【エッセイ】信念のない冷笑ってタダのヲチ
冷笑botというものが現れたことが話題で流れて来た。私はそもそも自分の行いを冷笑として美化する人間は即ブロ案件なのだが、冷笑botを観に行ったら、いわゆる「イタイ」とされる言動や自分に酔ってる人を晒し上げてるだけだった。フォロワー1200人。ヲチスレと何が違うんだ?
しかも自分で冷笑対象も持ってこれないやつがやってるし、
フォローしてるやつは誰かの冷笑で共感したい、共感してほしいやつらが集まっているんでしょう。ただ人の恥で自分が馬鹿だと思う奴を見ることで束の間の心の安寧が欲しいだけなんじゃないの?"冷笑界隈"って言葉が出来る程、一人で冷笑も出来ないやつそんなにいるの?人の生き様を馬鹿にすることさえ、一人で出来ないの?
冷笑の対象は特定の個人の一時の発言って、それただの性格悪い奴だからね。対象にするのはもうちょっと大きい規模の方がいい。Xでの猫をレクサスで呼ぶブームとか、変なブームとか、サイゼリア論争とかさ。そしたら皮肉になって、主義らしくなると思うけど?
信念も主義も動機も何もなくただ冷笑してるやつってそれただ自分が傷つきたくないだけとストレス発散の手段にしてるだけだから、シャバい。冷笑の対象を迷っている方は、個人的には教養を冷笑するところから始めることをお勧めしたい。何故勧めるかはもちろんわかるね?