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【ネタバレ】初代ガンダム(1979)をまだ15話までしか見てないが、大変興奮している

どうして誰も「ここにいい"戦争モノ"がある」って教えてくれなかったんですか!?
A."戦争モノ"って言うと日本で作られたものには一定の「思想の提示のお約束」をすることになるから。反戦映画か否かみたいな。ガンダムの魅力をどこに感じるかは実際に見た人次第であるし、ガンダム×戦いをどう描くかも制作陣の自由である。

ガンダムは宇宙を舞うのが似合っているし、私は戦争モノをある程度好む人間ではあるものの軍オタクを名乗れるほどではない。ただデケ~もんが動いたり、人が苦しんでいる姿を見るのが好きなだけだし……。

 初代ガンダムといえば私の中では「原点」「アムロとシャア」「ザクが豆腐になった」「実写ゲーム版」「名言が多い」「ロボットもの」などのイメージで、戦争というイメージが一切なかった。
というのも、私が見た巨大ロボットが活躍するのは以下のような特徴を持つ。
・人外と戦う為の決戦兵器。
つまり必殺技(必ずしも殺せるわけではない)みてえなやつです。

エヴァンゲリオンの場合だと「汎用人型決戦兵器」という名称がつけられている。概ねこの特徴が当てはまるのが、2000年代のエヴァとか、期間限定視聴で齧るどころか舐めるで済ませたくらいの蒼弓のファフナーとかなんですね。なので自分の中で一定のバイアスがありました。
巨大ロボットとは、世界の果てで"概念"に抗う存在なのだと……。

 初代ガンダムでは、作中内でモビルスーツという概念が投入される。ザクとかガンダムとか。
それでどうなるかというと、巨大ロボットが銃やナイフ、爆弾、戦闘機(空母に積むやつ)と同じレベルまで価値が落ちてきて、我々の世界への距離感が一気に近くなります。その世界では戦車じゃなくてモビルスーツで戦うんですみたいな。初代ガンダム第15話まで見て、非日常やSFって感じがしない。まぁガンダムはオリハルコンで出来ているのか?というジョークを言いたくなるアホみたいな頑丈っぷりをしてるんですけども……。

 その結果どうなるかというと、戦争モノとしての質感が浮き上がるんですね。ロボットアニメは勿論戦争モノを見た経験値も軍オタの皆さんよりは、ずっと経験値が低い偏食家がこれを書いているので留意点として気を付けてください。私が好んで見るのは概ね第2次世界大戦頃の映画です。(例外もあります)比較的枢軸国寄り関係の話を多めに見てます。あとイギリスが好きです。

 初代ガンダムは1979年に公開された作品、即ち"戦後"34年で作られた作品なので、制作の中枢に戦争の体験、即ち第二次世界大戦が持ち込まれていてもおかしくないと個人的には考えています。アマゾンプライムビデオによると全部で43話で、現在15話という超鈍足で見ているのですが、なんかもう、十分感じるんだよな……。"それ"を……。私我慢できねえ……。というわけで、個人的にいいなと思った戦争の質感をちょいちょい紹介しようかと思います。


OP

初見の時、子供向けの軍歌かよって思ったけどあながち間違ってなかったのほんま草。

第1話 アムロ「この振動の伝わり方は爆発だ……」

ようつべで見よう、初代ガンダム第1話!何度見てもいいぞ!(リンクで飛べます)

私は、"爆発(現象や描写)愛好家"なのだが、爆発の振動をこの身で、現実で感じたことは一度も無いとハッとさせられた台詞だった。このシーンは待機カプセルという、民間人が狭く暗い場所に避難していて、防空壕を連想させる。

第1話アムロ「あぶない!」(地面に伏せる)

なかなかショッキングなシーンの一つ。

ここ、アムロが秒で伏せてて笑っちゃったんですよね。「ええ、すげえ!私絶対棒立ちで吹き飛ばされるよ……って。」爆発という現象が身近になければこの回避行動は出ない。

第1話フラウ「か、母さん……?おじいちゃん……」

フラウ・ボウの後ろにいる紺色は、人の群れです。

この後フラウ・ボウの背後に流れ弾か何かが突っ込んできます。上記でピックアップしたセリフまでの一連の流れが凄すぎるんだよなここ。アムロを想う心がなかったらフラウ・ボウもワンチャン死んでたというシーンです。戦争モノではこういう何気ない判断や立ち位置で生きた死んだが本当に多い。

