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アルウィン至上主義者の苦悶

「吾は、サポーターである。」
と、公言しても差し支えない、そもそもどこぞのサポーターだと言って差し支えるような状況が果たしてあるのか?分からないが、サポーターになろうと決意したのは、2001年のこと。

高校生のときにサッカーワールドカップ1978年アルゼンチン大会の中継を観て、母国を初優勝に導いた得点王のマリオ・ケンペスに痺れた。
黒髪をなびかせゴールを決めるストライカー、超カッコいい!優雅に、舞うように駆けながら、対峙する敵を翻弄する姿から “エル・マタドール 闘牛士” と呼ばれた。吾のヒーローは、マラドーナよりもマリオ・ケンペスだった。

中学校でサッカーをしたかったけど、サッカー部は不良の溜まり場のようなところで近づけず。よし、高校でっ!と高揚して入学式に列席、体育館を出たところで新入生を待ち構える部活勧誘のブースが並んでいた。サッカー部を目指して歩いていたら、手前に構えていた山岳部員に呼び止められた。話しを聞くうちに興味が湧いてしまい、入部。ついにサッカー部との縁は結ばれず。

サッカー好きなのに贔屓するクラブは長いこと見つからなかった。Jリーグが創設され、1993年に華々しく興行が開始された機会にJクラブのどこかを応援したいと思ったのね。

自宅があった矢野口には、よみうりランドがある。言わずと知れた読売グループの遊園地。読売ジャイアンツの宿舎があって、日本サッカーリーグJSLの強豪、読売クラブの練習場もある。そうくれば、ヴェルディ川崎のサポーターになるのが自然の流れであろうが、いやいや、どうにも読売グループは好きになれなかったの。性根が判官びいきなのか、強いヴェルディには魅かれなかった。

プロ野球はジャイアンツではなくヤクルトスワローズのファンだし、俺がJリーグを引っ張るとばかりに企業色を押し出し、地域密着を掲げる川淵チェアマンと真っ向対立したナベツネ社長が嫌いだった。

日本代表選手を何人も輩出しJ初代王者の栄冠を手にしてJリーグを牽引した強いヴェルディであったが、木村和司や水沼貴史がいる日産がJSL時代から好きだったのでマリノスを応援するようになった。ヴェルディとの開幕戦でゴールしたアルゼンチンFWラモン・ディアスにはシビレタ~。

数年はマリノスを応援しても、サポーターといえるほど熱心ではなかった。稲城から横浜は、遠い。馴染みが薄い土地なのだよね。なによりマリノスは地元のクラブではなかったし。

そうこうするうちにベルマーレが台頭してくる。中田英寿、名良橋晃、名塚善寛、岩本輝雄らの日本代表選手が多く在籍し魅了された。マリノスからベルマーレへサッカー熱が移る。でもね、横浜と同じように海の町湘南は、山の町稲城から遠い。密着していない。

遠かろうが、密着してなかろうが、好きになったクラブのサポーターになればいいじゃん。だけど、魚の小骨のように喉元に引っ掛かったままでいるのだ、あのヴェルディが。。好きではないがいつも気になってしまう存在。クラブを離れ代表の試合ならば、ラモスもカズも北澤に武田だって、テレビの前に噛り付いて応援していたけどね。

あぁ、そうだった!
マリノスやベルマーレより近いところには、フロンターレがあるじゃないか!川崎は、生まれ故郷なのだ。登戸で多摩川の産湯に浸かり、宿河原の小学校に通っていた吾がサポーターになるに相応しいのは、正にフロンターレではないか~!と、サポーター宣言しようとした矢先に、ヴェルディがホーム移転してきた。東京に。稲城が第一のホームタウンとなったのだ。

来てしまったのか、ヴェルディ。
ヴェルディ「川崎」なら、近いけど地元じゃないからとそっぽを向けたのに、「東京」ヴェルディと名を変え膝元に寄って来てしまっては無視できないじゃんよ~。地元稲城にJクラブ、遅まきながら2001年に誕生。それも凋落しつつあったヴェルディが。ならば、腹を括った!緑のサポーターになるぞっと!

