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【小説】『嬢ちゃん/22歳元風俗嬢、底辺高校の教師やります 』16

 高校生で堕胎を経験したあたしは、それ以来、自分がひどくどうでもいい存在に思えてならない。
 でも、それで平気なわけではない。誰かの役に立ちたい。求められたい。必要とされたい。あたしのことを、好きだと言ってほしい。
 これがあたしの『求められたい病』である。求められること、必要とされることに異常に飢えていて、そのために何でもやってしまう。好きだった男が自殺して、子供を下ろした直後は重症だった。風俗店で自分の身体を投げ出して、その瞬間、かりそめに男性に必要とされて、ようやく自分を保っていたのだ。
 たぶん、今はその当時よりは軽くなっている。
 それでも『求められたい病』は健在だ。たぶん、あたしよりもチョロくて危険な女はいない。正面から好きだと言われたら、その瞬間にあたしも好きになってしまう。殺したくなるほどに。

 あたしみたいなお姉ちゃんが欲しかったって……。
 あたしだって、そんなふうに思ってくれる妹が欲しかったよ。
 あたしは思考をかき乱されてしまって、いつの間にか涙を落としていた。
 そこへ、樋口先生が安藤を伴って帰ってきた。

「あっ! おまえ、なんで小島先生を泣かして……!」
「ちがうちがうちがうちがう!!」

 あたしが一人でいろいろ考えてしまっただけだと説明して、なんとかその場は落ち着いた。
 そこから、改めて話を切り出したのは安藤である。学年主任の安藤が口を開くと、室内の空気は緊張感に包まれた。安藤はあたしと同じ国語科の教員だが、話すときにその場に適した空気感を作るのがうまい。

「樋口先生と小島先生に事実の確認はしてもらった。長い期間、ネットを通じて相手探しをして、売春行為をしていたということで間違いないね?」
 赤井海月は頷いた。机の上には上半身しか見えていないが、その顔はさっきあたしが上品な化粧に変えてしまった。一見して、今は売春などは想像もしたことがないような、大人しそうな生徒に見える。赤井海月は派手な化粧のせいでだいぶ損をしている。
 安藤はゆっくりと間を取って、次の言葉を送り出した。ゆっくりと、しかしはっきりと言った。
「学校は大勢の生徒が教育を受けるところだ。
 君が学校生活に戻ることは、他の生徒にとってふさわしくないと考えるが、どうか。」

 事実上の退学勧告だ。ずいぶんはっきり言うものだ。
 たしかに。教室内に、買える女がいるのだ。
 同級生にとって、望ましい環境とは言えない気がする。保護者の目線で考えれば、男子生徒を持つ親はもちろん、女子生徒を持つ親だって、教室内で売春の方法などレクチャーされてたまるものか。
 あたしは元ソープ嬢だが、あたしは店を辞めているから、あたしのことはもう買えない。それでも年度初め早々に教職員課に呼び出されるくらいなのだから、現役の売春婦ということになればなおさら教室には置いておけない。「もうしません」と本人が言ったって、証明する手立てもない。
 赤井海月はなにか言おうとしたが、安藤は遮った。
「いま、ここで答えをもらっても仕方がない。
 家に持ち帰って、保護者と相談のうえ、じっくり考えて答えてほしい。」
 そうして、安藤は赤井海月を帰宅させてしまった。

「さて、ここからどうなるかが問題だ。」
 国語科で、安藤はため息交じりに言った。彼はあたしがコーヒーを淹れますかと言ったら、喜んで同意した。
「やっぱり、退学になっちゃうんですか?」
 学校でもおいしいコーヒーを飲みたいから、あたしは国語科にコーヒードリッパーと粉を持ち込んでいた。お湯を沸かすポットは元々国語科に置かれていたから、これだけ持ち込めば学校でドリップコーヒーが飲める。
 本当は国語科にコーヒーメーカーを買って設置したいくらいなのだが、それはもう少し自分が学校での仕事に慣れて、周囲の先生たちから評価を得てからにしたほうが無難な気がした。または、どうやらなかなかの権力者であるらしい安藤に甘えて設置させてもらう手もあるが、まだ4月だ。時期尚早、急いては事をし損じるというものである。
「自主退学が、誰もが納得する落としどころ。」
 コーヒーを待ちながら、安藤は自分の椅子で呟くように言った。
「学校に残るっていうこともあるんですか?」
「うーん。」
 安藤はうなった。それで、あたしにはわかった。その方向は安藤の望むところではないのだ。
「退学にしたいけどな。時代が時代なんでね、そこまで持っていけないかもしれない。本人と保護者が強く望んで、折れなかった場合は、どうしようもない。こういうときには担任の胆力も必要になる。」
 3年C組の担任は、さきほどあたしと一緒に事情の確認に入った樋口先生だ。安藤は続けた。
「樋口先生にお願いしておけば間違いない。樋口先生にできない場合は、他の誰がやってもできない。」
 あたしはコーヒーをドリップしながら聞いた。

 安藤というのは、どうやらこういう人の使いかたをするらしい。
 任せたことについては、完全に信じて任せてしまう。意見を求められない限り、途中で余計な口も出さない。うまく行かない場合も、その人物がうまくできないならば仕方がないと考えて、腹も立てないのである。
 逆に、仕事を任せられたほうは完全に自分の力量に任せられるので、かえって期待に応えようとして奮起する。だから、結果も出やすい。
 安藤はこのように人を信じて、自由にやらせることで結果を出し、発言も判断も常識的なので多くの教員から支持されているようなのだ。それで、三年の学年主任というポジションを任されているわけだ。
「いいなあ。」
 あたしの『求められたい病』が疼いた。

「あたしもそんなふうに言われたいなあ。」
 あたしが安藤のぶんのコーヒーカップを彼のところまで運ぶと、安藤は礼を言って受け取った。
「小島先生のことも、ちゃんと信じてるぞ。
 先生は教員としても力がありそうだけど、まだ知らないことだらけだろう。いろいろ見て、経験して、いずれ活躍してくれ。」
 教員としては、いずれ活躍せよ。でも、あたしを信じている、というのはベッドの上でのことだろうか。そんなふうに考えたら邪推だろうか。

「もし、赤井海月が学校に残る場合は、特別指導っていうのを受けるんですよね?」
「そうそう。小島先生は生徒指導部だから、覚えておかないといけないぞ。」
 コーヒーを飲み終わってしまって、安藤は言った。
「でも、今回はまず退学の方向で話を動かす。
 何事もなく事が運ぶとも思えないけどな。」

 安藤の懸念のとおりだった。
 この後、赤井海月の母が学校に怒鳴り込んできたのである。


つづく

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