第1話アムロ「モ、モビルスーツのエンジンをやればサイドセブンもやられちゃうかもしれない……ど、どうすればいいんだ……」

ここに限らず、ダメージを受けた金属の捲れ方の質感が凄い好き。

実はこれを書きながら気が付いたのだが、第1話ではアムロ(素人)が本と己の実戦未経験の知識だけで戦ったことでザクが爆発し、コロニーが損傷して父親が宇宙の外に吸い出されるという悲劇がアムロの知らない所で発生している。勇気の代償である。一応宇宙服みてえな服を着てるので、生きている可能性はゼロではないと言えてしまうのが憎い所である。アムロの父親の安否やいかに。

第1話はyoutubeでも見れるので多めに取り上げました。こういう質感に感嘆の声を挙げています。ここからは密林ビデオを見ながらハイライト的に紹介していこうと思う。

第2話 カイ・シデン、リュウ登場

私はカイ・シデンの台詞ほぼ全般が好きだ。こういう役が一人は要る、と感じることをちょいちょい言ってくれるので。リュウも好きだ。頼れる先輩って感じがするので。(シミュレーションを2回やった!)あと知識を生かしてアムロが調子崩してると説明してくれるたりするので、一定の線引きの参考になる。

第2話 アムロ「撃つぞ撃つぞ…撃つぞォー!」

ロボット相手は打てるけど生身の人間撃つのには覚悟がいる。生々しいね。

第2話 アムロ「どうだ!……ば、馬鹿な。直撃のはずだ」アムロ「こ……これが戦い……」

お互いビビってるシーンだが、「どうだ!」って言ってるシャアの声色、ドヤ感が本当にいいですね。その後のビビりっぷりが引き立ちます。

第2話 スレンダー「武器が違います!」

地味に大事な報告だと感じるので好きです。

第3話 敵の補給艦を叩け!

もうタイトルがいいのよ。補給を断つ戦いは悲しさがあっていいですね。補給相手が軍人で補給が武器良かった。

第3話 シャア「モビルスーツの性能の差が、戦力の決定的な差ではないということを…教えてやる」

シャアにも軍人としてのプライドがあるという台詞でとても好きです。こいつ明らかに素人の動きしてるのに!!って感じがして。
そして戦いが終わった後、「どういうことなのだ?」って3回言います。ウケました。ちなみにちょっと詳細はまとめられないのですが、アムロvsシャア以外の戦いも面白いです。

第4話 ワッケイン「全員軍事裁判にかけられるものと覚悟しておくものだ」

戦争モノにおいては、軍事裁判という言葉は独特の存在感と嫌さを放っています。お約束ですね。

第4話 シャア「そう、アルテイシアはもっと優しい」

シャア(すご軍人)も人の心があります。10年前に別れた妹を連想させる女性と出会ったことを、落ち着いてから振り返ってます。これはまだ彼女の描写が出ていないので実際にはわからないのですが、ひとしきり思い出した後その未練を振り切る為に言った台詞であり、絶妙にキモいと思ったので好きです。ガンダムは、人への情の描き方が面白い。

第4話 星の海をゆく棺桶

とある作品(どれか忘れた)では、旧日本海軍では余裕がある時に亡くなった人員を、国旗を張った棺に入れ海へ投じて埋葬するシーンがあったのだが、それを思い出した。

第6話~第12話アムロの疲弊描写

アムロは元一般人です。素人なりに、なんとかなれー!(ザク爆発→穴開く→父が行方不明)を出来た時違って、よくも悪くも軍人としての学びを積んできました。知識的にも実戦的にも、心情面でも。ホワイトベースに居る仲間とか、敵のこととか……。なのでアムロが疲れてるとちょいちょい興奮してます。なんか変態みたいだな。でも兵士は戦いで疲れ傷ついていくということに忠実なことに対し、一定のうれしさがあります。