J初代王者、2連覇チャンピオンの栄華は遥か過去の話、読売が撤退し先の見えぬ赤字路線から抜け出せずクラブ消滅の危機にも直面したヴェルディ。J2に降格し、一度はJ1に怪物FWフッキの力で復帰するも、残留叶わず1年で再度の降格。J2での苦闘、もう15年にもなるのだよねぇ。

休日になれば不動産物件を巡って地方への移住を考えていた頃、2007年10月にザスパ草津とヴェルディのJ2リーグ戦が松本で開催されると知り、長野県も移住先の候補にもなるかもと物件リサーチも兼ねて観戦してみた。

初めて訪れた松本。
スタジアムのアルウィンは存在を知らなかったが、四方をぐるっと山々に囲まれ、特に北アルプス連峰の威厳ある景観が素晴らしい。白馬岳は高校の山岳部で夏に登ったことがあった。
アルウィン場内に入ればすぐ目の前に芝生が広がる、球技専用スタジアム。ピッチと観客席が近く、適度な傾斜でとても見やすく臨場感に溢れている。は~ぁ、味スタよりイイっじゃないか!

ヴェルディが勝利したことにだけじゃなく、初アルウィン体験でえらく感動し、ここでまた試合を観たい、何度でも観てみたい!との願望がフツフツと湧いてきた。そう、惚れてしまったのだよ。かくて松本平が移住先の第一候補に急浮上だ。
アルウィンに魅せられて間もなくここを本拠地にしてJリーグ参入を目指す北信越リーグ所属のクラブがあると知った。そう “松本山雅” である。これで心は決まった!山雅のサポーターになってクラブの成長を見守りながら松本で暮らそうと!
タイミングよく借家が見つかり、長年勤めていた職場を48歳で中途退職し、松本へ移住したのは2008年。以降、どっぷり山雅にハマっている。ジャズ喫茶「JAZZ雅鳴 きたや」を2019年に開業し、迷うことなくサポートショップに登録、2年前からは恐れ多くもスポンサーの末席にも加えていただけた。

松本生活の当初にはヴェルディとJリーグでの対戦が観れるのは、まぁ、10年もあれば叶うかなァと生意気にも上から目線だったのに、JFLからJ2へと山雅は急成長し、J2でもがくヴェルディを後目にJ1へ二度も参入する。

松本に住んでからは、山雅のアルウィンでの試合は総て観戦している。いや、違うな。1試合だけ観れていない。2011年8月28日の長野県サッカー選手権決勝、対長野パルセイロ “信州ダービー”。その日は国家資格受験と重なってしまったからやむを得ず。
フツーならば何事にも優先するのだ。仕事よりも町会行事よりも法事よりも、アルウィン観戦はねっ!

もうね、吾が死んだらアルウィンに散骨してもらいたいぐらいなのね。そんなこと許されるはずないって、分かってますよー。それぐらい、アルウィン観戦なしの松本生活は考えられないってこと!

でもね、今回ばかりは。。
J1参入プレーオフに進出したヴェルディが、決勝戦で清水エスパルスと対戦する日が、J3リーグ最終節・山雅 vs 奈良クラブ戦ともろ被りなんだよねぇ、アルウィンでの試合やん。

なんだよ、弟(山雅)ができたからって俺(ヴェルディ)のことは興味薄くなってんじゃんか。いつもは弟べったり(シーパスでアルウィン通い)なのに気が向いたときだけ優しく(味スタ観戦は年に3,4回)されたって、気分よくないわ。
なんて、ボヤキが最近夢の中で聞こえてくるのよ。(ウソ)

アルウィンを知るきっかけを作ってくれたヴェルディの大事な一戦が、12月2日に国立競技場で行われる。
15年間も願い続けたJ1復帰まであと一歩のところまで辿り着いた兄貴ヴェルディを、頼みます、現地応援させてくれ~いっ!(って、誰に許しを請うてんだか…)




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