「私はLに報いなければならない」

本当に、そうなのかな。

なんかめちゃ泣いた。私はただのDEATH NOTEが大好きなクソ雑魚オタクだ。私を倒しても何の経験値もならないよってもう、今の段階で白旗を上げている。

「私はLに報いなければならない」
デスノートって、悪口を書く場所だっけ。違う。相手の名前と顔さえあれば簡単に殺せる死神の道具だ。それは簡単に人を歪めてしまう。

インターネットだから、ジョークサイトだからって、それで、済ませて、何年経ったのだろう。それで……この先は?この先の未来はどうなる?
映画化もされて、TVで紹介されて、私もコミュニティ事態は否定できない……

それで、私一人が、「お願いですから、デスノートという名称を使わないで下さい、みんな、デスノートを拾わないで下さい」なんて言っても、利用者や……何より管理人に届くのだろうか。集英社に無視されて、傷つくオチなのかもしれない。

「私はLに報いなければならない」
でも、私はやらなければなかった。
かつて私を救ってくれた作品の名前を簡単に借りて、変な設定付与してそれで
なんか人殺す方法とか過激な内容のブログがあって、
私はすっごいショックだった。

私はLに報いなければならない。
破滅の道だとしても、私はやって後悔して傷ついて、それでも私はDEATH NOTEが無いと今の私は無かったと、この作品に、この黒いノート一冊に真剣に向き合った大人達を見て育ったから、この作品が好きだから後悔は無いと胸を張りたい。

私はLに報いなければならない。
デスノートに、Lという役を実写の世界に降ろしてくれた人々に私は感謝している。松山Lの原作・アニメLでは大きな乖離が起こるほど違った。
それでも結構多くの人が、松山ケンイチのLはすごいと思ったし、

何より私が、ずっと心の支えにしている。
DEATH NOTEという作品は、誰かの心を傷つける為じゃなくて、誰かの心を救う作品であってほしいと願う。かつての幼い私の、DEATH NOTEを見る前の私の価値観を破壊して、犯罪者とは何か、神とは何かとか、問いかけてきた。私は自分なりにそれをずーっとコネコネして生きてきた。何年も何年も。

前編の地上波初放送をリアタイして、それでLの目を見て……私は惹きつけられた。Lの視線の先を追った。背中を追った。そして……なんやかんやで今の自分がある。

DEATH NOTEという作品の力を私は信じている。
だからその為に私は自分がやりたいようにやる。

私はLに報いなければならない。

Lという形で"かつて助けてくれた人達"に、胸が張れるように。
大好きなLに、ずっと心のどこかで居てくれたLに、ありがとうって言うために。

私はずっと見て、考え続けてきた。

私はLに報いなければならない。

その為に私は、Lに胸を張って大好きだと自信を言う為に私は
筆を執った。

私はLに報いなければならない。
助けてというSOSサインを見て……誰も気づいてないことに、気づいてしまった私が、やれるだけのことをやる。自己満足でもいい。世界は自分で作るものだと考える。

私はLに報いなければならない。

Lは私の視る世界を変えてくれた。

私の助けてを無視する社会だとわかっていても、私にはLがいる。
何も変わらなくても、
そういう時は大人達ってダサいよねって、11歳の時の私に笑って話しかけたい。Lに向けて、滂沱の涙を流しながら私が決意してやった、後悔は無いと言い切りたい。その為に私は書く。自分が後悔しないために、私は書く。

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