『スタジオ』はジョージ ナカシマの工房、コノイドスタジオからとって『静Studio』になりました。現在、鳥さんは群馬県、牛さんの岩瀬さんは千葉に移転され、今でもどちらも『静Studio』です。

平井さんは家具の材料としてウォールナットは使いません。群馬県産ではなく外国産材ってこともあるでしょうけど「ウォールナットはジョージ ナカシマのもの」との思いがあるから、本当にリスペクトされています。そんなウォールナットも"ちぎり"には使います。材料を矧ぎ合わせるときに使ったり、割れが広がらないように使うもので、「♪あなたは誰と契りますか〜」的な離れないようにすること、契りをかわす、約束、誓いだったりの意味があり、蝶々の形をしているものです。平井さんの好きな蝶々、それをジョージナカシマのウォールナット、ちぎりの意味、ちぎりにウォールナットを使うことにどんな思いがあってのことなのでしょう。

蝶々がたくさん飛んだシオジの天板(平井さんのfacebookより)

コテンパンに打ちのめされて

今回の50代のぼくとまだ若い20代の二人の『家具工房 静Studio』見学、家具作りの第一線で活躍されている平井さんから話をうかがい、とても有意義な時間となりました。これから木工の道に進むであろう若い二人にとって、勉強になりまた刺激にもなったことと思います。引率した甲斐があったっていうもの。

そして50代のぼくは、正直コテンパンに打ちのめされてしまいました。それは家具作家平井さんのすごさに触れたから、平井さんから直接言われたわけではなく、そんなふうにも思っていないことでしょう、それはもう勝手に自分で感じてしまったことだから。木工の訓練校で1年学んだくらいでなにができるの?木工で生活するって簡単じゃないよ、工場や機械もそうだし材料だってストックしないと、そもそも技術云々よりも志や覚悟があるの?そんなことを問いかけられているような気がして。自分のあまちゃんなところが浮き彫りになり恥ずかしくなってきました。

実際、ぼくの好きな木工は手道具を使って切ったり削ったりする作業が好きなだけ、特になにかを作りたいっていうものもないし。これも秋岡芳夫さんの言葉で「木工は道楽でやれ!」、手間ひまかけてプロセスを楽しんで、好きなものを時間をかけて作るゆっくり木工、ぼくがやりたいことはやっぱりそういうことで、プロの世界とは程遠く趣味でやる程度、仕事ではなく道楽。ぼくの刃物研ぎの師匠『木工 藤原次朗』さんにつけていただいたキャッチフレーズ、"プロもあきれるほどの凄腕の道楽指物師"やっぱりこれを目指そうと思います。

工房見学レポートっていう体から、今の木工への思いをすべてぶち込んだ長文コラムのようなものになってしまいました。50代の大人が書いたとは思えない軽くて薄っぺらな文章で失礼いたしました。平井さんも好きだという椎名誠、昭和軽薄体リスペクトってことで。昭和村だけに。

今は夏休み、小学校のグラウンドに子供たちの姿は見えませんでしたが、夕方になって学童の子どもたちの声が聞こえてきました。あっという間、ずいぶん長居をして一日仕事の手を止めてしまいました。本当にいろいろすみませんでした。

「看板は出してない」

外に出てみんなで写真を撮りたいから「看板はどこですか?」と尋ねると「看板は出してない」とのこと。一人で仕事をしていて看板をみて突発的に来られても対応できないからだそうです。確かに漆を塗っていたり、機械で仕事をしていたら手が離せませんものね。だったら弟子かアシスタントをつけませんか?SNSで平井さんの魅力を発信したら、もっともっとお客様が増えると思いますよ。アポをとって『家具工房 静Studio』へお越しの際の目印は東京電力の『危い!!』の立て看板ですから、通り過ぎないようにしてください。

「今日はありがとうございました!」
「またみんな10本指で会いましょう!」
の言葉を交わしお別れとなりました。

帰りの道も高原野菜の農園風景、一面のグリーングリーン、それを切り裂くようにどこまでも続くまっすぐな直線道路。のどが!蒟蒻畑だけにのどがつまって、いや漆アレルギーに反応してしまったかのようにのどに違和感、「うぅー」声が、声が出ない!

今回工房を見学させていただき、得ることが多かったのと同時に平井さんのことを多くの人に知ってほしいって思いました。この駄文で一人でも多くの人が平井さんのことを知り、ファンになるきっかけになればと思って書きました。

日本で最も美しい村で木と真剣に向き合って、静かなものづくりをしているスタジオにようこそ!そこにはまだキラキラとした輝きを放つ、少年のような家具作家・木工家がいました。

長文、最後までお読みいただきありがとうございました。


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