第12話 アムロ「あっ食べなくっちゃ」

ここよかったなぁ。ふんわりでも確かにやば味があって。サンドイッチ食べてる時の顔が硬すぎる。サンドイッチ食べてる時の顔してない。別にサンドイッチを食べる時は朗らかになれと言いたいわけじゃない。サンドイッチを食べる時にここまで硬くなることはない。

第6話~第12話 シャアとガルマ~坊やだからさ~

ガルマ「私はいい友を持った……」
シャアはガルマに対して大層砕けた様子で話しかける。シャワー中も会話しちゃう。その後、シャアはガルマをザビ家罪でハメ殺す。シャアからザビ家に対する重い感情の正体はまだハッキリとはわからないが、相当重いぞ。ジオンに貢献しながらザビ家を狙ってるという状況が視聴者に期待を抱かせていいと思います。あと作品全体としては、ここでガルマに味変することでシャアは休めます。ちなみにアムロは毎回前線です。うーん、ブラック。

第12話 ギレン「諸君らが愛してくれたガルマ・ザビは死んだ。何故だ!」 シャア「坊やだからさ」

ガルマはザビ家の末弟であり、顔が可愛く、セリフが若々しい。(※恐らくシャアが年相応じゃないだけ)
坊やという言葉にはこういう思いが込められることがある。

ぼう‐や〔バウ‐〕【坊や】
《「や」は接尾語
幼い男の子を親しんでいう語。江戸時代は男女両方に用いた。
世なれていない若い男を親しんで、または軽んじていう語。「いつまでたっても坊やで困る」

デジタル大辞泉 「坊や」の意味・読み・例文・類語

・ジオンで皆に象徴的に愛された(クソデカ肖像画の冷酷無比そうな父親からもロスの感情を感じた)存在だからこそシャアは殺したのかもしれないという推測が出来る
・ギレンに対し吐き捨てるように言った後に酒を煽っているので、色々深読みできちゃう。
・シャアも妹を想う心は存在するので、まぁまぁな時間を共に過ごしたガルマへの心情が全くなかった訳ではないと思う
・実際シャア(※基準がバグる男)と比べるとガルマはまだ未熟な印象を受けたので、何らかの理由で内心では孤軍奮闘しているシャアからは、"ザビ家のお坊ちゃん"と何度も思ったことがあるであろう(育ちが良い人は育ちがいい故に、リスクに対する経験不足や感覚の鈍化が実際ある)
・ガルマ、ザビ家じゃなかったらシャアの友人になっていたか謎
……など、「坊やだからさ」には捉え方やアプローチの方法が色々あって面白いなと思う。シャア→ザビ家に対する色々が分かったらもう1度帰ってきていいですか?何かを貫きたければ、例え学業を共にした者さえも、家を理由に切り捨てる。シャア→ガルマ←イセリア から見える、戦争と家の立場による分断という描写は、とても味わい深いと思う。

第13話~第15話 ジオン軍にいる、色々な兵士たち

ジオン軍にも色々なやつがいる。シャアやガルマ(故)みたいにブイブイ言わせてるやつもいれば、基本のどかな場所で酒をのみ、整備や訓練、見回り(圧つき)を行うなど、本当に様々な兵士が13話、14話、15話で出て来る。

第13話では、子供にチョコレートを餌に情報を聞き出そうとする兵士が出て来る。ギブミーチョコ意識してるだろこれ。教科書レベルの話だぞ。戦後日本で有名な話だ。

第14話では夢を賭けて命がけでガンダムに凸して爆弾をつけたものの、敗北した為に一般人を装って新型モビルスーツのパイロットを見に来る軍人が出る。退屈な日々と夢に向かって走った結果にアムロが現れて、相当嬉しかったのだろう。あと退屈しのぎになったのかもしれない。夢見れてよかったな。ホワイトベースとアムロからしたらシャレにならん爆発してたけどな。

第15話では、心の傷を負いながら子供を守り、島で隠れて暮らす軍人が出て来る。その軍人は子供達から親を奪ったところを目視したことで、その罪に苛まれている。
 この話ではアムロが最後、軍人のザクを棄てる。これによりその軍人は元軍人として開放され、(少なくともジオンの者だとはわかりまい)、アムロは逆に軍人として歩みを進めるという話の構造で出来ている。エモいな。

 早く第16話が観たくなってきたのでここで切り上げます。いやすごいよ、初代ガンダム。