断捨離すると良いことがあるって本当か? と、noteを始めた理由。
「ブログやらない?」と持ちかけてくれた友人は、小気味良い発言と行動で、その後数十年と続く友人たちの活動のきっかけを作ることになったりと、人生における決定的な流れを作り出す名人でもあった。それはのちに振り返った時にわかるんだけど。でもずっと楽しいこと、fun!に対する情熱を、落ち着いた状態で保っている人で、今もそうだ。
深く考えることなく、〈ブログ、良いねー!〉と話しているうちに、思いついた勢いを消さないスピードを重視して、noteで「今日から」始めることにした。
この数カ月間の私は荒波を行く舟から落ちないよう、へばりついてきた感がある。3月末でレギュラー仕事が2つ終了して、10数年間続いたcomfortable zoneから半分、出ていくことになった。でもそこにはこだわるまい。しかし生活資金は不安になる。新たな柱となる仕事をじっくりと探そうと思う日々は、どうか私が悪いことをしませんように、と言い聞かせる日々でもあった。一緒に暮らす犬のローイがいなければやばいなという自覚があった。とりあえず世の中の明るい事象に周波を合わせる。でも実際は、YouTubeでウクライナ情勢と関連動画ばかり見ていた。そして〈あれれ、私は世の中のことを何も知らない。かなりのポンコツ〉だと思った。
ポンコツかつ的外れなので、いろんなことが頭の中で交差する。おすすめ動画サムネの「南海トラフ巨大地震に備える」が急に気になって、とりあえず備蓄用の水ボトルを買ってきた。置き場所を確保するために倉庫の棚を整理した。そのうち、幅2m奥行き7,8mの倉庫全体を片付けたくなった。昭和の遺物だらけ。30年近く通路の半分を塞いでいた大きな棚も移動させよう。その作業に半年くらい、と見積もっていたが、予想外に捗って、2度ほど市の粗大ごみセンターに行っただけで、片付いてしまった。お祖父ちゃんの遺影も出てきたので床の間に移動させた。これが今年の大型連休の出来事。
そのうちふっと仕事オファーが続いた。念願のレギュラー仕事も確保できそうで、〈断捨離したのが良かったのかな〉、〈お祖父ちゃんのおかげかな〉と思ったりした。いや、わかりません。でも大切なものを見失わないように気合いを入れて過ごすことは大事だと思いました。
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