ジャズギタリスト 井上 智さんインタビュー Vol.1 「ニューヨークの想い」
ジャズ・ギタリストの井上 智さんにインタビューの機会をいただきました。
2019年8月、池袋のモンゴメリーランドにて、ギターデュオを拝見してからというもの、すっかりファンになってしまい、いつかお話しを伺いたいと思っていたのです。
今回はコロナ禍の状況を鑑みて、Zoom(オンラインミーティングツール)を通じてでしたが、関西弁の温かい語り口やユーモアと、素敵な笑顔が絶えない楽しいインタビューでした。(なんと生ギターのご披露も・・!)
「ニューヨークに渡ったきっかけや醍醐味。21年間の滞在を振り返ってのこと。」
「師匠 ジム・ホール氏との思い出。」
「ジャズミュージシャンを目指す方々に贈るアドバイス。」
「まさにいま取り組んでいること。」
「今後の目標や、日本ジャズシーンに期待すること。」
などなどジャズファンにはきっとたまらないであろうテーマについて、お聞きしています。
とっても濃厚でギュッとエッセンスの詰まったおはなしを、全3回でおとどけします。
[井上智さんのプロフィール]
──ニューヨークから日本に戻られてもう10年くらいになるんですよね?
この4月でちょうど10年になります。はい、あっという間ですわ。
──他のインタビューを拝見して、アメリカ暮らしは、あれよあれよと21年経ってしまったというのを読みました。
あっという間でしたね。去年ちょうど芸歴40年の記念ライブをやったんですけどね、はい。
京都で大学出てプロになって10年。ニューヨークに21年いて、去年が日本(東京)に戻って9年だったんでちょうど芸歴40年という感じでね。
だから、ちょうどNYと日本の音楽体験が半分ずつになった、という感じですね。
──神戸のご出身ですよね?
そうです。高校まで神戸で、大学から京都に下宿して10年くらいいて、結婚して夫婦でNYに行ったという感じですね。
──日本に戻るきっかけはなんでしたか?
えーと、NYに行ったときね、うちの家内とは、2年くらいしたら帰ってこようって、はじめに約束してたんですよ。
それがね、酒の席で言う「もう一杯もう一杯」みたいな感じで、1年また1年と延びてね。
ミュージシャンとしては楽しくてしょうがないから、延長に延長を重ねたんですけど。
まぁ、もうええやろっちゅうことで。2年が21年になったということですね。
NYは好きだけども、必ずしもアメリカが好きだったかというと、そうでもないようなとこもあって。
これから日本でやってみるというのも面白いかなと思いましたね。
──私は行ったことないんですが、やっぱりジャズを聴きに行くならニューヨークは行くべきですかね。
ぜひ行ってくださいよ。NYはね、スペシャルですね。
世界の猛者が集まる感じでね。みんな切磋琢磨していて。すごい環境でしたね。
一昨年、ジャズボーカルの高田恵美さんの録音プロデュースで向こうに行きましたけど、やっぱり2年に一回くらいは行きたいなと。
スペシャルなところだなと再認識しましたね。
──ライブもたくさん観れますしね。
そうですね。NYの場合、歩いてライブハウスをハシゴできるんですね。
この醍醐味はマンハッタンです。グリニッジヴィレッジにだいたい集結してるんですけど。
例えばヴィレッジヴァンガードで1stセットを観て、次は、スモールズっていうクラブがあるんですけども、そこの2ndセットを観るとかね。
さらにそこから違う店に行ってジャムセッションやるとか(笑)。
歩ける距離に店がありますね。
だからミュージシャンの行き来が激しくて、ミュージシャンがミュージシャンを見に来ているというシチュエーションが多いので、「手を抜けない」というかね。
例えば、そうですね、大昔ですけど、キース・ジャレットのスタンダーズ・トリオをヴィレッジ・ヴァンガードに観に行ったことあるんですけど、パッとまわりを見たらケニー・バレルが女性と座っててね。「あぁ、聴きにきてるわ!」ってね。
そういうミュージシャン同士の横のコミュニティというか、お互いがお互いをチェックして盛り上げていくというね。
これが東京にもっとあったらいいのかなって思いますけどね。ジャズの街ならここっていうのがね。例えば高田馬場、あーあそこはジャズの街や、みたいなね。
──井上さんも向こうに渡ってすぐの頃は、ギターを担いで色々回ったんですか?
そうですね。色々なところに顔を出して名刺配って、ジャムセッションに行って。友達は何人かいたから。本格的に住む前に2回偵察に行ってるので。
──はい、別のインタビューを拝見しました。
そういう根回しもあったからそれなりにネットワークがすでにあったんですけど。すごい面白かったですね。特に渡米してすぐの頃は。お金はなかったけれども。
ハーレムの方に遊びに行ったりとか。そっちはオルガンを中心にしたジャズがあったり、マンハッタンの方でも黒人の多いジャムセッションとか、学生が多いジャムセッションとか色々あるんですね。
曲が違うんですね。演る曲が。
バークリー大を出た学生が行くようなジャムセッションと、ハーレムで黒人がたくさんいてハモンドオルガンをバーっと弾いてるようなジャムセッションとで、もう全然雰囲気が違いますね。
ジャズの色んなスタイルが、若い人からレジェンドと言われる人が入り混じって、坩堝(るつぼ)というか、色んな層がありますね。
──NYには、最初1ヶ月、2度目は半年、3度目が21年ですよね。2度の偵察のときに、根回しやコミュニケーションしたりされたということですね。そういうパーソナリティやガッツがないとNY生活は厳しいですか?
NYはね、待ってたらダメっていうかね、なんやろ、「ゲームに入れない」感じですね。
自分からこう喋りかけたり、友達作ったり、攻めていく感じがありましたね。それが面白かったですね。疲れる部分はありますけどね。
日本での井上智が向こうだとSatoshi Inoueになって、「Hey! What's Up?」ってミュージシャン同士で交流して、色んな違う価値観があって。
日本にいた頃には、知らなかった自分が見つかる、というのがありましたね。自分が日本ではしなかった行動や性格が出てくるというかね。
なんかそういう、「あれ、おれこういうところあるんや」っていう面白さが、特に最初の2回はありましたね。
自分が裸になった感じというか、子供の頃の対人関係に戻るようなね。原始的な対人関係。
言葉も必死で喋るし、身振り手振りもするし、面白かったですね。
──最初の2回は学校には行かなかったんですよね?
そうですね。そんな発想もなくて。1回目のときは25歳で。関西にいた頃にNY帰りの先輩から「すごいぞ!」と話を聞いてね。
「こら、行かなあかんな」ってね。で、25歳のときに友達と行って、毎晩ジャズ聴きに行ってね。
その時はビビってジャムセッションにはほとんど参加できなかったですけども。
で、1ヶ月経って帰ってきて、京都で4年間プロとして活動して、29歳のときにまた行きます。
そのときはもっと、前回よりも知恵を持ってたから、もっと食い込んでやろうって思ったし、色んなジャムセッションに顔出したりね。
日本で一応プロでやっていて、音楽の力もそれなりに無いことは無いし、曲も知ってるから。やっぱりジャズのスタンダードを知ってるといいですね。
それで、仕事がもらえるようになって。またねビックリすることにブルーノートで演奏する機会があってね。
──へぇー。それは2回目のときですか?
2回目。サンデーブランチいうんですけど、アメリカは土日の昼間にブランチを食べてお酒を飲みながら音楽を聴くのがあってね。そういう機会がありまして。結構仕事があるんですよ。
それで、自分がリーダーになってね。黒本の著者で有名なベースの納浩一と演ったりね。彼とは京都での友達でね。彼はちょうどその頃ボストンにいて勉強してたんで、ベースで参加してくれって頼んでね。
そのころはお金も無かったので、大きな声では言えないけれども、ジャパニーズレストランでアルバイトをやって、そこで英語鍛えてね。
そうやって、ギター弾いてバイトしながら「これはなんとかやっていけるんじゃないか」っていう感触を得るわけですよ。
その半年っていうのは自分の中でこう、パーンとチャクラが開いたっちゅうか、スペシャルな6ヶ月でしたね。
滞在期間を決めてるからめちゃくちゃ頑張るんですね。6ヶ月経ったら京都に帰るわけですから。
じゃあもう、おる間にやるぞ!ってね。そういう時期でしたね。
──NYにいた頃、日本から来た多くの方が井上さんを訪れたというのを記事で見ましたが、どうでしたか?
沢山来てくれましたね。関西から沢山来たし、あと、バークリー卒業してNYに出てきて友達になった人もいますね。
高免くん(高免 信喜さん)ていうギタリストでね。NYでやられてますよ。
色んな出会いがありましたね。
増尾好秋さんとも向こうで出会ったし、渡辺香津美さんとも昔NYで出会いましたね。エイブ・リベラの家にお連れしたのを覚えてます。
(ギターを手に取って)このギターの職人なんですけど。香津美さんもエイブ・リベラのギターを持ってるんですよ。
電車に乗ってお連れしましたよ。
[井上さんのギター。BeBop model!]
だからNYにいると、そういう出会いがいっぱいありますね。日本では出会わないようなね。
──日本を離れて海外で出会ったからこそ仲良くなれるってこと、ありますよね。
そういうのありますよね。スペシャルな環境で出会った友達とは(関係が)続いたりしますよね。
(つづきます)